第9話 天国か地獄か買物行脚



 

「……あんたねぇ」


 と、呆れを露わにした声を出すのは桐生先輩。

 渋い色合いの着物を纏いゆったりと歩く様はまさに和を感じさせ、この街並みとよく似合っている。

 もっとも、彼女自身はそんな自分の姿より先程の木戸の発言の方が重要なようで、呆れ顔どころか不満を露わに木戸を睨みつけた。

 着物姿を見せた途端に『ありがとうございます』なのだから、彼女が不満を訴えるのも仕方あるまい。とりわけ店中の視線を集めたうえでのあの発言なのだ。

 あれはさすがに俺も本気で引いてしまった。ただ月見だけは苦笑を浮かべながら「言い間違えちゃったんだよね」と木戸をフォローしており、その優しさは着物と合わさって奥ゆかしさすら感じさせる。


「色々と誉めようと考えてたんですけど、考え過ぎるあまりに熱い想いが弾けました」


 まったく悪びれる様子も、ましてや己の発言を恥じる様子もなく、木戸が堂々と桐生先輩に説明する。

 それについての桐生先輩の返答はなく、彼女は代わりに盛大な溜息を吐いた。もはや言葉も無いのだろう。


「お前なぁ、せめて月見のフォローに乗って言い間違いってことにしておけよ」

「いやだって仕方ないだろ、こんなに似合ってるんだから」


 俺は間違えていない、とさえ言いたげな木戸の態度に、俺まで溜息を吐いてしまう。


 確かに月見と桐生先輩の着物姿は美しく圧巻で、二人に対して恋愛感情を抱いていない俺でさえ見惚れるものだった。『綺麗』だとか『可愛い』だとか、そんな在り来たりな言葉では言い尽くせない魅力である。

 だけどさすがに「ありがとうございます」は無い。

 あれは無い、断言できるほどに無い。


 だというのに木戸は自分の発言を省みようともしないのだから、これは何を言っても無駄か……と、こちらが折れてしまう。

 恥ずかしい思いもしたが、どうせ聞いていたのは旅先の喫茶店で居合わせた客達だ。いわゆる旅の恥は掻き捨てである。……楠木荘で出くわす恐れはあるが。


 だがそれを嘆いていても仕方ない。

 ここは気持ちを切り替え、せめて着飾った二人の写真を撮って戻ってきた宗佐に見せてやろう。宗佐は喜ぶに決まっているし、もしかしたら二人の着物を誉める宗佐に触発されて珊瑚も元気を取り戻すかもしれない。

 そう考えて上着のポケットから携帯電話を取り出そうとし……、


 連続するシャッター音と、そして立派なカメラを構える木戸の姿に、手にした携帯電話をそっとポケットに戻した。


 ……一眼レフとか、本気を出すにも程がある。


「木戸、俺は本気で引いてるからな」

「いや、だって、こんな、チャンス、滅多にない、から。それに、ちゃんと、現像して、渡すし」

「話の合間にシャッターを押すな! いや、むしろシャッターの合間に俺に返事をするな!」


 カシャンカシャンと重みのある本格的なカメラ独特のシャッター音をかき鳴らす木戸に、思わず冷ややかな視線を向けてしまう。

 もっとも木戸は目の前の被写体に夢中で俺の視線なんぞ気にもとめてないのだが。それがまた更に俺の気持ちを凍てつかせる。悪循環だ。

 だけど確かに、この和に徹した町並みと美少女二人の着物姿はこれ以上ないほど絵になっており、写真が趣味なら――趣味だと思いたい。まさかストーカー目的の一丸レフじゃないよな……――是非にと思うだろう。

 熱が入ってシャッター音を掻き鳴らすのも頷ける。ひとまずそういう事にしておこう。


 なにより、桐生先輩だけではなく月見も写真に撮っているあたり、『現像して渡す』というのも事実なのだろう。

 最初こそ一丸レフの登場に緊張していた月見も、今では「凄いカメラだね、楽しみ」と柔らかな笑みをレンズに向けている。



 そうして写真を撮りつつ歩き、撮りつつ歩き、ゆっくりと和の街を進む。さすが時代劇の撮影に使われるだけあり撮影スポットも多く、その度にシャッター音が鳴り響いていた。

 そんな状態なのだ、俺達の歩みはだいぶ遅い。だが元々これといった目的もなくそのうえ月見と桐生先輩は着物なのだ、そうそう活発に動く気にもならず、合間合間の写真撮影は二人にとっても良い休憩になるのかもしれない。

