川口直人 30

 翌朝6時―


ピピピピピ…


「う…ん…」


スマホにセットしたアラームが鳴っている。手さぐりでスマホを探し、アラームを止めるとベッドから起き上がった。


「全く…」


溜息をつきながら前髪をかき上げた。

加藤さんが無事に退院し、7カ月ぶりにようやく会えたと言うのに最悪の気分の目覚めだった。


「…全部あいつのせいだ…」


朝から酷く落ち込んだ気分になり、ため息をついた。




 今日は引っ越しの依頼が立て続けに入っていた。そこで仕事着に着換えると、そのまま部屋を出た。


「コンビニによって昼ご飯を買っておくか…」


マンションの鍵を掛けながら、再び俺はためいきをついた―。




****


「…」


俺は開いた口が塞がらなかった。信じられない…。何て偶然なんだろう。コンビニのパン売り場にはだぶだぶのTシャツに大きすぎるジーンズ姿の加藤さんの姿があった。長い髪をゴムでまとめ、ほっそりした首筋が覗いている。その姿、全てが愛らしかった。

彼女は真剣な表情でパンを選んでいた。


そうだ、何食わぬ顔で彼女に声を掛けるんだ…。


心臓をドキドキさせながら俺は口を開いた。


「あれ…?加藤さん…?」


「え?」


加藤さんは驚いた様に目を見張って振り返った。そのしぐさにますます心臓の音が高鳴る。


「あ、お・おはよう」


何故か俺の顔を見ると、彼女は伏し目がちに挨拶をしてきた。…ひょっとすると昨夜の事を気にしているのだろうか?


「うん、おはよう。パン…買いに来たの?」


大丈夫、加藤さんは何も気にする事は無いよ…。だから安心させる為に笑顔で尋ねた。すると彼女も少し笑みを浮かべながら答えてくれた。


「そうなの。ずっと入院していたから…家に何も食べるものが無くて。川口さんはこれから出勤なの?」


「そうだよ。お昼の弁当を買いに来たんだ。今日は立て続けに仕事が入っていて忙しいから今のうちに弁当を買っておこうかと思ってね」


加藤さんは俺の持っているレジ袋を見た。


「あの…昨夜はごめんなさい」


不意に彼女は頭を下げて来た。


「ああ…あの事?」


あいつの顔を思い出すだけでムカムカするが、加藤さんの前ではそんな事おくびにも出せない。


「う、うん…亮平が酷い事言ったみたいで…。でも会えて良かった。直接謝る事…出来たから」


会えて良かった…。


その言葉が俺の胸に染み入る。


「加藤さん…」


思わず名を呼んだ時―。


「あ、ごめんね?忙しいのに引き留めちゃって…それじゃ私、もう行くね。お仕事、大変だろうけど頑張ってね」


そして加藤さんはそのまま俺に背を向けてしまった。


行かないでくれっ!


「待って!」


気付けば引き留めていた。


「え?」


驚いた様に振り向く加藤さんに…俺は言った。


「今夜7時…あの焼き鳥屋の店の前で待ってる」


「え…?」


途惑った顔で彼女は俺を見た。


「それじゃ!」


何か言われる前に俺はまるで逃げる様に店を出た。


強引なのは分っていた。でも、それでも加藤さんとの距離を縮めたかった。あいつよりもずっと…近い存在になりたかった。


ごめん、加藤さん…。


俺は卑怯な男だ。こんな形で約束を取り付けるなんて…。


自己嫌悪にさいなまされながら、俺は職場へ向かった―。

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