第6話 王位継承問題
台本が完成し端役や裏方まで決まれば、あとはひたすら練習と準備の日々だ。
放課後になれば机と椅子を隅に寄せ、役を割り振られた者達が教室の半分を使って練習し、小道具や衣装係がもう半分で制作に励む。
幸いなことに美術室の一部を借りられたので大道具はそっちで作り、音響や経理係は決まった場所を設けず空いたスペースを見つけて進めている。
だがクラスの半分以上が部活や委員会に所属しているため、毎日全員がクラスの出し物に時間を割けられるわけではない。
とりわけ文化祭が年に一度の晴れ舞台でもある文化部はそちらに比重が偏っており、三日に一度手伝えれば良い方だ。薄情と思うなかれ、中にはこの日のために一年間を費やしている部活もあるのだ。
現に、今も机を移動させるや数名のクラスメイトが「ごめん、今日は部活の方に行く!」と走って行った。逆に、あと三十分ほどすれば委員会や呼び出しで出払っている者達が戻ってくる。
そういった慌ただしさの中、それぞれの場所に着いて作業に取り掛かる。
俺はと言えば、舞台上の出番こそ無いが練習組だ。真剣な顔をした監督役に「ぶっちゃけ誰より大変な役割だ」と肩を叩かれたのは記憶に新しい。
……そして練習開始から二週間が経った今、本当に誰よりも大変な役だと実感している。
「えぇっと……な、なんて……。なんて……なお嬢さんだ!」
「宗佐! 何度言ったら分かる! 台詞を誤魔化すな!」
「仕方ないだろ! 読めないんだから!」
「読めない漢字があったら事前に振り仮名ふっとけって言っただろ! きれいだ、き・れ・い!」
「な、なんて綺麗なお嬢さんだ! 僕と踊ってくだしぁ!」
「噛むな!!」
この通り、宗佐がまったく使い物にならないのだ。
台詞を覚えられるか否か以前の問題で、まず漢字が読めない。大事な台詞に限ってやたらと噛むし、自分の台詞に集中すると周囲の台詞が耳に入らなくなる。そこに演技も合わせれば目も当てられない。
大根役者どころの騒ぎではない。無様の一言だ。
「駄目だ、宗佐のパートは飛ばして他のとこ練習しててくれ」
使い物にならない宗佐に呆れ果てながら監督に告げれば、苦笑と共に「大変だな」と背中を叩かれた。
あぁ、大変だとも。
初日から投げ出したくなったさ。
成長を感じるどころか、日に日に駄目になっていくような絶望さえ感じているぐらいだ。
そんな疲労感を漂わせていると、それを察したのか月見が案じるように俺の顔を覗き込んできた。
ちなみに、月見は既に殆どの台詞を覚えきっている。元々記憶力が良い方だし、加えて真面目な性格から台本を受け取って以降時間を見つけては練習していたのだろう。初日の台詞合わせでは誰もが驚かされたほどだ。
「悪いな、月見。宗佐がまだ使い物にならなくて練習が進まないだろ」
「そんなことないよ。芝浦君も頑張ってるみたいだし、それに敷島君も大変でしょ」
「大変だ。凄く大変だ。何度あいつを殴ってやろうかと思ったことか。……というか、今日までに五発くらいは殴った」
「ぼ、暴力は駄目だよぉ……。でも敷島君偉いね、自分は出ないのに台詞の調整とかしてるんでしょ?」
俺を気遣ってか労ってくれる月見に「宗佐は読めない漢字が多すぎて」と肩を竦めて返した。
冗談だと取ったのか、それを聞いた月見が笑う。……まぁ、先程のやりとりの通りあながち冗談ではないのだが、ここは深く説明せずに流しておこう。
そう考えながら窓辺にもたれかかり月見と話していると、宗佐が衣装係に呼ばれるのが見えた。
全体練習に加え、照明係と立ち位置の相談や音響とのタイミング調整。衣装合わせ……と、宗佐も――ポンコツ役者なわりに――忙しそうだ。
そんな宗佐と入れ替わる様に、衣装合わせを終えた西園がこちらに歩いてきた。
白いシャツに金ボタンの青いベスト、黒いズボンとハイブーツ。まだ仮段階で装飾品は一つも着けていないのに、元々のスタイルと見目の良さもあってか既に様になっている。今の状態で舞台に立っても映えるに違いない。
正直なところ、今の西園を見ていると彼女が王子役でもなんら問題はないような気がしてくる。むしろそっちの方がスムーズにいくのでは……。
西園が王子なら珊瑚も亡命しないだろうし。
「仮衣装らしいけど、なんか恥ずかしいな……」
「恥ずかしいなんてことないよ、麗ちゃん凄い似合ってる!」
西園を褒める月見の瞳はこれでもかと輝いている。
だが確かに西園の衣装姿は格好良く、男の俺でも見惚れかねないほどだ。
それどころか、委員長と監督係が付き人の出番を増やそうと相談しているのが聞こえてくる。客受け間違い無しと考えたのだろう。同感だ。
「ポンコツ王子よりよっぽど様になってるな」
「そのポンコツ王子は今衣装合わせしてるよ。芝浦の次は月見ちゃんだって」
「私の衣装も準備できてるの? な、なんか恥ずかしくなってきちゃった」
まだ着替えてすらいないというのに、月見が気恥ずかしそうに頬を赤くさせる。
それを見た西園が「道連れだよ」と苦笑を浮かべた。なんというか、二人が仲睦まじくしている様はまさに王子と姫である。
そんなまさに『お似合いなカップル』を眺めていると、背後で物音がした。わざわざ確認しなくとも分かる、窓から寄ってくる人物と言えば……。