 更に言えば街中には小さな土産屋や小物屋が点在しており、月見と桐生先輩がほぼ全ての店に入ってはこじんまりとした狭さなのに十分二十分を余裕で費やすという、まさに遅々を極めた進みである。



「女の人って買い物好きだよなぁ」


 とは、店先で月見と桐生先輩が出てくるのを待つ俺の心からの台詞である。

 ちなみに目の前の店は和物の雑貨屋で、四人で入店して俺はニ分で出てきた。隣に立つ木戸は三分である。

 店自体そう広いわけでもなく、そのうえ扱っているものは今まで入ってきた店でも見かけたような代物ばかり。これといって目新しいものがあるわけでもなく、店内を見ながらささっと一周して終わりである。

 ……少なくとも、俺達はそうだった。


「男には分からない世界だよな。たぶん、見えてるもんが違うんだろ」


 とは、カメラのモニターを見ながら今まで撮った写真を整理している木戸。

 同意見だと頷いて返し、手持ち無沙汰になった俺は鞄の中にしまい込んでいた地図を開いた。いつの間にやら道案内は月見の役になり、それに甘えて観光マップは貰うだけ貰って鞄の中に押し込んだままだ。

 といってもどこか行きたいところがあるわけでもないのだが、この店巡りがいったいいつまで続くのか、調べて覚悟しておくぐらいはできるだろう。


 そんなことを考えながら地図を広げ、観光マップらしい写真やイラストの掲載されたそれと周囲の景色を照らし合わせて現在地を探り……。


「こ、この道の終わりに大型の土産屋がある……!」


 と、思わず声をあげた。

 さすがにこれには木戸もカメラから顔を上げる。それどころか、俺達と同じように店の前で暇そうにしていた数人の男達までもが慌てて地図を取り出した。


「マジかよ……。今までだって店はあっただろ」

「見てみろ。現在地はここで、そろそろ折り返しに着くはずだ。そしてこの折り返し地点に……」


 説明しながら地図上の一点を指さす。


 和に徹した街並みの終わり、折り返し地点に当たる場所にはとりわけ大きく描かれた店のイラスト。そこには可愛らしい文字で、

『近隣で一番大きなお土産屋さん!』

 と紹介文が書かれていた。


 はたしてこの紹介文を書いた人は、この一文で観光客の瞳を輝かせたかったのか、それとも買い物行脚の最後の難関として瞳を濁らせたかったのか。

 少なくとも俺と木戸は後者である。この紹介文に心弾ませることはなく、その店でどれほど時間を費やすのかを考えて揃えたように溜息を吐いた。

 目の前の小さな店でさえ、既に十分が経過しているのに……。


「どっかに漫画喫茶とかないのか?」

「さすがに無いな……。でも見てみろよ、この店を囲むように喫茶店が点在してる」

「なるほど男の避難場所か」


 きっと店内は魂の抜けきった表情の男達で溢れかえっているのだろう。バーゲン期間のデパートなんかで良く見かける光景である。

 俺達もあれになるのか……と考えるとなんとも切ない。だが行く末が分かっていても、この買物行脚を止める術も無ければ止める気もないのだ。従うまでである。

 そんなことを考えていると、木戸がフルリと体を震わせて慌てたように周囲を見回した。どうやらまだ見られているような寒気がするらしい。


「なんか恨みでも買ったんじゃないか?」

「馬鹿言うなよ、俺はここに来るの初めてなんだぞ。それに恨みなんて……いや、でもまさか……」


 思い当たる節があるのか、木戸が考え込むように視線を泳がせると「さすがにここまでは」だの「どっかからバレたのか」だのと呟いている。

 内容こそ分からないが穏やかでないその呟きに、俺はどうしたのかと尋ねようとし……、


「ごめんね二人共、お待たせ」

「さ、次のお店に行きましょう! この通りの最後に大きなお店があるらしいの。テンポよく進まなきゃ。ねぇ、月見さん」

「はい!」


 そう瞳を輝かせながら店から出てきて、早々に次の店へと吸い寄せられていく月見と桐生先輩に言葉を失いながらもその後を追った。

 あぁ、きっと俺達も今魂の抜けきった顔をしているんだろうな……と思いつつ。





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