第7話 冷たい嵐

「遅くなりました。申し訳ない」

 男は女たちの前を通り過ぎ、ネブラの向かいに座った。


「突然すまないね」

「いえいえ。光栄です」

 ネブラがグラスを手に取る。男はすかさず酒を注いだ。


「そうだ。今日は私の甥を連れてきたよ」

 ネブラがサフィラスを指差す。

「サフィラス。この人はザイン侯爵。会ったことあったかな?」


 サフィラスは首を横に振った。王宮で見かけたことはあったが、直接言葉を交わしたことはない。


「これはこれはサフィラス様。よろしくお願い致します」

 ザインが頭を下げる。

 髪が薄く、額が広い。髭を生やしているが、あまり濃くない質なのだろう。ひょろひょろとした髭は少しも似合っていなかった。


 サフィラスは少し疑問に思った。

 おそらく披露宴を抜け出してきたのだろう。豪華な衣装を着ている。


 しかしザインの袖口から覗くレースは、何年か前に流行した柄だ。

 侯爵が、王族の披露宴というハレの場に、型遅れの服を着てくるだろうか。

(ファッションに興味がない人なのかな?)

 サフィラスはどちらかというと好きな方なので、型遅れのレースがとても気になった。


「さぁ、たくさん召し上がって下さい」

 ザインが皿に料理を盛る。ルウチの盛り付けとは打って変わり、豪快で大胆な盛り付けだった。


「どうも……」

 サフィラスは皿を受け取ったが、そのままそっとテーブルに置いた。

 ふたりのやり取りを黙って見ていたネブラがグラスを掲げる。


「たくさん食べなさい。ここの料理は美味しいだろう? 海鹿亭から取り寄せているからね」

(取り寄せている?)

 サフィラスは、てっきりここは食堂だと思っていた。

 食事を提供する場所でないのなら、何をする店なのだろう。


「王宮ではろくな物が食べられないからな。毎日毎日、よくあんなものを食べられるよ。私はレバーパテを見ただけで、もう吐き気がする」


 ため息と共に、酒臭い息を吐く。

 サフィラスにとっては、大人たちが酒を飲み、何時間も語らう方が疑問だった。


「それで、突然どうされたのです?」

 ザインが痺れを切らしたように、身を乗り出す。

「なに、宴に飽きたのさ。招待客は皆、花嫁と花婿に夢中だからね。我ら脇役はする事がない」

 ネブラがグラスをあおる。


「用がなければ、呼び出してはならなかったかね?」

「そんなまさか。いつでもお声をかけて下さい」

「兄上もいい気なもんさ。王の仕事は全部私に押し付けているくせに。こういう時は偉そうに振る舞う。こっちは損ばかりさ」


 空になったグラスに、ザインが酒を注ぐ。

「生まれる順が少し違うだけで、何故こうも待遇が違うのだ。私は兄の臣下ではないのに。それなのに毎日雑用にこき使われ。実際に仕事をしているのは私だ。そう思うだろう」

「まったくです」

 ザインがうんうんと頷く。


 サフィラスは、つまらなさそうにふたりを眺めた。

 ネブラはひたすら愚痴を言い、ザインはお追従を述べ続けた。

 これの何が楽しいのか、サフィラスにはさっぱりわからない。


 ザインの入れた料理を食べる。食べ慣れたものと違い、味は濃く脂っぽかった。

 時折ルウチが気を利かせて話しかけたが、サフィラスはこの会合に飽きてきた。


 これなら披露宴会場にいた方がマシだった。

 少なくとも美しいアグノティタを見ることが出来る。

 どのタイミングで帰ると言おうか。サフィラスはそればかり考えていた。

 すると突然ネブラに話しかけられる。


「サフィラス、君も不憫だな。イーオンより後に産まれたばっかりに。君は決して王になれない」

 ネブラは酩酊しているようだった。呂律は怪しく聞き取りにくい。

 ごにょごにょと小さな声で言ったかと思えば、突然大きな声をだす。


「今はまだいい。イーオンに次いで君の王位継承権は第2位だ。しかしイーオンに子どもでも産まれてみろ。順繰りに位は落ちていき、いずれは末席だ。決して王にはなれぬ。例えどんなに優秀でもだ」


 だんっと、グラスを置く。反動で中の酒がこぼれた。

「何故私が第4位なのだ。私の方が優秀なのに。実際に仕事をしているのは私なのに……」

 ネブラはそれから同じことを繰り返した。


「サフィラス! 君もそう思うだろう!」

 ネブラの頭は揺れ、もはやどこを見ているかわからない。

「イーオンさえいなければ。君は王になれたんだ。アグノティタと結婚し、子をなし、臣下にかしずかれていたのは君なんだ。それなのに……」


 ネブラはごにょごにょと言った後、テーブルに突っ伏した。そのまま寝入ってしまう。

 ネブラの後頭部を見つめるサフィラスの胸に、さっきの言葉が突き刺さる。


『イーオンさえいなければ──』

 胸の中を冷たい嵐が吹き荒れる。

 突然の嵐にサフィラスは戸惑った。

 産まれた時からアグノティタとイーオンが結婚することは決まっていた。

 イーオンが王になるのと同じくらい、それは当然のことだった。


 しかし──


 サフィラスは胸の中を吹き荒れる嵐を鎮めるのに必死だった。

 ザインがいつ挨拶をして、いつ去ったのかも気づかなかった。


 いつの間にかザインは去り、部屋の中は酔い潰れたネブラと介添えの女性が1人。それとルウチだけになっていた。


「じゃあ、僕らも帰るよ」

 我に返ったサフィラスは立ち上がった。

「あら、ネブラ様は今宵こちらに泊まられますよ。サフィラス様もお泊りになるでしょう?」

 介添の女性が言った。


「え? そうなの? 困ったな。流石に外泊なんてしたらまずいよ」

「泊まられないのですか?」

 ルウチがそっとサフィラスの手をとる。


「うん。城を出たのだって今日が初めてなんだ。いきなり外泊なんてしたら、どんな騒ぎになるかわからない」

「でも……」

 ルウチが切ないため息をつく。


「ルウチ。はしたないですよ」

「…………申し訳ありません」

 握った手を、ルウチはそっと離した。


 サフィラスはこの少女を見ていると、何故だか罪悪感に駆られる。

 自分がとても失礼なことをしているような気になるのだ。


 なんとか機嫌を治してもらいたくて、深く考えずに「また来るよ」と言った。

 ルウチは名残惜しそうな顔をしていたが「必ずですよ」と言った。

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