カクヨム版「龍帝紀」

久万聖

序章

 12月も半ばに入り、街はクリスマス一色。

 街路樹にもイルミネーションが燈ると、あちこちでイチャイチャするリア充や、親に手を引かれる明るい表情の子供達。

 正直言って、独り身のアラフォーにはやるせないシーズンだ。

 子供の頃に思い描いていた未来は、すでに思い出すことすらできないが、現実とは凄まじい落差があることだけは、理解している。

 ベンチに座り、缶コーヒーを飲んでいると、冷たいかたまりが頰にふれる。

 子供達が「雪だ!」と、大はしゃぎし始める。

 本来なら微笑ましいはずの情景も、そう思えない。


「雪か・・・」


 そう呟く。

 雪に良い思い出がないんだよな。

 いや違う。

 雪に良い思い出がないのではなく、それ以上に、強烈に嫌な思い出があるだけだ。

 8歳のクリスマスイブ、雪のなかはしゃいで塾から帰った、真っ暗な家。いつもなら夕食を作って待っているはずの、母親の姿がなかった。有り金全てを待って、浮気相手と駆け落ちをしたと知ったのは一月ほど後になってからだ。口さがない近所のおばさんたちの噂話で。

 10歳になる直前の元旦の朝、姿の見えない父親を探していたら、トイレで首を吊っていた。遺書には多額の借金を苦にしていたと、そう書かれていたそうだ。この日も雪だった。

 15歳まで親戚をたらい回しになり、中卒で小さな建設会社で働き始めた。社長の好意で、定時制の工業高校に通わせてもらえたのは幸いだった。

 正直、この時が一番幸せだった。社長は厳しかったが、息子のように接してくれ、可愛がってくれた。

 それも、アメリカ発の金融危機、いわゆるリーマンショックで終わりを迎えてしまう。

 リーマンショックの被害が一番少ないはずの日本で、大企業の緊縮ムードが高まってしまい、上り始めていたはずの景気が悪化。トドメに政権交代した民主党の無策もあり、工場の経営が傾いてしまう。

 リーマンショックから、一年以上も持ちこたえることができたのは、それまでの健全経営のおかげだろう。

 そんな健全経営の会社も、銀行の貸し渋りにあいあえなくたたむことに。「余力のあるうちにたたんだ方が良い」と判断したのだろう。退職金を多目に貰えたのはありがたかった。そして、この日も雪だった。

 その後の就職活動は失敗の連続。

 それこそ食うために日雇いの仕事をしたりしたものだ。


 過去の回想をしている間に、雪もつもりはじめていた。


 5分ほど歩くと、交差点の信号が赤に変わる。

 交通量の多い交差点。信号の待ち時間も長めだ。

 隣に小学校低学年くらいの女の子が、信号が変わるのを待っていた。

「自分にも、これくらいの子がいてもおかしくないんだよな」そうぼんやりと考えていると、その女の子が後ろから押され、車道に飛び出した。そこに大型トラックが迫ってくる。

 咄嗟に女の子の手を引っ張り、歩道に引き上げる。そこまでは良かった。つもった雪のために足が滑り、体勢を崩し自分が車道に倒れこんでしまう。

 トラックもブレーキをかけたようだが、つもった雪の上だ。間に合うわけがない。

「死んだ」

 自然にその三文字が頭に浮かぶ。次の瞬間、強烈な衝撃を感じた。そして、「なんでこのクソガキが助かるんだ」という、これまた衝撃的な年老いた女の声も聞こえた。随分と昔に聞いたような声、そんな気がするが確かめる余地もない。

 自分はもう助からないのだから。



ーーー



ああ、我が娘よ。


我が愛し子よ。


許しておくれ。


お前に与えた役割を。


お前に背負わせた悲しみと哀しみを。


必ずや、それらの呪縛から解放しますから。


だから、今しばらくの間、耐えておくれ。


我が愛し娘、・・・・・・よ。




ーーー



誰かが話しかけている?


いや違う。


誰かの哀しみの言葉が、自分の中に流れ込んでくる。


なぜ?


なぜ、死んでいく自分の中にそんなものが流れ込んでくるのだろう?


意識を完全に失うまでの、ほんの刹那の出来事。


そして、自分の意識は覚めることのない領域へと、深く、深く沈んでいく・・・。



ーーー



「ご協力ありがとうございます、モイラ様。」


そんな若い女性の声が聞こえる。


わたくしたちだけの力では、異界より呼び寄せることができませんでした。」


異界とはなんのことだろうか?


「いえいえ。

それよりもまだ、事の途中でございます。

良き結果がもたらされることを願っております。」


年配の女性のような声。

おそらくは、モイラと呼ばれた存在の声なのだろう。


聴覚以外の感覚は、まだ無い。


モイラという名に聞き覚えがあるのだが、それを思い出すよりも先に、強烈な眠気に襲われる。


死んでいるはずなのに、強烈な眠気に襲われるという事態に可笑しさを覚えながら、深い眠りに落ちていく。



ーーー



 ひんやりとした感覚が背中から伝わってくる。

 ひんやりとするようなところで寝てたっけ?

 そう疑問を感じ、眼を覚ます。

 薄暗く、そして天井がやたらと高い。

 ここはどこだろうと、ゆっくりと起き上がり、周りを見回す。

 祭壇のように思われるが、確証はない。


「目を覚まされたぞ!」


「巫女姫様を呼べ!」


 祭壇の下から声がする。慌ただしく動いているようだ。祭壇から降りるべく体を動かすが、違和感がある。

 手が小さく、華奢だ。手だけじゃない。足もそうだ。いや、体全体が小柄で華奢になっている。思わず頭を掻くが、そこでもおかしなことに気づく。お洒落と無縁な自分の髪型は、短めのスポーツ刈りのはず。それが長い。長髪にしたことなど、ただの一度もないのに。髪を辿ると背中まである。

 これはおかしいと、改めて自分の体を見る。

 胸が少し膨らんでいるような・・・。

 まさか・・・ね?

 股間に手を伸ばしてみる。あるはずのものが、無い。そして、無いはずのモノがある・・・。


 落ち着け、いいから今は落ち着いて、今までを振り返ろう。

 確か、女の子を助けて、代わりにトラックに轢かれたはず。少なくみて時速60kmの大型トラックに、ほぼノーブレーキで轢かれた。

 うん、生きてるわけないよな。そんなのに轢かれて生きていられるのは「アンブレイカブル」の主人公か「ウルヴァリン」くらいのものだ。そのどちらでもない自分が生きているわけがない。

 うん証明完了。Q.E.Dというやつだ。

 ということは、ここはどこだ?

 あの世とやらかな?あの世とやらに行ったら性別が変わるなんて聞いたことがないのだが。

 とりあえずは祭壇から降りて、外に出てみよう。ここがどこかを判断するためにも情報が欲しい。

 動きだそうとした時、ギギィッと、扉が開く音がする。

 薄暗い中にいるせいか、開いた扉から入る光がとても眩しく感じられる。

 その光の中から人影が見える。

 そして、その人影から声が発せられる。


「お目覚めになられましたか、異界の方」


 異界?異世界のことか?体は、今までの自分の体じゃないよな?

 魂だけこの世界に来た?

 ようするに、転生というヤツなのだろうか?

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