第19話 今日と言う日のための一張羅
ショッピングモールに入り、珊瑚が腕時計に視線を落とした。
「まだ時間がありますよね。どこに行きましょうか」
そう話し、次いで壁に張られている案内版とその横にあるポスターへと視線をやった。
ポスターにはクリスマス期間中モール内で行われるイベントの詳細が書かれている。メインはやはり夜のプロジェクションマッピングで、ポスターの一角を占めている。
だがそれ以外にも日中からイベントが行われており、時間帯によってはサンタクロースと記念撮影なんてものもあるらしい。
そんなタイムスケジュールを眺めていた珊瑚が「実稲ちゃん」と呟いた。
つられて見れば、タイムスケジュールの一部、屋外ステージで行われるイベントのゲスト枠に『東雲実稲』の名前と見知った顔写真が掲載されていた。
「凄いな、あいつ本当にゲストに出るんだ。出演ドラマの事まで書いてある」
「呼ばれて当然ですよ。だって実稲ちゃんは地元出身の人気モデルですからね! むしろ今や女優ですよ!」
「それを本人に言ってやれば喜ぶと思うけど」
「喜んで煩くなるので言いません」
珊瑚の断言は友情があるのか無いのか絶妙なところだが、俺も「同感だな」と返しておいた。
酷いと言うなかれ。東雲は俺のライバル。敵に塩を送ることはしない。……まぁ、珊瑚の希望なのでイベントは見守る予定だけど。
「東雲が出るステージまではまだ少し時間があるな。外で待ってると冷えるから、少しモールの中を見て回るか」
そう提案し、幾つか店を覗きながら並んで歩く。
屋内は暖かく、しばらくすると暖かくなってきたのか珊瑚がマフラーを解いてコートも脱いで腕に掛けた。
オフホワイトのニットが妙に眩しく見える。つまり可愛い。「マフラーにも猫の毛が」と楽しそうに話す表情も可愛い。――ちなみに彼女のマフラーも猫カフェではロッカーに入れておいたのだが、猫の毛というのはどこまでもついてくるようだ――
しばらくはモール内を見て回って時間を潰す。雑貨屋をはじめモールには多種多様な店があり、なおかつクリスマスだけあって広場や通路に臨時の店舗も出ている。あれこれ話しながら歩けば時間などあっというまだ。
中でも一番時間を費やしたのが、高校生の男女二人が行きそうにもないベビー用品売り場。
こんな重要な時にどこに行っているのかと呆れてくれるな。珊瑚が「何が必要か教えてください、プロ!」と嬉しそうにベビー用品売場に俺を引っ張っていったのだ。「誰がプロだ!」と文句を言いつつ、それでもあれこれと教えてやった。……プロではない、ちょっと詳しいだけだ。
そうしてモール内を歩いていると、「珊瑚ちゃん!」と聞き慣れた声と共に相変わらずな人物が珊瑚に飛びついてきた。
言わずもがな東雲である。大きなリボンの着いたセーターは小柄で幼い顔付きの彼女によく似合っており、ミニスカートから伸びる足はさすがモデルと言えるほどすらりと長い。
先程ポスターで見た顔が目の前にあるのはなんとも不思議な感覚だ。
そんな東雲はキラキラとした瞳で珊瑚を見て、次いで俺を見て、再び珊瑚を見て、と数度繰り返した後、
「敵に塩を送っていたのね……!」
そう嘆き、よろよろと数歩進むと壁に寄りかかった。
全身から漂う悲壮感と言ったら無く、これが蒼坂高校の校舎内であったならもっと派手に嘆いてその場に頽れていただろう。それほどなのだ。
東雲の派手な嘆きと分かりやすい絶望に、珊瑚が慌てて彼女を宥めだす。
ところで、敵に塩とはどういうことだろうか。
先程俺も同じような事を考えたのだが、もしかしてこの場合の敵とは俺の事だろうか。いや、確実に俺だろう。しかし塩とは?