「よぉ妹、毎日宗佐の監視ご苦労さん」
「先輩の妹じゃありませんけど、宗にぃに関しては苦労してます……」
と、いつもの勢いはどこへやら、珊瑚が疲労を漂わせながら立っていた。盛大な溜息を吐き、疲労を漂わせて肩を落とす。
大袈裟……とは思うまい。
台本が配られて以降、毎夜報告を貰っているのだが、文面から漂う疲労感が日に日に濃くなっているのだ。
最初の数日こそ意欲的な報告の文面と共に台本を読む宗佐の写真が添付されていたのだが、数日経つと文面から覇気が無くなり写真に写る宗佐もぶれたり見切れたりし始め、一昨日からは二言三言の報告と猫の写真が送られるようになった。
そして昨日に至っては文章も無く猫の写真のみである。
二週間を掛けて鋭気が徐々に無くなっていく様はなんとも言えず、頼み込んだ身として申し訳無さすら抱いてしまう。
「宗にぃの記憶力の無さは妹ながらに危機感を覚えます。というか、芝浦家としては台本以前に対処しなくてはならないことがあるような……」
「妹、とりあえず今は芝浦家の問題の前に文化祭だ。これが上手くいけば、あとは宗佐を改造するなり戸籍から消すなりしてくれ」
「出来れば存在を維持しつつ対処したいんですが……」
溜息交じりに呟きつつ、珊瑚がふと顔をあげた。
その瞬間、彼女から漂っていた疲労感が一瞬にして消え去り、途端に瞳が輝きだす。
それもそのはず、なにせ珊瑚の前には王子様が……もとい、王子様のような付き人がいるのだから。
「麗先輩、凄い! 格好良いです!」
「そ、そうかな。ありがとう珊瑚ちゃん」
「付き人なんてもったいない。麗先輩、王子様みたいです!」
キラキラとした瞳で珊瑚が西園を褒めちぎれば、月見もうんうんと頷いて同意を示す。
確かに西園は王子そのものだ。といっても纏っている衣装は未完成で飾り一つ着いておらず、それどころかサイズ合わせのためにあちこちに安全ピンが着いている始末。
だがそれでも、元より持ち合わせている中性的な魅力と抜群のスタイルの良さが西園を王子にしているのだ。持って生まれた素質というものなのだろう。
これで衣装が完成したらいったいどうなるのか。更に本番では舞台映えのため化粧まで施す予定なのだから、更に魅力が増して……。
「麗先輩が王子様だったら良いのになぁ……」
西園に見惚れ熱っぽい時を漏らしながら呟く珊瑚に、俺はどう対処していいのか分からずにいた。
おかしい。
月見が西園を褒めていた時は同意だと素直に認められたのに、今は賛同の言葉が出てこない。
そんな俺の困惑を他所に、珊瑚はふと何かを思いついたように俺と西園に交互に視線を向けた。
そうして一言、
「健吾先輩も、付き人役やれば良いのに」
と、それどころか「もったいない」とまで言ってきた。
「……えっ」
「健吾先輩、背が高いし、きっと格好良いと思いますよ」
「え、妹、ちょっと待て……!」
なんだ、突然どうした!?
何の前触れもなく予想外のことを、それもよりにもよって珊瑚から言われ、情けないかな慌てふためいてしまう。
こいつが俺を褒めるなんて今まであっただろうか。それも『格好良い』なんて……。
雨か! さては雨が降るんだな!?
なんてこった傘持ってきてないぞ!
と、このように突然の展開に普段通り茶化して返すことも出来ずにいると、見かねたのか西園が「そうだね」と助け舟をだしてくれた。
……妙に意地の悪い笑みを一瞬俺に向けてから助け舟を出すあたり、彼女が俺をどう思っているのか聞きたい所ではあるのだが。
「確かに敷島も似合いそうだね。背が高いし、体格も良いしさ」
「うん、きっとかっこよくなると思う。敷島君も劇に出ればいいのに!」
西園の言葉に、月見まで乗ってくる。もっとも月見は助け舟とは思わず純粋に褒めてくれているのだろう。
彼女達に対して俺はと言えば、嬉しさと恥ずかしさが混ざり合ってどう答えていいのか分からずにいた。
恥ずかしがるな、という方がおかしな話。俺だってまともな男子高校生なのだ。
異性に褒められれば気恥ずかしさが増し、返事が思い浮かばずに雑に頭を掻くしかない。
「冷やかすのは止めろよ。俺はそういうの柄じゃないから」
「冷やかしじゃなくて、本当に敷島も似合うと思ってるよ。でも王子っていうより騎士って感じかな。ねぇ珊瑚ちゃん?」
俺の動揺を確信しているのか否か、西園が屈託のない表情で珊瑚に同意を求める。
それを受けた珊瑚はその光景を想像しているのか俺を見つめたのち、大きく一度頷いた。
「確かに健吾先輩は騎士って感じですね。逞しい騎士です!」
「そ、そうか……?」
「はい! 健吾先輩が騎士なら、私と……」
ふいに語尾を濁し、珊瑚がじっと俺を見上げてくる。
『私と』いったい何なのか、勿体ぶるようなその言い方に俺の心臓が早鐘のように鳴り出し、続く言葉を待つ。
「健吾先輩が騎士なら、私と一緒に
と、いつもの悪巧みの表情を浮かべた。
その一言に、俺は今の今まで頭の中を占めていた混乱や緊張が一瞬にして引いていくのを感じ、
「……芝浦王家の御家騒動に巻き込まないでくれ」
と答えるのが精いっぱいだった。
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