玉姫伝ーさみしがり屋の蛇姫様、お節介焼きのお狐様に出会うー

二式大型七面鳥

一万字短縮版 玉姫伝ーさみしがり屋の蛇姫様、お節介焼きのお狐様に出会うー

昴銀子すばる ぎんこです、よろしゅう」

 よく通る声で名乗ったその長身の少女は、ぺこりと勢いよく頭を下げた。狐色の、ちょっと癖のある長い髪が、頭の動きにつれて大きくなびく。

 顔を上げたその少女は、これから一緒に過ごす学友に屈託のない笑顔を向けた。


 初夏の日差しの中、白球が、宙を舞う。

「はーい、はいはいはいはい、はいっ!」

 長身の少女が、元気な声と共にバレーボールをレシーブする。

 大柄な体格、関西弁、生まれつきだという狐色の髪。加えて、新しい学校のブレザーの制服が間に合わず、とりあえず着ている転校前の学校のセーラー服。その少女、昴銀子は既にクラスの女子に溶け込みつつあった。

 昼休みの、東京都中央区立第四中学校の校庭。給食を終えた男子も女子も、三々五々くつろぎ、体を動かしている。

「……あれ?」

 白球を追いかけながら、銀子はふと、壁際に独りで佇む少女を目に留める。

「なあ、あれ、ウチのクラスの人やんな?」

「あ、うん、八重垣やえがきさん?いっつもあんな感じだよ?」

 誰ともなく呟くように言った銀子の言葉に、側に居た少女が答える。

「ふうん……」

 銀子も、それ以上の詮索はせず、バレーボールの輪に戻る。

 脳裏の隅に、日陰でなお目立つ、白く輝くようなその孤独な少女の姿を残しながら。


 午後の授業の予鈴が鳴り、生徒達はそれぞれの教室に急ぐ。銀子も、小走りに階段に向かうが、その途上で銀子は足を停め、読書をしていた少女に声をかける。

「……なあ、自分、ウチのクラスの人やろ?」

 臆するより先に口が出る性格の銀子は、誰に対しても声をかけるのに躊躇が無い。

「一緒にバレーボールとか、せえへんの?」

 声をかけられた少女は、少しだけ困ったような笑顔で、答えた。

「……うち、体、弱おすさかい、運動はよおしいひんのどす」

「あ……かんにんな、ウチ、余計な事言うてしもて」

 咄嗟に失言を詫びる銀子に、その少女は軽くかぶりを横に振る。日陰でなお輝く白銀の髪が、さらさらと揺れる。

「よろしおす、声かけてくれはって、おおきに」

 白銀の髪、白い肌。その少女はそう言って微笑み、銀子の少し先に立って階段を下り始める。

「……自分、京都の人なん?」

 つい、銀子は聞いてしまう。

「へえ、とおの時からこっちで暮らしてます。言葉、なかなか直らへんのどすけども」

 その少女は、桜色の唇を緩ませ、白い肌にひときわ目立つ紅い瞳を細めて、答えた。

「そおか。ウチは……」

昴銀子すばる ぎんこはん、さっき自己紹介しはりましたやろ?うちは八重垣環やえがき たまきいいます、よろしゅう」


「八重垣さん、白子アルビノなんですって」

 授業の合間に尋ねた銀子に、隣の席の山田浩子が答える。

「生まれつきなんだそうだけど。真っ白で紅い目って、ちょっと神秘的よね」

 ちょっと羨望の入った眼差しで離れた席――窓から離れた、直射日光の当たりづらい席――に座る八重垣環の方を見ていた浩子は、そう言った後に、エルリックみたいよねー、と付け加える。

