第16章 28 いつか話せる日まで…
翌日―
今日は遅番の出勤日だった。
「おはようございます…」
10時に出社すると今日は早番だった太田先輩は既に窓口業務に入り、接客をこなしていた。
「ああ、お早う。加藤さん、具合はどうだい?」
係長が尋ねて来た。
「はい、昨日はお気遣い頂き、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げる。
「いや、いいんだよ。しかし昨日の女性客は一体何だったんだろうねぇ?君にきつく当たっていたし…でも太田君がうまい事接客してくれて最後は良いプランをありがとうと言って笑顔で帰って行ったよ」
「え?そうなんですか?」
その話を聞いて驚いた。てっきり恵理さんは私に嫌がらせをする為だけにこの代理店へやって来て私を指名してきたのかと思っていたけど、まさか本当に旅行プランを立てていたなんて…。でも、そこで再び暗い考えに囚われる。
ううん、やっぱり新婚旅行の計画を立てていたのは間違いないはず。だって2人は来年のバレンタインの日に…結婚式を挙げるのだから…。
係長は私が突然黙ってしまったのを見て心配になったのか、再び声を掛けてきた。
「加藤さん、大丈夫かい?やっぱりまだ調子が悪いんじゃないのか?」
「い、いえ。大丈夫です。申し訳ございませんでした」
そしてすぐに自分のデスクへ行くと、隣の席の井上君がいないことに気付いた。
「あの、井上君はどうしたのでしょう?」
近くに座る女性先輩に尋ねてみた。
「ああ、井上君なら駅前にビラ配りに行ってるわよ」
「あ!そう言えば今日から新しい旅行のパンフレットを配る事になっていましたよね?すぐに行ってきます」
慌てて席を立つと、先輩が言った。
「え?加藤さん…大丈夫なの?まだ顔色良くないみたいだけど‥」
「いえ、もう平気です。すぐに配りに行ってきます」
段ボール箱からパンフレットを取り出すと、紙袋に詰め込んだ。昨日は早退させて貰ったからその分今日はちゃんと仕事しないと。ビラ配りの準備をしながら太田先輩をチラリと見たけど、まだ接客は続ている。仕方ない、ビラ配りが終わった後、お礼を言いに行こう…。
そして私は紙袋を持って代理店を後にした―。
****
駅前に行くと、ロータリー前で既に人混みに紛れて井上君が代理店指定のジャケットを羽織ってビラ配りをしていた。
「おはよう、井上君」
手を振って近付き、挨拶すると目を見開いて私を見た。
「え?加藤さん?!」
「うん、私だけど…。どうしたの?そんなに驚いた顔して」
「いや…てっきり昨日あんな事が合ったから今日は休むと思っていたんだ」
「う、うん。でもただでさえ交通事故に遭って何カ月もお休み頂いてるし…」
「そっか…。あの、それでさ。あの女性客だけど…」
けれどそこで井上君は言葉を切ると私に言った。
「俺はここでパンフレットを配るから、加藤さんは南口で配って来てくれるかな?」
「う、うん。分った。それじゃ行って来るね」
私は井上君に手を振ると南口へ向かって歩き始めた時、どこからか視線を感じた。
「?」
もしかして井上君かと思って振り向いたけれど、彼は別の方角を見てビラ配りをしている。
「気のせいかな…?」
南口についてビラを配っている時にもどこからか見られているような視線を感じ、集中してビラを配ることが出来なかった。何故ならその視線が恵理さんではないかと思うと怖くなってしまったからだ。どうしよう…またいきなり声を掛けて来られたら…。
けれども、私の心配をよそに視線の主は私に声を掛けて来る事も無く、お昼休みなる頃には視線の気配が消えていた―。
****
16時―
ビラを配り終えて代理店に戻ると、丁度太田先輩は給湯室でお湯を沸かしているところだった。
「太田先輩!」
急いで先輩の元に向かうと、笑顔で話しかけてきた。
「ああ、お疲れさま。ビラ配り大変だっただろう?」
「はい、少し大変でした。昨日は大変お世話になりました」
太田先輩に頭を下げた。
「いや、気にしなくていいって。でもあの客は上客だったよ。高額の新婚旅行プランを提示しても、平気な顔で決めてくれたからね。これで今月も俺の営業成績がトップになれたよ。これも加藤さんのお陰かな?」
「先輩…あの…実はあの人は…」
言いかけて思わずうつむくと、ポンと頭を撫でられた。
「いいさ。無理に話さなくたって。本当に話したくなった時に話してくれればいいって。」
その時、湯沸かしポットが沸騰の知らせの音を出す。
「お?沸いたかな?」
そして太田先輩は自分のマグカップにインスタントコーヒーを入れてお湯を注いだ。
途端に給湯室にコーヒーの香りが漂う。
「うん、いい香りだ。じゃあな」
太田先輩はヒラヒラと手を振ると、自分のデスクへ戻って行った。
ありがとうございます、いつか話せる時が来たら…真っ先に先輩に話を聞いてもらいます。
私は太田先輩の背中を見ながら心の中で話しかけた―。
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