3-10.『俺の心配もしろよ』

 腕をめてじ伏せ、そのまま関節をし折る――

 手を取って引き倒し、うなじにひじを入れて意識を刈る――

 下段蹴りローキックで膝関節をあらぬ方向へ折り曲げ、背後に回り絞め落とす――


 全方位から迫り来る群衆を、が押し止めていた。


 〈ダンタリオン〉によって生み出した幻影ホログラムは、をもとに自律行動させることができる。


 を負わせて動きを封じる最中さなか、ワイスがうんざりと息を吐く。


「……偽物のお前さー、もっといっぱい出せなーい?」

「出来るならとっくにやってる」


 張り詰めた神経をとげのある声で逆撫さかなでされ、返す語気は自然と荒くなった。


『――キリが無いな』

 本体アルバートの思考に、


『このままじゃジリ貧だ』

 まるでトランシーバーを通したような、雑音ノイズ混じりのざらついた音声こえが――


『倒しても倒しても湧いてきやがる』『いずれ押し潰されるぞ』『こんな水際対策じゃ無理だ』『速く突破口を見つけないと』『相棒が射手を仕留めるまでの辛抱だ』『洗脳兵それ射手これとは別問題だろ』『アナスタシアの精神メンタルたないぞ――


 何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も何人も――


 絶え間ない思考の輪唱ハウリング

 幻影ホログラムの数だけ分裂した人格が、複製された意識が、他人じぶん思考ことばが、テレパシーのように頭の中に流れ込んでくる。

 自分の思考しこうしていく。


 〈ダンタリオン〉の弱点――それは多重発動すれば自分自身を、自我が幻影ホログラムのように消え去る危険性があること。


 だからアルバートは幻影に自律行動させず、デコイとして使うに留めていたのだ。


 普段の十倍以上にも及ぶ、五十人の幻影じぶんの並列処理。

 限界以上の出力オーバーワークに耐え兼ねた脳が、音立てて沸騰しているように錯覚する。


「そろそろ三分経ったタイムリミットだろ、ワイス。無駄口を叩けるってことは仕留めたんだろうな?」

洗脳兵こいつらが邪魔でタマんのは厳しーけど、」


 言葉を切って、ワイスは幻影ホログラム妨害ブロックをすり抜けた男の顔貌がんぼうを蹴り潰す。


「片腕はシルヴィが噛み砕いてくれた。もう矢は飛んで来ないよ」

「なら充分だ」


 ワイスの〈権能インペリウム〉――〈マルコシアス〉は、攻撃した箇所を凍結させて肉体の治癒再生を阻害できる。


 弓というものが片手で引ける構造をしていない以上、片腕を失った射手に狙撃は不可能。

 あとは烏合の衆を蹴散らして愛車バンに乗り込むだけだが――


「ワイス、お前の〈権能ちから〉でここにいる全員ぶっ飛ばせないか?」

「まぁならでき……あーやっぱダメ。ナターシャも巻き込んじゃう」

「範囲攻撃なら俺の心配もしろよ」

「ハ、なに言ってんの? ――

「馬鹿言え。本物ならお前の目の前にいるだろ」


 いきなりなにを言い出すのかこの駄犬バカは――たまらず抗議すると、ワイスは冷え切った軽蔑けいべつの視線を突き刺してきた。 


「……ほんっとムカつく、お前の嫌い」


 アルバートは小さく嘆息しつつ、頭痛を堪えるように額に手をやる。


 現状を打破するための最適解が見つからない。

 どうすればこの窮地ピンチから抜け出せる? 運転席に幻影ホログラムを配置して、群衆をころしつつか?