「本人、体弱い言うてたけど」

「うん、体育はほとんど見学ね」

「大変なんやなぁ……」

「色々大変だったみたい。今は無いみたいだけど、いじめられたりもあったみたい」

「あー、そおか……」

「うん、だからなのか、八重垣さん、イマイチ人付き合い悪いって言うか、自分から話の輪に入ったりってしないわね……しょうがないとは思うけど」

「ふうん……」

 思うところある様子で、銀子はしばし八重垣環を見つめ、そしてふいに、浩子に向き直って、聞いた。

「そんで、エルリックて、なに?」


 その日の放課後、初夏の午後。急速に夏に向かう日差しと気温は、長袖の制服の少女達の肌を汗ばませる。

「……あれ?あそこ歩いてるの、八重垣さんとちゃう?」

 下校途中、銀子は、曲がり角の先に八重垣環やえがき たまきの白い髪が見えたことに気付いた。

「あ、うん、そうね、八重垣さん、このの近くのマンションだって聞いたことあるわ……あ」

 隣を歩く浩子が、そう銀子に答えた時。

 唐突に、八重垣環は脚をもつれさせる。

「あかん!」

 横に居た浩子が瞬きするより早く、銀子は猛ダッシュで環に駆け寄って横抱きに環を抱え、その頭がアスファルトに激突するのを防ぐ。

「あいったー!」

「だ、大丈夫?」

 浩子に聞かれた銀子は、尻餅をついた姿勢で、したたかに地面に打ち付けた尻をさする。

「……ウチはまあ平気、痛いけど。それより、八重垣さん?」

 銀子が声をかけるが、環は返事をせず、肌は紅潮し、呼吸も浅く、汗が玉のようだ。

「こらあかん、山田さん、八重垣さんの家、知ってはる?」

「ええと……この辺なのは聞いたことあるけど……」

「……そや!さっきウチ、センセから連絡網もろとった!山田さん、ウチのカバンから出してんか」

「え?ええ……」

 銀子に言われて、浩子は、他人の持ち物をあさることに抵抗を覚えつつも、言われたとおりに学生鞄を開き、書類の束を見つける。

「えっと……あった!二丁目のダイヤモンドマンションだって」

「よっしゃ、山田さん、ウチが八重垣さんおんぶしてくさかい、案内してくれるか?」

 言うが早いか、銀子はさっさと、軽々と環を担ぎ上げ、返事も聞かずに駆け出す。


「え?ワンルーム?」

 銀子の後から環の部屋に入った浩子が、部屋の中を一目見て、言った。

「……ちゃう、けど……」

 浩子より少し奥に居る銀子は、目の前のLDKリビング・ダイニング・キッチンの右奥にもう一部屋あるのを見て取っていた。だが、環が一人っ子だとしても、家族が住むには手狭だし、第一、LDKにあるのは、小さなテーブルと、スツールが一つ、あとは折り畳みの小さなパイプ椅子が一つだけ。

