第16章 26 頼りになる人

「た、確か新婚旅行は2月でしたよね?」


震える声を何とか抑えながら私はPCを操作した。


「ええ、そうよ。式は2月14日、バレンタインにあげるのよ。場所は帝国ホテルなの。今急ピッチで結婚式の準備をしているから忙しくて。今日はウェディングドレスを注文してきたのよ。それに打ち合わせの為に今夜は直人とホテルのレストランで待ち合わせをしてるのよ」


恵利さんはこれみよがしにペラペラと話をしてきた。


「そ、そうですか…。それは今が一番…お幸せな時ですね」


目頭が熱くなりそうになってくる。でも駄目だ、今は仕事中。絶対に泣いてはいけない。それに恵利さんは…わざと意地悪な事を言って私の反応を見て楽しんでいるんだ。だから絶対に恵利さんの思い通りになってはいけないし、私が悲しむ姿を仮に恵利さんが報告すれば…直人さんを苦しめてしまうことになる。


すると恵利さんは私の何が気に入らなかったのか、目を吊り上げると言った。


「あら?何よ。貴女のその言い方…まるで幸せなのは今だけで、この先はそうはならないと言ってるように聞こえるけど?」


「い、いえ。決してそのようなつもりでは…お気に触ったのなら謝罪致します。申し訳ございませんでした」


私は頭を下げた。すごく自分が惨めだった。どうして…この恵利さんという女性は私の事を放って置いてくれないのだろう?私と直人さんはあれから一度も連絡を取り合っていないのに?付きまとうこともしていないし、恵利さんに自分から近づいたことも無い。黙って静かに心の傷が癒えるまで…静かに暮らしていたいのに、どうしてこの女性は私を放って置いてくれないの?


恵利さんは頭を下げた私を見てため息をつくと言った。


「まあ、いいわ。それで昨日の続きだけど、直人にそれとなく新婚旅行はタヒチはどう?って聞いてみたのよ」


「そ、そうなんですか?」


嫌だ、直人さんの名前は恵利さんの口から聞きたくない。


「そしたら、驚いた顔で私を見たのよね。貴女…もしかして直人にタヒチの話をしたことあるの?」


何故か恵利さんは怖い目で私を見る。


「い、一度だけ…話したことがあります」


直人さんと恋人同士だった頃、2人で海外旅行に行くならタヒチに行ってみたいと話したことが有った。


「そうなのね?それならタヒチはやめるわ。何だか気分が悪いもの」


ツンとした口調で言う恵利さん。


「それでは…ご希望をお話してくだされば…何処が良いかお調べしますけど?」


動揺を悟られないようにPCのキーボードを叩くが、指先が震えてしまう。


「そうね。タヒチとは真逆の場所がいいわ」


「え…?」


「気に入らないのよ。貴女と直人が旅先に考えていた場所を新婚旅行先にするのは。だったら全くタヒチとは真逆の場所に行きたいわ」


イライラした口調で話す恵利さんに私はどうすれば良いか分からなくなってしまった。ただでさえ、激しく動揺して、決してまともな精神状況とは言えないのに、それなのに…!


その時―。


「どうぞ、お茶をお持ち致しました」


背後で声が聞こえた。


「え?」


驚いて振り向くと、そこには湯呑に2人分のお茶をお盆に乗せて立っている大田先輩の姿があった。ちなみに…この代理店ではお客にお茶をだすことはしていない。それなのにお茶?


「あ、あら…ここはお茶を出すお店なのね?」


恵利さんが戸惑ったように言う。


「はい、ではここからは私が担当を変わります。彼女はまだ新人でまだお客様にご満足できるプランを提供出来ませんので。さ、代わって」


太田先輩が素早く目配せした。


「は、はい…」


席を立つと恵利さんが私に声を掛けた。


「ちょ、ちょっと!話はまだ…」


「ですから、ここから先は私が変わりますので」


大田先輩は素早く席に座ると営業スマイルを恵利さんに向ける。太田先輩、すみません…!私は心で侘びて素早くその場を後にした。




「大丈夫だったかい?加藤さん」


係長が心配そうに声を掛けてきた。


「は、はい…大丈夫です…」


「何が大丈夫なんだい?顔が真っ青で今にも倒れそうだ。今日はもう帰った方がいい」


「ですが…」


「いいのかい?いつまでもここに残っているとまたあの客に絡まれるかも知れないぞ?」


「!」


係長の言葉に肩がビクリと跳ねてしまった。


「は、はい…ではお言葉に甘えて…」


私は頭を下げると私物を持ち、一度だけカウンター前に座る大田先輩を振り返ると、辟易した顔の恵利さんを前に笑顔で旅行プランを勧めている姿が目に写った。


太田先輩…ありがとうございます。


私は心のなかで礼を述べ、代理店を後にした―。

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