第9話 お客様と溶けたアイス

 


 目についたものはひとまず鞄に詰め込み、入りきらないものはクローゼットに押し込んで、待つことしばらく。

 コンコンと部屋の扉が叩かれ、出迎えた宗佐が珊瑚と月見を室内に案内する。

 珊瑚は水色、月見はピンクの暖かそうなワンピースを纏い、それぞれ同色のケープとカーディガンで寒さ対策もしている。それに各々可愛らしいデザインのポシェット。――珊瑚のポシェットが猫柄なのは言うまでもない――

 二人とも部屋着であっても洒落ている。適当なシャツとズボンという俺達とは違いだ。


 そんな二人は「お邪魔します」と部屋に入り……、そしてそのまま窓へと張り付いた。


「うわぁ、綺麗……!」


 うっとりと呟くのは、ホテルの売店の名前が印刷されたビニールの袋を抱えた珊瑚。

 彼女の部屋は写真の通り俺達の部屋より数階下で、やはり高さがあるだけこちらの方が綺麗に見えるらしい。


「あ、あれって水族館かな。ライトアップされてる!」


 とは、これまた同じビニールの袋を抱きかかえたままの月見。

 彼女の部屋は俺達の部屋とは階も向きも違うらしく、日中の景色こそ綺麗だが夜は周囲の灯りも消えて味気なかったのだという。


 そんな話を、窓に張り付いたままの二人から聞く。

 いったい何がそこまで彼女達を虜にさせるのか。二人はペッタリと窓にくっついて、時に見惚れるように黙り、時に部屋に用意されていた景色説明の図と照らし合わせ、時には携帯電話で写真を撮り……、と繰り返している。

 その間、俺と宗佐はテレビを見たり携帯電話を弄り、たまに顔を見合わせては肩を竦めあっていた。



 そうして二人が窓に張り付いて十五分程経っただろうか、ようやく満足したのかどちらともなくこちらに向き直った。

 寝転がってテレビを見ていた俺と宗佐が慌てて起きあがる。異性を招いておいてだらしないと言うなかれ、俺も宗佐も二人が来た当初はちゃんと座っていたのだ。むしろ緊張すらしていた。

 ……のだが、いかんせん待たされ過ぎた。もちろんそれを責める気はないけれど。


「ごめんね、急に来てすぐに外見てて。あ、売店でアイスと飲み物買ってきたの。一緒に食べよう。……あれ、アイスが溶けてる」


 いつの間に、と言いたげに月見が手元の袋を覗きこめば、珊瑚も同様に「さっき買ったんですけどね」と不思議そうに首を傾げる。

 曰く、ここに来る前にホテルの売店で買ってきてくれたらしい。それを十五分近く常温放置、むしろ放置どころか夜景に感動して抱きしめるように抱えて持っていたのだ。アイスも溶けるというもの。

 だが当人達には自覚はないようで、二人とも頭上に疑問符を飛ばしている。見兼ねた宗佐が苦笑を浮かべ、ひとまず二人に座るように促した。


 俺と宗佐はそれぞれのベッドに腰かけ、珊瑚と月見が室内にある椅子に座る。

 そうして誰からともなく一息つき、最初に口を開いたのは宗佐。


「珊瑚、おばぁちゃんは?」

「もう寝ちゃった。こっちは五時に夕飯で七時には就寝だもん」

「さすが老人会だな」

「それで私一人でホテル内のお店を見てたら、月見先輩が声掛けてくれたの」

「弥生ちゃんの同室の子はどうしたの?」


 宗佐が尋ねれば月見が一瞬言い淀み、次いで頬を赤らめ少し声を潜めながら「彼氏の部屋に行くって……」と呟いた。それを聞いて月見の同室を思い出せば、確か文化祭で付き合いだしたとかそんな噂も付属して思い出される。

「そうなんだ……」という宗佐の返事の声は僅かに上擦っているが、仕方あるまい。

 他の誰でもなく月見が今まさに自分の部屋に居るのだ。その状況で『友達は恋人の部屋に』なんて聞けばどうにも意識してしまう。

 俺も同様。なんとも言えない心境で落ち着かず、だがそれを悟られまいと冷静を取り繕った。


 きっと恋愛に長けた者や大人が今の俺達を見れば鼻で笑うだろう。

 そう思えどもやはり緊張してしまうのだ。

 そんな緊張を、月見がやはり上擦りかけた声で「それでね!」と打ち破った。


「せっかくだから、夜景が見たいねって珊瑚ちゃんと話をしてたの。でも私の部屋の景色はそこまでだし、珊瑚ちゃんの部屋はおばあちゃんが寝てるから、どこに行こうかって話してて……」