「……とにかく、八重垣さん横にしたらんと。山田さん、すまんけどタオルか何か探してくれへん?このままやと多分、スカートとか汚してしまいそうやし……」

「……スカート?……あ!」

 その時になって、浩子も気付いた。女子として、微かだが、その匂いで。

「……かんにんな、八重垣さん」

 もう一度、銀子はそう言うと、寝室と思われる隣の部屋のドアを開けた。


 八重垣環やえがき たまきが目を開けたのは、それから三十分ほどしてからだった。

「あ、八重垣さん、大丈夫?」

 ベッドサイドに居る山田浩子やまだ ひろこが、ほっとした顔で環に微笑むと、

すばるさん、八重垣さん、起きたよ」

 振り向いて、自分の鞄から何か出そうとしていた昴銀子すばる ぎんこに声をかけた。

「お、目ぇさめはったんか、良かった……八重垣さん、起きられるか?」

 コップと、粉薬の包みを持った銀子がベットに近付き、環に声をかけた。

「へえ、起きれますけれど……そや、うち、気分わるなって……あ」

 ゆっくりと半身を起こした環は、制服のブレザーとスカートを脱いだ状態でベッドに横になっていたことに気付く。

「そしたら、これ飲んで」

 銀子が、薬と水を差し出す。

「これ……何どすの?」

 受け取った環が、怪訝そうな顔で銀子を見上げる。

「それな、ウチの婆ちゃん特製の万能煎じ薬やねん。何にでもよう効くねんで」

 得意そうな銀子に笑顔でそう言われて、環はしばらく逡巡したが、覚悟を決めたらしく、ぽいと包みを小さな口に放り込むと、コップの水で一気に流し込み、そして。

「……えらいニガおすなぁ……」

 顔をしかめてそう言った環をみて、緊張が解けたのか、銀子と浩子は吹き出した。


「そうどすか……昴さんがうちを運んでくらはって……えらいお世話になってしもて」

「ええねん、気にせんといてな」

「うん」

 二人にそう礼を言う環に、銀子は即座に言い切り、浩子も同意する。

「そやけど、二人とも、あんまり寄り道したはったら、お家の人に怒られたりしやはらへん?」

 環が、そんな二人を心配して、聞いた。

「あー、うん、今日は真っ直ぐ帰るって言っちゃってあったから……」

「せやったら、山田さんは先に帰りはって。八重垣さんの様子、ウチがもう少し見てるさかい」

「え?でも……」

「ええねん、ウチ、家帰っても誰もれへんねん」

「あ……うん、じゃあ……」

「何かあったら電話するさかい」

「うん。じゃあ、また明日。八重垣さんも、お大事にね」

「はい、おおきに」


「……すばるさん、おうち、誰も居たはらへんて……」

 ドアの向こうに去った山田浩子に手を振っていた昴銀子すばる ぎんこの背中に、八重垣環やえがき たまきが声をかける。

 銀子は振り向き、

「ウチのお父ちゃんとお母ちゃんな、宮大工やねん。しばらく関東で仕事や言うて、こっち越して来ってんけどな、二人ともさっさと仕事行ってしもてん。そおなると、もお、何日も帰ってけえへんねん。もおな、一人娘ほったらかして夫婦で何しとんねん」

 大げさに、ややおどけた口調で銀子はそう続け、急に真顔に戻ると、

「せやからな、ウチ、帰ってもな、ご飯一人ぼっちやねん」

 はっと、環は息を呑んだ。

「八重垣さん、間違うてたらごめんやけど、八重垣さんも、ここに一人で住んではるん?」

 環のベッドに腰掛けながら、銀子は聞く。

「……へえ、うちも一人どす……とおの時から」

 組んだ手を毛布越しの腿の上に置いて、やや俯いた環が答える。

「……そおか……せやったら八重垣さん、いややあれへんかったらやけど。晩ご飯、一緒に食べへん?」

「え……?」

 意表を突かれて、環は顔を上げる。

「ウチな、こう見えても、お料理得意やねんで?冷蔵庫、見せてもろてもええか?」

 返事を聞く前に、銀子はLDKに向かって歩き出す。

「よろしおすけど……あ」

 環はベッドを降りようとして、自分がスカートのかわりにバスタオルを腰に巻いている事に気付く。

「……ああ、それな、ごめんやけど、汚したらあかん思て……起きれるんやったら、シャワー浴びてきはったらええ思うで。ぎょうさん汗もかいてはったさかい……なんや、八重垣さん、料理作り置きしてはるやん」

