幕間2(2)

 



「お母さん、健吾先輩の話聞いた?」

「聞いたわよ。健吾君ってば家族に置いてかれちゃったのね」


 クスクスと笑いながら、お母さんが受け取ったミカンをカゴへと移す。

 きっと帰ってきた宗にぃから話を聞いたのだろう。

 あいにくと私は旧芝浦邸へとそのまま向かってしまったのでどう話したのかは知らないが、楽しそうなお母さんの様子を見るに、宗にぃは身振り手振りでありのまま伝えたようだ。

「笑ったら可哀想よね」と言いながらもお母さんは笑っていて、それにつられて私も笑ってしまう。


 大晦日の帰省に一人だけ置いて行かれるなんて、まるでクリスマスでお馴染みの映画そのものではないか。

 健吾先輩本人もそれは自覚しているのか、私と宗にぃに対して不満そうな表情こそ浮かべていたが、反論はしてこなかった。


「みんな健吾先輩は他の誰かと一緒に駅に向かってると思ってたんだって。家族が多いとそうなるのかなぁ?」

「そうねぇ。健吾君の所って九人家族で、今は二番目のお兄さんも帰ってきて十人でしょ? タクシーに乗るならバラバラだろうし、小さい子がいるとそっちに意識がいっちゃうし、一人ぐらい忘れちゃうものなのかしら」

「せめて誰か一人くらい気付きそうだけど。うちは大丈夫だよね」

「そうね。でもあえて宗佐を置いていこうかしら。一度コタツに入ると全然動かないんだもの。忘れたふりしておいていって、少しくらい自活させても良いかもしれないわね」


 これもすぐに無くなるわ、とお母さんがカゴに盛ったミカンに視線を移す。

 男子高校生の食欲は凄まじく、私は基本的には旧芝浦邸でおばぁちゃんと一緒に食事をしているが、たまにこっちで食べるとそのたびに驚かされる。


 それほどに食べるのだ。多分、このミカンも今夜もてば良い方だろう。

 それに比べて、年を取ると共に食が細くなるおばぁちゃんと私の二人だけでは一箱のミカンはそうそう減るものではない。

 同じ日に買い、そのうえこうやって分け合っているというのに、食べきるまで差が出てしまうのだ。


「大丈夫だよ。あっちはまだ半分近く残ってるし」

「それも放っておけば宗佐に全部食べられちゃうわよ」


 困ったように笑うお母さんと、そのままリビングへと向かう。


 歩くたびにキシキシと音の響く旧芝浦邸とは違い、こちらの家は床板も壁も真新しい。当然だが隙間風も吹かない。

 ピピ……と聞こえてきた電子音はお風呂が沸いたのを知らせる音だ。つい先日まで昔懐かしの装置でお湯を沸かしていた旧芝浦邸とは違い、ここの湯沸かし器は建築時から喋って知らせてくる。

 その音声を聞きながらリビングへと向かえば、宗にぃがコタツに潜りながら寝転がりテレビを眺めていた。


「宗にぃ、ミカン持ってきたよ」

「でかした珊瑚! おばぁちゃんはもう寝たのか?」

「うん。今日は疲れたからっていつもより早く寝ちゃった」

「お節作るって朝から張り切ってたもんなぁ」


 楽しみだ、と笑いながら宗にぃがさっそくミカンに手を伸ばす。

 これは確かにすぐになくなるかも、と思わずお母さんと顔を見合わせてしまった。ひとまず自分の分にと二つほど確保するのも忘れない。


「そうだわ、珊瑚ちゃん年越し蕎麦食べた?」

「うん、おばぁちゃんが作ってくれたの食べたけど」

「あら、じゃぁもう食べられないかしら。インスタントのお蕎麦があるから半分こしようと思ったんだけど」

「半分? それなら食べようかな」


 夕飯がてらに食べた年越し蕎麦はおばぁちゃんの手作りだった。出汁から作った、深い味わいで柚子の香りが漂う蕎麦。

 インスタントとは比べ物にならない。

 だがこういう時の『半分こ』はまた別物だ。相手がお母さんとなれば嬉しさもあり、半分程度ならば余裕で入るだろう。


「母さん、俺は一個全部食べるよ」

「分かってる。安心しなさい、誰も宗佐のは取らないわよ」


 呆れたように笑いながら、お母さんが台所へと戻っていく。

 そうして数分ほど経つと、お盆に三つの器を乗せて戻ってきた。中身こそお湯を入れるだけのインスタントではあるが、器くらいはと入れ替えたらしい。

 それを各自の前に置き、さぁ食べよう……とした瞬間、宗にぃが待ったをかけた。


「母さん、俺の蕎麦が白くて太く見えるんだけど」

「あらそう? 視力落ちたんじゃない? 来年は眼鏡が必要かしら」

「いやこれどう見てもうどんだよね!? なんで俺のだけうどんなんだ!」


 見れば、確かに宗にぃの器に入っているのはうどんだ。これは間違いようがない。

 だがお母さんは宗にぃの訴えを気に掛けることなく、さっさと自分の器に七味をかけだしてしまった。確認もしないあたり確信犯なのだろう。


「お店で同じものをカゴに入れたと思ったのに、片方うどんだったのよ。大丈夫、似たようなものよ」

「いや、蕎麦とうどんじゃ意味合いが違うから」

「宗にぃ、こっちのお蕎麦食べる? 私おばぁちゃんのお蕎麦食べたし、うどん食べるよ」

「あら珊瑚ちゃん、うどんとお蕎麦だとうどんの方が太るのよ」

「大丈夫だよ、宗にぃ。うどんもお蕎麦も変わらないって。いただきまーす」

「珊瑚まで!」


 兄妹の譲り合いなど、太る太らないの話の前には無力だ。

 そう判断し二度目の年越し蕎麦をすすれば、宗にぃも諦めたのかうどんの入った器に箸を伸ばした。



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