「珊瑚ちゃんが買い物に付き合ってくれって言うから浮かれてたけど、あの時既に実稲の絶望は始まっていたのね……!」
「み、実稲ちゃん! その話は……!」
「そりゃあ確かに買い物は楽しかったわ。ファッションは実稲の得意分野、それを大親友の珊瑚ちゃんに頼られるのは嬉しかった! 夢心地で選んだわ! でもこんなのって無い!」
「実稲ちゃん黙って!」
痺れを切らしたように珊瑚が声を荒らげる。普段よりも叱咤の声に必死さを感じるのは気のせいだろうか。
俺としては話の流れがさっぱり分からず、二人のやりとりを眺めるしかない。
「ほら実稲ちゃん、もうすぐステージに出るんでしょ? 早く行かなきゃ!」
「そうなの……、そろそろ出番なの。でも今の実稲は傷心中だからステージ上でクリスマスツリー蹴っ飛ばしちゃいそう……」
「実稲ちゃんてば、もう!」
「メリークリスマスなんて言葉よりも呪いの言葉が口を突いて出そう……」
東雲は悲痛な声で嘆き続け、それに対して珊瑚はいまだ慌てた様子だ。どうにも珊瑚は話を切り上げたいようで、「早く」だの「待たせちゃうから」と東雲を急かしている。
東雲が嘆く理由も、珊瑚が急かす理由も、ましてや珊瑚の頬が赤い理由もやはり俺には分からず、そんな俺を東雲がきつく睨みつけてきた。
今日も今日とて敵意が凄い。いや、今日は一段と敵意を感じる。
「今日の珊瑚ちゃんの服、可愛いですよね。……すっごく似合ってて、とっても可愛いですよね!!」
睨みつけて尋ねてくる東雲からは怒気すら感じさせる。だがその意図はさっぱりだ。
それでも俺ははっきりと――さすがに珊瑚を直視してではないがチラと一瞥して――頷いて返した。
可愛い、と本人を前にして口にするのは恥ずかしいが、かといって否定も誤魔化す気もない。
だからこそ分かるように頷いたのだ。これは東雲への返事と言うより、珊瑚に伝わるように……という思いの方が強い。
そんな俺に対して東雲は一際きつく睨みつけてくると、
「でしょうね! 実稲がコーディネートしたんだもの当然よね!」
そう声をあげ、おまけに「滅びてしまいなさい!」という恨みのこもった捨て台詞と共に去っていった。
小柄な東雲の後ろ姿はすぐに人込みに紛れて見えなくなってしまう。相変わらず突然現れ騒いで居なくなる。
そうして、残されたのはもちろん俺と珊瑚。
どちらも何も言えず、もう東雲の姿は無いと分かっていても人混みを見続けた。
互いの顔を見られないのだ。お互い無言で立ち尽くす俺達は、傍目には不審に映るだろうか……。
「えーっと……」
思わず白々しい言葉を漏らしてしまう。
あまりの展開、まさに台風の如く現れてはひっかき回して去っていった東雲。だが彼女の言わんとしていたことは理解できた。
珊瑚が今日着ている服は東雲が見立てたもので、珊瑚は自ら彼女にそれを頼んで二人で買い物に行った……。というわけだ。
クリスマスを俺と過ごすために。
つまりこの可愛らしい服装は、今日のためにわざわざ用意してくれたわけで……。
そう考えて俺が口元を押さえたのは、頬が緩むのを隠すためと顔が赤くなるのを自覚して隠すためである。もっとも珊瑚は俺以上に真っ赤で、頭上から湯気が出そうなほどだ。そりゃあんな暴露をされたら誰だって赤くなるというもの。
そんな珊瑚に対し、俺は意を決して正面から彼女を見据えた。
ここまできたら恥ずかしいなんて言ってられない。
これに応えないのは男じゃない。
「……す、すごく可愛い。本当、マジで、可愛い」
「あ、ありがとう、ございます……」
しどろもどろながらに必死に誉めれば、真っ赤になった珊瑚が視線を泳がせながらも応える。
ニットの胸元をぎゅっと掴むのは恥ずかしいからだろうか。だがそのニットもまた可愛さの一端を担っており、もぞもぞと落ち着き無く手元を動かす仕草も今の俺には堪らない。
だからこそもう一度「可愛い」と褒めれば、限界が来たのか珊瑚が「もうそのへんで」と上擦った声で制止してきた。
「あの、け、健吾先輩も……その、上着、凄く素敵です。普段の学校でのコートと違って、なんだか大人っぽくて……」
赤くなった珊瑚が、しどろもどろながらに俺を褒めてくる。
これに対して俺はまさか自分の番が来るとは思わず、思わず言葉を詰まらせてしまった。
だけど黙ってはいられない。伝えなければ……。と己を鼓舞する。
「俺も、その……、今日のために買ったんだ。上着……」
だから同じだ。同じくらい、今日を楽しみにしていたんだ。
そんな想いを込めて伝えれば、珊瑚は一瞬目を丸くさせ……、次いで頬を赤くさせたまま「同じですね」と柔らかく微笑んだ。
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