 冷蔵庫を覗いた銀子ぎんこが、中身をざっと見ながら言った。

「……それな、うちとちゃいます、週三でお手伝いさんが来てくらはって……」

「ああ……そしたら、ウチのする事、あんまあれへんな……」

「あの、無理しはらへんとよろしおすえ?」

 冷蔵庫内の使えそうなストック品を見ながら真剣に考え込む銀子に、環が遠慮がちに声をかけた。だが、銀子は、

「いーや、ウチが何か作りたいねん。なんかあったかいもの、八重垣さんに作ってあげたいねん……ゆーても、卵スープくらいしか作れへんか」

 そう言って、苦笑して銀子は環に振り向き、

「そしたら、お米も炊いとくさかい、早よお湯浴びて来」

「……はい」

 何か言いたげな視線を銀子の背中に向けていた環は、一言そう返事すると、バスルームに向かった。


「ほな、食べよか?」

 笑顔でしゃもじと茶碗を持った銀子が、環に声をかける。

「……昴さん!」

 意を決した環が、銀子に問う。

「なんで、うちにこんなにようしてくらはりますの?」

「なんでて……ご飯、一人より二人で食べた方が美味しいやろ?」

 はい、と、茶碗を渡された環は、戸惑いつつ、

「そうですけど、そうやのうて……」

「ウチな、お節介やねん。そんで、八重垣さん見てたらな、お節介しとおて、もう、辛抱たまらへんねん。ウチもしょっちゅう一人でゴハンするさかい、どんだけ寂しいか、よお知ってるねん。せやからな」

 二人分のスープ皿に卵スープをよそいながら、銀子は続ける。

関東こっち出てきて、長いことずっと、一人でゴハンしてねやろ?そんなん、見ててたまらんねん……さ、食べよ、て、ゆーてもウチが作ったんはこのスープだけやけどな……どないしてん?」

「……何でもおへん……いただきます」

 紅い瞳を腫れぼったくして、顔を上げた環は、泣き笑いの表情で手を合わせた。


「……うちな、親に嫌われとるんどす」

 食後のお茶をすすりながら、ぽつりとたまきがこぼした。

「うちのお父はん、八重垣やえがきの会社の社長したはります。そんで、お兄はんもお姉はんも髪、黒おすのに、うちだけこんな・・・……」

 そう言って、環は自分の髪を手で梳く。

「そやから、近くに置いておくの嫌なって、関東に流しはったんどす」

 寂しそうに、環は微笑む。

「そんな……直接、聞きはったん?」

 銀子は、胸を締め付けられるような思いで、聞き返す。

「聞いてはおへん、けど、きっとそうや思います。そやさかい、うちは、ここで大人しゅうしとります、大人しゅうしてへんかったら、みんなに迷惑かかりますさかい……」

「……そおか……」

 そんな酷い事、とか、それはちがう、とか、事情を知らない他人が言うのは簡単だ。だが、銀子は、その代わりに、

「……八重垣さん、偉いんやなぁ……」

 そう言って、テーブルの上の環の両手に、自分の手を重ね、

「……そしたら八重垣さん、ウチとお友達になろ」

 え?小さく、微かに呟いて、環が顔を上げる。

「ウチな、お節介焼きで、よお暑苦しい言われてんけどな、実はものごっつい寂しがりやねん。そんでな、こっち来てまだ友達だーれもおれへんかってん。せやからな、こんな、でかくてしゃべりでもええなら、また一緒にゴハンしてくれへん?」

「そんな……うちといっしょやったら、あることないこと言われたり、されたりしますえ?」

 つまり、八重垣さんは言われたり、された事があるゆう事やな。銀子は、そう理解する。

「それやのに……なんで、そんな事言わはりますのん?」

 全てを理解したわけではない。しかし、自分と同じようなものかとも思っていたが、八重垣さんの置かれた状況は、自分より遥かに厳しい。漠然とそう理解して、銀子は、環の問いに答える。

