Fake 08
女性は泣きそうな顔でバロンに縋りつく。全く事情が呑み込めないのはバロンも同じなのだろう、女性の行動に完全に怯えていた。
「バロン、知り合いか」
「わ、わかんない、怖いよヴィセえぇ……あぁーん!」
「泣くな、何だこれ、もう訳が分かんねえ。あんたちょっと落ち着いてくれよ!」
≪なんだこの女は。人攫いか≫
(いや、ここの職員みたいだし、攫うつもりではないと思うんだけど)
取り乱した女性職員と、泣く子供。無理に引き剥がして怪我でもさせたら大変だ。ヴィセは止めさせようと声を掛ける事しかできず、異様な雰囲気に周囲の者もどうしていいのかが分からない。
そんな展開に気付いたのか、カウンターの奥の扉が開き、上司と思われる紺色の背広を着た男が駆けよって来た。
「ちょっとバレクさん! お客様に何をやってるんだ!」
「やっぱり間違いない! イワンが、イワンが見つかったんです!」
「イワン? すみませんお客様、その子の名前はイワンとおっしゃるのですか」
「いや、この子は」
「うぇぇっく、俺イワンじゃないもん、バロンだもん……!」
このままでは埒が明かない。ヴィセ達は上司の男に案内され、皆の邪魔にならない別室に移動した。
* * * * * * * * *
深紅の絨毯が敷かれた応接間に通されると、ヴィセ達は黒い革張りのソファーに座り、白い木製のローテーブルを挟んで職員と向い合せになった。
灰色の壁にはどこかの風景画が飾られ、外開きの窓は大通りへと面している。とても上品で贅沢な空間だが、4人の雰囲気は暗い。
「あの……、それで先程の騒ぎは一体どうしたのですか」
「どうしたのかって? さあ、その女の人に訊いて下さい」
バロンは女の事が怖いのか、ヴィセの腕にしがみ付いている。女は今にもローテーブルを乗り越えそうなくらい前のめりになってバロンを見つめていた。
「イワンを……返して下さい。その歳まで育てて下さった事には感謝しています。でも、イワンは私の弟です」
「……こいつの本当の名前はイワンなのか?」
「絶対にイワンです! 私が間違えるはずない!」
「俺、イワンって名前なの?」
「さあ、本当にお前の姉ちゃんなのか確かめようがないからな」
バロンは姉と言われても思い出せないようだ。物心ついた時にはスラムにいたというし、父母の事やスラムに捨てた親戚の事はかすかに覚えていても、それ以上は思い出せないのだという。
「思い出せなくても仕方がないわ。私とイワンは10歳も離れていたし、イワンがいなくなったのはもう7年近くも前の事だから。当時私は13歳、イワンは3歳になったばっかりだった」
「3……ちょっと待った、バロンがユジノクに連れて来られたのは4歳だったって言ったよな? 年齢が合わない」
「俺、もうすぐ11歳って事になってるだけ」
「あー本当の歳は分からないんだったか」
バロンは女の事を覚えておらず、実年齢も知らない。ヴィセがバロンを引き渡すかどうかは別として、本当に姉かどうか、これだけの情報で断定することは出来ない。
両親の顔もいざ問われると思い出せない。会えなくて悲しかった事実は覚えていても、写真1つもないまま過ごす約7年は、幼子にとって長すぎたのだ。
「私はエマ・バレク。あなたはイワン・バレク。私は当時寄宿舎から学校に通っていたから、家に帰るのは月に1度、それと新年からの1週間だけだった。イワンが覚えていないのはそのせいかも」
「待った待った、バロンがイワンだと決めつけて話されても分からない。どうしてあんたの言うイワンがいなくなったんだ」
「バレクさん。わたしは打ち合わせがあるから抜けなければならないが、取り乱さずにちゃんと伝えなさい。人違いの可能性もきちんと考えて、失礼のないように」
「……分かりました」
上司の男が退出する。少々不安だが仕方がない。バロンの過去が分かるかもしれないし、本当に姉であるならバロンにとっても良い事だ。ヴィセは警戒しながらもエマの話を聞く事にした。
