川口直人 92
岡本はこれから用事があるからと言って先に帰って行った。残された俺と和也は互いに向き合ったまま暫く無言で珈琲を飲んでいた。
「兄ちゃん…大丈夫?」
和也が心配そうに声を掛けて来た。
「ん?ああ…全くとんでもない話だ…」
椅子に深くかけ直すとため息をついた。
「本当に…話に聞いていた通りの身勝手な人だね。岡本って人。それに鈴音さんのお姉さんもおかしいよ」
和也は不満そうに唇を尖らせた。
「岡本は元からああいう人間なんだろう。だけど、鈴音のお姉さんは…複雑な身の上だし、心を病んでしまったんだ。仕方ないさ…。それに多分彼女は俺達の味方…だと思う」
俺の言葉に和也が不思議そうに首を傾げる。
「何でそう思うんだい?」
「うん?ただの勘だ」
そして俺は残りのコーヒーを飲みほした―。
****
和也と別れた後、久しぶりに俺と鈴音が幸せな時を過ごした…新小岩駅から歩いて5分のあのマンションの前に立っていた。
「ほんの…数カ月前だって言うのに…随分懐かしく感じるな…」
俺は白い息を吐きながら鈴音と、自分が住んでいたマンションを見比べる。あの頃は本当に幸せだった。結婚相手は鈴音しかいないと思っていた。そこをあの親子が現れて…俺と鈴音を無理やり引き離した。
「もう…同じ失敗は繰り返すものか…。鈴音を信じるんだ…」
そして背を向けると、俺は実家へ足を向けた―。
****
23時―
俺は電話で和也と話をしていた。
「和也、今日はすまなかったな」
『ううん、いいよ。協力するって話しただろう?それにしても父さんと母さん…すごく驚いていたよ。まさかもう鈴音さんと結婚するかもしれないって話をしたなんて思わなかったよ。しかも、式には来ないでくれって話したんだって?』
「そうだよ。鈴音の事は信じたいけど…もし、万が一にでも鈴音が俺との結婚を拒んだら…結婚式なんか挙げられるはずないだろう?しかも場所は千葉なんだから…わざわざ足を運んでもらうのも悪いしな」
口では鈴音が俺のプロポーズを受けるに決まっているなんて言っておきながら、本当はすごく不安だった。何よりあの岡本が随分自信たっぷりだったのも気に入らなかった。ひょっとしたらあいつは俺が鈴音の傍にいる事が出来ない間、アプローチを続け、鈴音の心を奪ってしまうのではないかと不安があった。もしくは俺の事も岡本の事も選ばない…その可能性だってあるのだから。
『う~ん…まぁ、父さんも母さんも納得していたから…俺は別にそれでも構わないけどさ』
良心は俺に負い目があるから、今回の俺と岡本の…人生を掛けた賭けに口を挟めないでいるのは分っていた。
「鈴音は職場の先輩からの告白を断っているんだ。きっと…まだ心の中で俺の事を待ってくれているんだと信じるよ。それで…和也。お前に頼みがあるんだけど…」
『いいよ、何?』
「今度の休み…レンタル衣装店に…ついてきてくれるか…?」
顔を赤らめながら、俺は和也に電話越しに頭を下げた―。
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