 そこで珊瑚が俺達の部屋はどうかと提案したという。

 月見がこの話を断るわけがなく、さっそくと珊瑚が宗佐に連絡をし、宗佐は返事をするや風呂に入っていた俺に慌てて報告してきた。そしてに今に至るわけだ。

 なるほど、と頷く。珊瑚には部屋番号は伝えてあるし、窓からの景色の写真も事前に送っておいた。きっと月見と話している内にそれを思い出し、夜景を見るならばと考えたのだろう。


「そっか、だから俺達の部屋に来たんだ。わざわざ飲み物とアイスまで買ってきてくれてありがとう」


 穏やかに宗佐が笑い、さっそくとアイスの蓋を開ける。俺もと二人に礼を告げ、アイスにスプーンを突き刺そうとし……、緩い感覚が手に伝った。

 月見に抱き抱きしめられてだいぶ溶けたようだ。これはスプーンではなくストローが必要かもしれない、そう冗談交じりに話して笑い合う。


「珊瑚ちゃん、今日は落語を聞きに行ったんだよね。どうだった?」

「面白かったけど、時々分からない言い回しがありました」

「明日の歌舞伎の方が動きがあるから分かりやすいかもね。午後はもう決まったの?」

「それがまだなんです。歌舞伎がお昼過ぎまでで、お昼を食べて……。帰りの時間もあるから、そう遠くには行かないと思うんですけどね」


 元々の予定では、歌舞伎を見てから近くの展覧会という流れだったらしい。それが一度延期されたため展覧会が終わってしまい、午後はいまだ未定だという。

 だがこの旅行のメインは元より落語と歌舞伎で、それが楽しめたから後はゆっくり過ごせれば良いというのが総意だという。なんとも老人会らしい話だ。




 そうして他愛もない話を続け、時にテレビを見てはクイズ番組で盛り上がり、珊瑚と月見が再び窓に張り付いたりと過ごしていると、廊下がざわつき始めた。

 バタバタと慌ただしげに駆ける足音。それを注意する声。聞き覚えのある声にふと扉へと視線をやれば、宗佐達も同じように扉を見つめる。

 そんな中、月見が「斉藤先生の声?」と呟いた。


「どうして先生が廊下に居るんだろう?」

「見回りか? ……あ、時間!」


 思わず声をあげて時計を見れば、いつのまにやら時刻は就寝時間の十一時を過ぎているではないか。

 廊下が騒がしくなったのは見回りの先生と、それから逃げる生徒達の足音と声なのだろう。


「うそ、もうこんな時間……! 大変、早く戻らなきゃ!」


 慌てて月見が机の上を片付けはじめる。

 真面目な彼女からしてみれば、就寝時間を過ぎてもなお他の部屋で遊んでいるのは取り乱すレベルなのだろう。とりわけ、異性の部屋にいるのだから猶更だ。

 対して先生の見回りも関係ない珊瑚は外から聞こえてくる声に「大変ですねぇ」と他人事である。

 聞けば老人会の旅行だけあって就寝時間の決まりは無く、ホテルを出なければどこに行ってもいいのだという。もちろん先生に見つかったからと言って怒られる謂れも無い。


「弥生ちゃん、片付けは俺達がやるから。部屋まで送っていくよ」

「そんな、先生に見つかったら怒られちゃうよ」

「そうしたら俺達を囮にして二人は部屋に戻ればいいよ。大丈夫、俺、怒られ慣れてるから!」

「宗佐君……」


 堂々と断言する宗佐に、月見が見惚れるように熱い吐息を漏らした。


 確かに宗佐の断言は男らしさがある。

 内容さえ聞こえなければ。

 いや、この内容の発言を堂々と断言することもまた男らしいと言えるかもしれないけれど。


 微妙なところだと考えて珊瑚へと視線をやれば、彼女は随分と複雑そうな表情で宗佐を見つめ……、そして、そっと己の耳を両手で塞いだ。

 怒られる危険を厭わず部屋まで送ろうとする宗佐を慕うより、『怒られ慣れている』と堂々と宣言することへの落胆の気持ちが勝ったのだろう。

 勝ったうえで今更な聞こえない振りというのがなんとも珊瑚らしい。


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