第19章 9 今年の初仕事

 翌朝―


 早番だった私はいつもの朝よりも少し早めに職場に自転車で向かった。1月3日の朝はとても寒く、ダウンコートにマフラー、手袋をはめて白い息を吐きながら自転車を漕いだ。駅前を通りかかると普段の朝よりは人もまばらだった。旅行会社のようなサービス会社は一般企業よりも初仕事が早い。だからあまり駅を利用する人が少ないのかも。



キーッ


 自転車で片道きっちり7分。今日も一番乗りで出勤してくると、いつもの場所に自転車を止めてシャッターの鍵を開け、シャッターを上げた。そして店の中へ入ると開店の準備を始めた。


 

 店の前を箒で掃いていると、背後から声を掛けられた。


「明けましておめでとう」


ドキッ!


その声に私は心臓が飛び跳ねそうになった。だって、その声の主は…。


「あ、明けましておめでとうございます。太田先輩…」


ペコリと頭を下げた。どうしよう…どんな顔して先輩を見れば良いんだろう?俯いたまま悩んでいると、不意にポンと頭に手を置かれた。


「…いつまでもそんな格好してないで、顔を見せて欲しいな」


その声は今迄聞いたことが無い程に優しい声だった。


「…」


おずおずと顔を上げると、そこには笑顔で私を見ている太田先輩が立っていた。


「今年もよろしく」


太田先輩は私の頭を一撫ですると店舗の中へ消えていった…。


「び、びっくりした…」


思わず口に出してしまった―。



 その後も続々と社員さん達が出勤し、皆で新年の朝礼をした後にお店はオープンした。




 午前11時―

 

 お客様からの電話を受けていると横から視線を感じた。チラリと見ると隣の席に座っている井上くんが私の方を見ている。


パチリと目が合ってしまうと、井上君はバツが悪そうにサッと視線をそらせた。

まただ…。

井上くんと視線が合うのは今日で3度目。きっと私に何か聞きたいんだろうな。電話を受けながら心の中でため息を付いた。



「はい、ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」


カチャ…


電話を切って井上くんの方をチラリと見るけれども何故か私と視線を合わそうとしない。それにどうやら井上くんが見ているのは私だけでは無かった。カウンター席に座り接客をしている太田先輩の事も時折凝視している。


はぁ…面倒な事にならなければいいけど…。仕事始め早々に憂鬱な気分になってしまった―。




 お昼休みの時間になった。


デスク周りを片付けて、貴重品を持って立ち上がると井上君が声を掛けてきた。


「加藤さん、お昼行くんだよね?」


「う、うん。そうだけど?」


「そっか…俺は遅番なんだ」


「うん。知ってるよ」


「…気をつけて行ってきて」


「え?う、うん…」


首を傾げながらも返事をして係長に挨拶をすると私はロッカールームへ向かった。




 上着を着て通用口から外に出て繁華街へ向かって歩き始めると、前方に太田先輩の後ろ姿が見えた。そっか…先輩も早番だったからこれからお昼なんだ。


「…」


いつもの私なら先輩に声掛けて2人で一緒にランチに行ってたけれども、あんな告白までされてしまってはどんな顔して食事すれば良いか分からない。ここはお互いの為に声を掛けないほうがいいかも…。

そしてふと気づくとすぐ目の前にチェーン店のカフェが目に止まった。よし、ここに入ってしまおう。太田先輩はまだ先を歩いているし、私の存在には気付いていないから丁度よいかも。


そこで私は早速店のドアを開けた。



カランカラン


 お店の中はさほど混んでいなかった。ランチを取るには丁度良いかも。メニュー表を見て、カフェオレとハムとカマンベールチーズのパニーニとグリーンサラダを注文してカウンターで商品を受け取ると窓際のカウンター・テーブルに向かって食事を始め…思わず喉に詰まりそうになってしまった。だって目の前のガラス越しに太田先輩が笑顔で手を振っていたから。

そして太田先輩は案の定店内へと入っていく姿が見えた。

ああ…きっと先輩はここに来るんだろうな…。覚悟を決めて食事をしていると太田先輩がトレーを持って立っていた。


「隣、いいかな?」


「ど、どうぞ」


「お邪魔します」


太田先輩はトレーを置くと私の隣に座った。トレーの上にはコーヒーとボロネーゼパスタが乗っている。


「実はさ、年末に年越しそばを食べそこなっていたから蕎麦屋に行ったら店が休みだったんだよ。それで何処で食べようか迷っていたら加藤さんが外から座っているのが見えたからさ。お邪魔じゃ無かったかな?」


太田先輩はにこやかに尋ねて来た。


「い、いえ。そんな事無いですよ?」


何食わぬ顔で答えるけど、心臓がドクドクなっている。まさか私がこの店にいるの知ってたわけじゃないよね?


しかし緊張している私に気付いていないのか、太田先輩は隣で美味しそうにパスタを食べ、年末年始に友人とスキー旅行をしてきた話をしてくる。そして突然じっと私を見つめると意味深な事を言って来た。


「ねぇねぇ、俺を見て…何か言う事無い?」


「え…?」


ドクン


心臓の音が一段と大きくなった気がした―。





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