 泣きそうな顔の環の、紅い瞳を見つめて。

 自分の、狐色でやや癖のある髪に手を置いて。

「……ウチも、こんなやから、かな?」


 大粒の涙をぽたぽたと落として、環は、泣いた。大声を上げるでもなく、ただ小さく体を震わせ、鼻をすすって。

 銀子は、その背中をゆっくり撫でる。何度も、何度も。

 最初に銀子の手が背中に触れた時、びくりと体を震わせた環だったが、何度も撫でられるうちに次第に力が抜け、ふと、銀子の顔を見上げた。

 銀子は、無言で微笑み返す。

 数年に渡って堪えてきた何かが堰を切ったのだろう、環は銀子にすがりつくと、肩をふるわせて、また泣いた。声を殺して、顔を、頭を銀子の胸元に押しつけて。

 銀子は、黙ってその背中を、頭を撫でる。ゆっくりと、優しく。


 どれくらい、そうしていただろうか。いつしか環は、銀子の胸に体を預けたまま、寝息を立て始めた。

「……ありゃ……」

 しばらくそのまま様子を見ていた銀子だが、

「……しゃーないなー……」

 一言呟いてため息をつくと、環を起こさないよう気を使いながら抱き上げ、静かにベッドに運んだ。


――ウチやったら、そんなん耐えられへんな――

 環の綺麗な寝顔を見ながら、後ろ前に座ったパイプ椅子の背もたれに体を預け、銀子は思った。

――不思議やなぁ、こーんな綺麗なお嬢さんやのに、何が気にいらへんねやろ……そんで、八重垣さんは、文句も言わへんとずっと耐えてきたんか……たまらんなぁ……偉いなぁ……――



「……あかん、ウチも寝てしもてたか……八重垣さん、どないしてん?」

 いつの間にかウトウトしてしまい、はっと目を開けた銀子ぎんこは、ベッドの上で実を起こし、無表情に銀子を見つめていた環に聞く。

「……帰らなくて、よいのか?」

 その物言いに妙な違和感を感じつつ、銀子は、腕時計を見る。

「……うーわ、もぉこんな時間やんか。せやな、ウチもそろそろおいとませな」

「そう……」

 言いながら、環はするりとベッドを降りる。

 その立ち居振る舞いに、再び、銀子は違和感を感じる。

「……八重垣さんは、どないしはるん?」

 立ち上がってスカートの皺を伸ばしながら、銀子は不自然にならないように、聞く。

「……あの薬、効いたようだの、とても気分がよい」

 薄ピンクのスウェットの環は、そう言って、伸びをする。

「そうだの、少し、夜風にでもあたるとしようかよ」

――違う。明らかに、何かが違う――

 銀子の中で、急激に不審感が、不安が高まる。だが、銀子は、それを押し殺して、努めて冷静に、言った。

「せやったら、ウチも、途中までご一緒させてもらいまひょか」


 隅田川に面する浜町公園。銀子の数歩前を、環が歩く。

「いい夜だの。すこぶる気分がよいぞ……おぬしの薬、実に良く効くの」

「……あんた、誰や?」

「まあ、誤魔化せはせぬよなぁ……わらわはな、名を玉姫たまひめと言う。宇賀弁才天にお仕えする蛇神の末席じゃ」

「……なん……やて?」

「小娘、おぬしには礼を言うぞ。この娘はな、今はすっかり落ちついて、深く安らいでおる。おぬしのおかげじゃ」

 太い木に寄りかかり、環――玉姫――は続ける。

「おぬしも聞いたであろ、この娘、それはそれは深く哀しんでおってな。妾はその全てを見知って、可哀想に思っても、手出し出来ず口惜しい思いをしておったのじゃ。じゃが今宵、おぬしがこの娘の心の扉を開いてくれた。礼を言うぞ、小娘」

「あんたは、一体……」

 何が何だか良くわからない。それでも銀子は、そう聞かずには居られなかった。

「妾はな、京の都の小さな祠に奉られた蛇神じゃがな、再開発とやらで祠が取り壊されてな。依り代を無くして困っておった所に、この娘を身ごもった女が来てな」

「え?……」

「この娘、依り代として滅多に無い相性の持ち主であったのでの。とはいえ、さすがに蛇の姿で生まれ落ちるわけにも行くまい?人の姿を保ちつつ、妾はこうして、この娘が目覚めるのを待っておったのじゃ」

「目覚めるて、え、何?」

「女になる、と言う事じゃの」

 合点がいった。銀子は、その瞬間、全てを理解する。

「物忌みじゃからの、妾も今は大したことは出来……あっ!」

 みなまで聞かず、銀子は玉姫に飛びかかって胸ぐらを掴み、後ろの木に押しつける。

「お前……出て行け!八重垣さんから!出てけ!」

「……出来るものなら、とうにしておるわ!妾とて、依り代を無くしては、消えるか祟り神になるかしか無いのじゃ!」

 力を入れているようには見えないのに、驚くほど強い力で、玉姫は自分の胸ぐらを掴む銀子の腕を押しのける。

「妾も消えとうはない!祟り神にもなりとうはない!」

 玉姫は、銀子を押しとばし、数歩後じさりさせた。

「この娘にはな、済まぬ事をしたとは思うておるよ。この髪も肌も、白蛇神の依り代なればこそのものじゃからな。じゃがな、いずれはこの娘も神通力も使えるようになろう、妾の魂がこの体に入っておるのじゃからな、有り難く思って……」

