第3話

 彼が目を覚ましたのは日が登って幾ばくか過ぎた頃だった。

 普段感じたことのない土の匂いに、ゴツゴツとした石のような感触。違和感というには主張しすぎるそれらの感覚に強制的に意識が覚醒させられた。


「っ……」


 身体のあちこちがズキズキと痛く、頭もまだ少し朦朧としていた。それでもなんとか身体を起こすと、パチパチとはぜる焚き火が見えた。焚き火の周りには肉を細枝に刺したものが少し距離を開けて地面に突き刺してあり、じっくりと炙られている最中のようだった。

 見回してみるが、あたりには誰もいない。


「ここは……?」


 呟いて違和感を覚える。掠れているが、妙に高い声だった。ゆっくりと自分の手を見るととても小さな紅葉が見えた。


「……は?」


 彼は、自分の目が信じられなかった。

 慌てたように腕を足を腹を見て、あちこち触る。着ている服もズボンもやけにゴワゴワする布地だったが、そんなことはどうでもよかった。二十代で目覚めたトレーニングで徐々に鍛え上げてきた肉体。食事にも気を使い黙々と培ってきたその筋肉。それが、一欠片も感じられなかった。


「……ない」

「ん? お? おー、起きた? やーよかった」


 ガサガサと下生えの柴を掻き分け、森から出てきたのは先に起きていた彼女だった。実家の裏山で見かける虫が嫌がる葉っぱによく似た植物を見つけ、腰に現住人よろしく括り付け、肩には仕留めた猪と鹿を足して二で割ったような動物を担いでいる。彼の容体が落ち着いた後はずっと周囲を警戒して一睡もしていないのだが、とても元気いっぱいだ。

 彼女が動物をその辺の蔓で少し離れた木にぐるぐる巻き付け括っている間も、彼は衝撃のあまりその場で両手を地面についてぶつぶつ言っていた。


「どうしたの? 何かないの?」

「ない……そう、ないんだ、おれのからだ……」

「? あるように見えるけど。からだ」


 まさか幽霊じゃあるまいしと返す彼女に、彼は顔を上げた。ここではないどこかを見やる目には生気がなかった。


「ついてないんだ」

「ついて? えっと……どっちかっていうと、(たまは)ついてると思うけど」


 彼の服をひっぺがした時にばっちり見ていた彼女は、戸惑いながら明後日の方へと応えを返す。


「こんなのついているうちに入らない」

「ええ? ……その、大きさを気にしてるの?」


 答える彼を子供だと思う彼女が、戸惑いつつも、まさかその歳で?と思いながら聞くと彼は真顔で頷いた。


「大きさだけじゃない。均整の取れた形も大事なんだ」

「そ、そうなんだ」


 形。と口の中で呟きどう返していいかわからなくなる彼女。


「あぁおれの筋肉が……」

「あ、〇玉の話じゃないのか」


 彼女の呟きに両者の間に沈黙が落ちた。そして彼は何事もなかったかのように座り直して火にあたった。


「ところで聞きたいのですが。あなたは倉橋さんで合っているのでしょうか?」

「あれ? 知り合いだった?」


 彼は至極冷静な顔つきで頷いた。先程の会話は無かった事にしたいようだった。


「その様子からして、倉橋さんで間違いないようですね。私は立花です。立花悠」

「え、殿下?」


 彼女、倉橋楓から出た殿下の呼称にため息をつく彼、立花悠。ちなみに皇族でも王族でもない。ただ、綺麗な顔立ちで身長が高く、優雅な所作と無表情の威圧感から殿下と会社の仲間内で呼ばれていただけだった。立花としては何故に殿下と思っていたが、今は些末ごととして流した。


「何故かこんな子供の姿なんですけどね。私は間違いなく立花ですよ」

「言い方は殿下だけど……」


 口に手を当て、うわーと小声で言いながらマジマジと立花を観察する倉橋。真っ直ぐな髪に少しだけ癖っ毛のようなところがあり、目元の鋭さも幼いながら感じさせる。だが、成人男性の立花とはかけ離れており、むしろ少女のような儚ささえ備えている。ばっちり美少女枠に入っていた。


「何があったのかさっぱりなのですが、倉橋さんはわかりますか?」

「ちっちゃいのに殿下……あ、いえいえ、えっと、すいません? えーと? 本当に立花さんで?」


 立花はやや疲れたように肯定し、続けた。


「そうです。そもそも倉橋さんも姿がだいぶんと幼くなっていますよ? まぁ私ほどではないですけど」

「え?」


 そんな馬鹿なと倉橋は水面に寄って顔を写した。そこには中学生ぐらいの時の自分の顔があった。ショートカットの頭は同じで、慣れ親しんだ低い鼻に太めの眉毛、薄い瞼に一重の目。唇も薄くて全体的に少年のように見える。

 造作は大きく変わっていないのだが、お肌はぴちぴちむちむちだ。思わず掴んで引っ張った。


「先ほども言いましたが、私は何が起きたのかわからなくてですね」

「……か…か…」


 ぎぎぎぎと軋んだブリキの音がしそうな様子で顔を掴んだまま振り向く倉橋に、立花はため息をついた。

 倉橋は「か」を繰り返していた。動揺しすぎて『顔』の二言も言えないでいた。

 だがそんな倉橋を見て立花は、仕方ないと思う。自分だってあの均整の取れた美しい筋肉が失われたと気づいた時の衝撃は筆舌に尽くし難い。あまりの事に状況を忘れて取り乱してしまったのだ。

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