「私はドーンから小型の飛行艇で西に2時間程の距離にある村に住んでいました。そこから飛行艇で僅か15分くらいの小さな町に学校があったので、8歳からは寄宿生としてそこで暮らしていました」
「バロンは……いや、イワンはその間に出来た弟だと」
「そうです。長く一緒にいる事は叶いませんでしたが、私は歳の離れた弟を本当に可愛がっていました。イワンは体が弱く、3歳になってすぐに高熱を出し、一度は私がいる小さなアルトの町の病院に入りましたが……」
エマはバロンが思い出せないかと探りながら話を続ける。しかしやはりバロンは何も思い出せず、どんなキーワードにも反応しない。
「13歳になっていた私は、卒業も迫っていてとても忙しく、お見舞いには1度行けたきり。それからすぐもっと大きな病院があるドーンに移されたんです」
「その時、両親はどうしたんですか。あなたのご両親は? バロンは両親が亡くなり、親戚の者がスラムに捨てたと言っているんですが」
ヴィセの言葉にエマが驚く。眉を顰め、ヴィセの話を信じていないようだ。
「なんですって? スラムに捨てた!? まさか……。私の両親は亡くなりました。母はイワンの看病のため、父は入院費を稼ぐため、共にドーンにいたんです」
「もしかして、7年近く前という事は……ドラゴンがこの町を襲った時期か」
「はい。後に父は稼ぎのいい兵器工場に勤めていたと聞きました。母は時々父にお弁当を届けに行っていたそうなので、もしかしたらその時に。伯父も一緒に入院費を稼ぐため来ていたはずなのですが、今も行方が分かりません」
エマがドラゴンのせいで悲しい思いをしていたのだと知り、ヴィセは今朝の事を申し訳なく思っていた。当時この町を焼き払ったドラゴンではないと言っても、人々にとっては全ての個体をひっくるめてドラゴンなのだ。
そのドラゴンが目の前にいて、割り切って話せるはずもない。
「……今朝の事はすみませんでした。俺、実際に襲われた人達の事を考えていなかった」
「私こそ、すみませんでした。事情を知らない人にいきなり厭味な事を言って、しかも無関係なドラゴンもいるなんて考えてもいませんでしたから」
「バロン、このお姉さんに嫌いって言った事、取り消してあげな。ラヴァニもいいよな」
「……ラヴァニの事嫌いだったら、やだ」
バロンはヴィセの腕を掴んだまま、エマの反応をじっと待っている。バロンにはドラゴンに襲われた記憶がなく、両親の死因も知らなかった。身近にいるラヴァニの方が今は大切だった。
「もう、嫌ったりしないよ。そのバックパックの中にいるんでしょう? 出してくれても構わないわ」
ヴィセはエマの雰囲気がふと明るくなった事を察し、ラヴァニをバックパックから出してやった。愚痴の1つでも言うのかと思いきや、ラヴァニはエマへと顔を向けたまま目を瞑り、しばらくしてゆっくり開いた。
「ラヴァニ?」
≪我の仲間は正しきことをした。だが仲間たちはこの者の親を、そしておそらくはバロンの親の命を奪った。昼間の男のように、その死を悼んだまで≫
「そうか。このドラゴン……ラヴァニが仲間のせいでご両親が死んだ事を申し訳なく思っていると」
「ドラゴンから……そんな事を言われるとは思っていませんでした。有難う、ラヴァニさん」
エマがラヴァニに謝ると、バロンはようやくヴィセにしがみ付くのをやめた。
「……ラヴァニの事、嫌いじゃないなら俺も嫌いじゃない」
「有難う……イワン。恐らく、イワンはドラゴンや災禍を直接見ていないのでしょうね。ドーンが壊滅した時、私はイワンも死んだと聞いていました」
エマはちょっと待っていて欲しいと言って部屋を出ていき、しばらくして幾つかの本を抱えて戻って来た。
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