「……その魂のせいで、八重垣さんは、せんでええ苦労してきたっちゅう事か?」

 銀子が、絞り出すような声で玉姫の言葉を遮り、問うた。

「そのせいで、家族に優しゅうしてもらえへんかったって事か!」

 怒りと共に、銀子からがあふれた。

「な?小娘、おぬし!」

「出て行かへんなら、ウチが追い出したるわ!」

 銀子の髪が波打つ。

 玉姫は、混乱する。この小娘、何奴なにやつだ?この力、どこかで……

「あんたのせいで!八重垣さんは!ずっと一人で!」

 銀子の怒声に、涙声が混じる。だがしかし、銀子のその気を、玉姫は苦も無くはじき返す。

「あっ!」

 銀子はたたらを踏んで後じさり、尻餅をつく。

「おぬしに何がわかる!妾こそ!地脈も断たれ、誰からも顧みられない寂れた祠に封じられた妾こそ!神の使いなればこそ、あやかしとておいそれとは近付いては来ぬ!妾こそ!妾こそ……」

 その怒声は、尻すぼみに小さくなる。

「……そやかて、八重垣さん犠牲にしてええもんとちゃうやろ……」

「……犠牲になどせぬ!一つの体に二つの魂なれば、いずれは……」

「させへん!」

 みなまで聞かず、銀子が顔を上げる。獣のような目で玉姫を見つめて。

「おぬし!その姿!」

 顔を上げた銀子のその耳、スカートの裾からはみ出す尻尾、なにより強烈にぶつかってくる獣臭い気の塊を受けて、玉姫は驚嘆し、狼狽する。

「まさか!化生けしょうか!」

 玉姫の見る前で、狐色だった銀子の髪が、耳が、尻尾が、鋼色はがねいろに変じ、輝きを増す。

「お前なんか!ウチが封じたる!」

 叫びながら、銀子が、跳ぶ。その姿は、鋼色を通り越し、むしろ白銀に輝く。

白狐びゃっこだと!待て!……な!」

 刹那、受け身を取ろうとする玉姫――環の体が、ぎしり、金縛りのように動きを停める。

――させしまへんえ――

 玉姫は、心の奥からその声が聞こえるのに気付く。

――すばるさんに、酷い事、絶対させしまへんえ――

「何故目覚めて、そうか、今の気か!」

――本当の昴さんの髪の色は、今見ている、あの色。狐色の髪はきっと、妖術で黒うしとうても染めきれへん、あれが限界の、狐色。昴さんが言わはった、ウチもこんなやからいうんは、きっと、その事――

