Contrail 04
ヴィセ達はテレッサに靴や薄手のコートを一式見繕って貰い、冬物の重いコートは預かって貰った。生地の丈夫な緑色のレインコートもバロンとお揃いで2着。
完全にとはいかないが、これで服の中まで霧でびっしょり汚れる事もない。
「霧に耐性があるからって無茶をしないでね。霧の海から必ず帰ってきて。黒い鎧の男の人に会えたなら、目的の1つはもう達成したんだし。焦る必要ないよ」
「ああ。テレッサを待たせない程度に気長に向かうよ。ドラゴニアを見つけたとしても、ラヴァニにはちゃんとこっちに送ってくれるよう念押ししておく」
「是非そうして。バロンくんも必ず。ドーンにいるお姉ちゃんには連絡した? 電話でも手紙でも、ちゃんと報告するのよ」
「俺、まだ字書けない!」
バロンは読み書きの勉強中だと言って堂々と胸を張る。読み書きできない事を恥ずかしいと思うより、勉強している事を誇らしく思っているようだ。とても前向きな思考に、ヴィセもテレッサも笑いがこぼれる。
「霧の海に向かう前に、書けるようになっておこう。もう自分の名前は書けるよな」
「俺ね、数字は全部分かる! 書けないけど前から読める!」
「まあ、それは頼もしい。得意な事はどんどん上達させられるし、勉強も頑張ってね」
「分かった!」
バロンはちゃっかり飛行艇のおもちゃまで貰い、嬉しそうに掲げて見せる。思い返すと、ヴィセは目的のためにひたすら移動を続け、バロンを自由に遊ばせてやった事がない。
次の目的地へ行く事は遅らせられない。ドラゴンがいついなくなるか分からない上に、ラヴァニには村の仇を取るため待ってもらった。けれどその後なら少しゆっくりしても許されるのではないか。
飛行艇代や宿泊費は痛くとも、ドーンに戻ってバロンを姉に会わせてやってもいい。他愛のない時間を過ごさせ、旅には無駄で、人生には有意義な時間を楽しませる事も必要だ。
それに、大切な者に会えるのなら会った方がいい。大切な者を失ったヴィセだからこそ重みを持って言える事だった。
「テレッサ。漠然としていて申し訳ないんだけど、バロンが楽しめそうな場所ってどこか知らないか」
「楽しめる……って言っても、体を動かすとか、何かを体験するとか、色々あるよね」
「そうか。バロン、旅を休んでやりたい事を何でもやっていいって言われたら、何がしたい」
飛行艇のおもちゃに夢中で真剣に聞いていなかったのか、バロンがビクッとして振り向く。
「えっと……1つ?」
「1つでも2つでも、何かないか」
「えー? えっとね、えっと……美味しいものいっぱい食べる! あとはね、機械とかいっぱい集めておもちゃ作る! あ、ラヴァニに乗りたい!」
「……全部バラバラだな。さて、そんなバロンの希望を叶えられる場所は」
食べ物がおいしく、機械がたくさんあり、ラヴァニに乗れる場所。ヴィセは当然思い当たらない。
「うーん、ちょっと遠いんだけど、ずっと東にあるジュミナスって町はどう?」
「何があるんだ?」
「大陸のまともな町の中では一番東の端なんだけど、遊園地があるって話」
「遊園地?」
「機械の乗り物に乗ったり、面白い仕掛けの迷路があったり。観光地だからそれなりに遊べるし、美味しいものも用意されているんじゃないな。私は写真しか見た事がないけど」
「乗り物は酔うからな……こいつ」
田舎者のヴィセはあまりイメージが湧いていない。霧の下で拾ったボルトや継ぎ手をおもちゃ代わりにしていたバロンに至っては、遊ぶ場所という概念がない。
「とりあえず、霧の海に向かう途中って事なら立ち寄ってみるよ、有難う」
「うん。必ずジュミナスでの様子を絵ハガキで送ってね。あ、旅立つ前にもう1度寄ってくれないかな。今日発つ訳じゃないんでしょ?」
「どうかな、ジェニスさん達がどうするかにもよる。エゴールさんにドラゴン化を治そうと試した事を教えて貰わないと」
「1分も時間がない訳じゃないでしょ? 絶対、分かった?」