『お願い――


 ――さっきからずっとこうだ。

 ひとつ策が浮かぶたび、アナスタシアの震える声が脳裏に蘇る。

 残虐な発想の数々――普段なら一片の躊躇ちゅうちょもなく実行できるはずのそれらに、なけなしの良心が待ったを掛けてしまう。


 毒矢の脅威が去ったのを皮切りに、思考に響く声がのも、つのるばかりの焦燥に拍車を掛ける。


 数人掛かりで組み付かれた何体かの幻影ホログラムが、抵抗する間もなく解体バラされていく。

 頭をもぎ取り、心臓をえぐり抜き、転がしたそれらを原型を留めないほど執拗しつように踏み潰す。 

 ちりも積もればなんとやら――〈悪魔憑き〉の再生能力を上回るに、幻影の数は目減りしていく。


 一方で、人の潮流は満ちるばかり。

 退屈しのぎにはやし立てに来た野次馬も、

 偶然この場に居合わせた不幸な通行人も、

 みな平等に〈印章シジル〉の烙印らくいんを額に押され、戦列は際限なく膨れ上がっていく。


 もはや幻影ホログラムでの妨害ブロックはほとんど突破され、一番槍がアナスタシアをかば最後の一人アルバートの前まで到達していた。


「シルヴィが戻るまで耐えろバートッ!!」


 掩護カバーに入った相棒が迫る群衆を蹴り飛ばす中、アルバートの耳は――

 とらえる。


「ッ!!」


 息を詰まらせながらも声を飛ばす――より速く、飛んできたが相棒のジャケットの袖をかすめた。


「――は、ぁ?」


 ワイスは珍しく困惑に青褪あおざめた顔で、呆然ぼうぜんと口を開く。


「なッ、んで……弓を引く腕を噛み砕いたんだ……シルヴィが確かに粉々にしたッ。なのに――」


 震える独白をさえぎったのは、重い衝撃音。

 アメフト選手じみた巨漢による死角からの体当たりタックル。反応が遅れたワイスの体躯はなすすべなく吹き飛んだ。


つう……ッ!?」


 地面をって転がった先に、すぐさま洗脳兵が殺到。立ち上がろうとしていたワイスの姿が見えなくなる。


 だが相棒の姿に意識を向けていられない。既にアルバートも複数の洗脳兵に組み付かれていた。

 まるで四肢をもぎ取ろうとするかのような乱暴さで、あっという間にアナスタシアから引き剥がされたそのとき、



「お願い―― !!」



 こばむように金の髪を振り乱し、掠れる声をそれでも振り絞るアナスタシア。

 絶叫が響き渡ったその瞬間、


 鋭い風音とともに飛来したが、アルバートの額と心臓をあやまたず貫いた。


 空気のみならず脳まで震わす悲痛な叫びは、そこに込められた願いも虚しく――


 わずかに一瞬、届かなかった。



◆◇◆◇◆◇



 顔を上げた先で、アナスタシアは赤い双眸そうぼうから光が消えるのを見た。


「……ぃや、ぁ、」


 開き切った瞳孔どうこうから魂までも抜け出たか。

 脱力し崩折くずおれるアルバートの身体は壊疽えそで埋め尽くされていく。


「そ、んな……嘘、」


 震える声を漏らして見ていることしかできないアナスタシアの前で、やがて肉が溶解していき――



 



 腐食した肉の一片、黒ずんだ血の一滴さえも、デジタルドットとなって霧散むさん

 アルバートは――忽然こつぜんとその姿を消していた。


「え……?」


 当惑するアナスタシアがこぼした声を掻き消すように、周囲のあちこちで悲鳴やざわめきが生まれる。

 

 ある者は顔面蒼白で尻餅を突いて後ずさり、またある者は呆然とした顔で立ち尽くしている。

 溶け落ちた人肉と立ち込める腐臭に、うずくま嘔吐おうとする者までいた。


 が、一転して狂騒を生み出している。

 先ほどまでの統率の取れた動きなど、まるで嘘のように。


「サンキュ、ナターシャ。助かったよー」


 と、唖然あぜんとするアナスタシアの後ろから、白いレザージャケットに包まれた細腕が伸びてくる。


 緩く抱き締めるようにしなだれ掛かり、肩に顎を乗せるワイス。

 その身体に臨戦態勢の強張こわばりは既に無く、横顔には一仕事終えたかのような清々すがすがしさすらあった。


「エーデルワイスさんっ、ア、アルバートさんが……っ!!」

「あーうん、気にしなくていいって」


 泣きそうになりながら訴えるアナスタシアだが、ワイスは死した相棒を一瞥いちべつもしない。

 別の一点を見つめたまま、その横顔には不敵な笑みが刻まれていく。


「だってあたしの相棒、

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