「なればこそ!白狐びゃっこなればこそ、白蛇はくじゃたる妾のまこと同胞はらからぞ!手荒なまねなど!」

――させは……しまへん――


 銀子は、二つの声を聞く。

「だって……昴さんは」

――この小娘は――

「うちの、初めての」

――妾の、やっと見つけた――

「……大事な大事な、友達どすさかい……」

――…大事な大事な、同胞じゃから……――

 二つの声が、重なる。

 見たこともないような、美しい微笑み。環のその顔を見ながら、銀子の意識は、そこで途切れた。


「昴さん、起きはった?」

 寝起きの銀子の耳に、八重垣環やえがき たまきの声。

 いつ運ばれ寝かされたのか、環のベッドを降り、恐る恐るLDKリビング・ダイニング・キッチンに入った銀子は、環の後ろ姿に用心深く問う。

「……どっち?」

「……どっちでもおへんえ?」

 肩越しに笑顔で振り向きつつ、環が答え、焼き上がったフレンチトーストを皿に載せながら、促す。

「さ、朝ご飯にしまひょか?」


「玉姫さんからな、大人しゅう封じられたるさかい、うちのこと、あんじょう護りよし、やそうどす」

「……何やて?」

 フレンチトーストを頬張ったまま、銀子は聞き返した。

「玉姫さんな、あの後、昴さんを運んでくれはったんえ。うちや、昴さんよお運べしまへんさかい……そんでうち、玉姫さんとお話して、わかったんどす。玉姫さんは、ずっとうちの中に居てくれはったんやて。ずっと、見ててくれはったんやて。そやから、うち、うちが気付いてへんかっただけで、ずっとうちは、一人とちごたんやて……玉姫さん、今、うちの中で寝たはります。うちが起きてる間は玉姫さん、たとえ起きたはっても、何もできはらへんて」

 さらりと言って、ああ、そうそう、環は手を打って、続ける。

すばるさんの薬、あれのおかげでうちと玉姫さんと一緒に居れたらしい、言うてはりましたえ?あれ、お狐さんの秘伝の薬どっしゃろ?化かされて馬糞まぐそ喰わされたんとちごて良かったて、玉姫さんわろたはりましたえ」

 言って、環はくすくすと笑う。

「……いけずやなあ、そんなん言うかぁ?」

 口を尖らせて、銀子は抗議する。

「玉姫さん、うちよりずっと長いこと、お一人どしたんえ……そんで、言うてはりました。うちが目覚める・・・・までは、一緒にいたはっても大丈夫どしたけど、二人とも目覚めて・・・・しもたから、そしたら、魂は一つになってまうて」

「……それって……」

 環は、銀子の言外の疑問に、頷いて、答える。

「言うても、一つになるんに、まだ時間はかかるて。そんで、一つになったら、うちは玉姫さんの神通力が身につく、玉姫さんは、うちと一緒に寿命で死ねる、もう長いこと一人でおらへんとようなる、寂しい思いしいひんとようなる、そういう事やて」

「……そういう事、やったんか……なんやうち、早合点して誤解してたんやなぁ……玉姫さんに謝らなあかんなぁ……」

 ちょっとしんみりして、銀子は環に告げた。

 それを聞いた環は、明るく、しかしにやりと笑って、言った。

「ほな昴さん、うちに謝ってください、うちと玉姫さんは一緒どすさかい」

 真正面からそう言われて、銀子は、さっき環に感じた違和感の正体に気付く。魂が、一つになる。それは、八重垣やえがきさんの性格が、玉姫に引き摺られて変化するいう事やと。

 でも。八重垣さんの本質、優しさ、芯の強さはきっと変わらへん。せやったら、このくらい積極性いうか、図太い方が、ええ。

「……そしたら玉姫さん、八重垣さん、ごめんなさい、かんにんな」

 銀子は、テーブルに額を付けて、言う。そして。

「そんでな、かんにんついでに、一つお願い、してもええか?」

 顔を上げて、銀子は環の目を見る。

「……何をどす?」

「ウチな、大阪の友達には、「お銀おぎん」呼ばれててん。せやからな、八重垣さんも、そない呼んでくれへんか?」

 一瞬、環は返す言葉に詰まり、丸くした目をしばたかせ、そして、微笑んで、答えた。

「……よろしおすえ。そんなら、うちも「たまき」てよんどくれやす、お銀ちゃん」

 微笑む環の顔を見上げた銀子は、微笑み返し、言う。

「ええで、環さん……ちゃうな、そしたら、たまちゃん、やな」

 笑顔で見つめ合った一瞬の後、同時に、二人は吹き出した。


「ほなお銀ちゃん、学校行きまひょか?」

「はいな環ちゃん、鍵かけたんな?ほな行こか」

 白銀の髪の少女と狐色の髪の少女は、連れ立って部屋を出て、エレベーターホールに向かう。

 とりとめも無い会話と、明るい笑い声が、朝のマンションの廊下にあふれた。

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