「ああ、分かった」
ヴィセはテレッサにひとまず別れを告げ、バロンと共に店を後にした。紹介所にはもうジェニス達が着いている頃だ。
昼間のモニカの町は、依然と変わらず機械駆動四輪が行き交い、とても活気があった。
ユジノクやドーンのように大きくはなく、ナンイエートのように綺麗な町並みでもない。だが人の多さと賑やかさは負けていない。町の南では、霧に備えるための高い外壁の建設も始まっていた。
「あら、来たかね。ゆっくり眠れたかい」
「はい、ジェニスさんもエゴールさんも体調は良さそうですね」
紹介所の前ではジェニスとエゴール、それにボイが待っていた。ボイはずっと西にある町へ戻らなければならず、そろそろ出発するのだという。
「送ってやれずにすまないね、ジェニス」
「結局あんたはあたしを乗せてくれるって約束を守らなかったね。嘘つきのままくたばるんじゃないよ」
「はっはっは! こりゃ寿命が尽きても追い回されそうだ。それじゃあ、元気でな。俺は同郷の皆の事をいつでも誇りに思っている。村がなくなっても俺はラヴァニの者だ」
ボイに手を差し出され、ヴィセはしっかりと握手をする。久しぶりにラヴァニ村出身者が揃った嬉しさなのか、それとも激励なのか、そのボイの力強さに思わず驚く。
「諸事情で各地から出てきたものの、町での生活が合わない奴もいる。村があんな事になっちまったからって訳じゃないが、そういう奴らとラヴァニ復興を目指そうかと思っているんだ」
「本当ですか! それは楽しみです」
「こんな婆さんでもいいなら、娘を説得して移り住むのもいいね。招待しとくれよ」
「オレがいつでも連れて行くさ。村の守り神として鎮座するには丁度いい」
封印は勘弁してくれと言って笑いながら、エゴールも協力を申し出る。老い先短い者達も、数々の希望を失望へと変えてきたエゴールも、まだ未来を捨てていない。
「見習わないとな。バロン、その時は俺達も遊びに行くぞ」
「うん。ねえ、この後どうするの? もう旅に出ちゃう? ラヴァニ待ってるかな」
「そうだな、ジェニスさん達はどうされますか」
「あたしはネミアに連れて帰って貰うよ。流石にこれ以上あちこちに行くのはきついわい」
「明日以降なら、まあ1週間くらいの間であればいつでも来てくれ。君には話さないといけない事もいっぱいあるからね」
エゴールはそう言ってそろそろ行こうと促す。しかし、ジェニスは首を振り、背筋を伸ばしてヴィセとバロンに向き合う。その横では、やはりボイが紳士らしく胸に手を当てて立っている。
「ジェニスさん? ボイさん?」
ジェニスとボイは、そのまま深々と頭を下げた。突然の事に訳が分からず、ヴィセもつられてお辞儀をしようとする。
「有難う。ヴィセさん、バロンさん。あたしらは村の名誉を少しでも守れたと思ってる。あんたが教えてくれなかったら、あたしは一生みんな元気だろうかと呑気なことを思ったままだった」
「俺はいつでも寄ることが出来たのに、村が俺を捨てたと理由を付けて帰らなかった。君はきっと俺の兄弟も埋葬してくれたのだろう。ラヴァニ村はなくなったが、君のおかげで誇りを乗っ取られずに済んだ。有難う」
それだけを言うと、ボイもジェニスもゆっくりと歩き出した。まるでラヴァニ村の生き残りという立ち場をヴィセに託すように。
「有難うございました! ジェニスさん、ボイさん! 俺は……1人じゃなかった。あなた達がいてくれて、本当に良かった!」
ヴィセが大声で感謝を伝える。ジェニスもボイも振り向かないが、きっとその背には届いている。きっと聞こえている。
「やっぱり、凄い先輩だった」
自然と笑みが零れ、ヴィセもまたゆっくり歩きだす。ヴィセとバロンがエビノ用品店に戻る頃、頭上では航跡雲がゆっくりと青に溶けていこうとしていた。
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