第1話 二人


 ヒトが流れて行く、少女の周りを。


 何のかかわりもない、無機質な物体と同一、ただの人型にすぎないオブジェがカゲロウをまとってユラユラたゆたい流れて行く。


 少女は踏切を前に、ひとり立ち止まり続ける。


 小川の岩陰で、奇妙に渦巻く流れに翻弄され、ぐるぐる踊る枯葉。


 カンカンカンッ。

 警告音を鳴らしながら黒と黄色の縞々の遮断機が下りてくる。


 夏終盤の陽気な朝日が、早くもギラギラとエネルギッシュに燃え、熱量をどんどん放出しているが、彼女には伝わらないのだろうか。


 と言うのも、まるでその空間だけ切り取られ、曇った冬の黄昏。同世代の少年少女が否が応でも醸し出すハツラツさというオーラを、少女からは、まるで感じることができなかったから。

 外見とは正反対に、年老いて枯れ果てた朽木を思わせさえもする。



 9月1日、朝8時半、線路横切る四つ辻に立つ、セーラー服姿の女学生。


 襟の大きめの白いシャツに、ダークブルーのひざ丈スカート、気持ち程度グラデーションがかったチェック柄で、月の意匠が連なった、凝った裾のライン模様がアクセントポイントになっている。


 唸りをあげ、重い金属の車列が通り過ぎる。

 流れに逆らう金魚の尾びれの様に、風圧でひらひら揺れる少女。


 首元のウエーブのかかった黒い蝶ネクタイはじめ、随所に細やかな、うねりが裁縫されているためか、大まかな分類でいえばシンプルな有体のデザインながら、ピシッとしたお堅い制服というより、ゴスロリ調のフワッとした軽やかさが感じられる……。


 超ハイソな超エリート校、月詠(ツクヨミ)学園の女生徒の夏服だ。



 重い黒革の手提げかばんを足元に置いて、最寄り駅へと続く歩道の端っこに佇む彼女。


 目の前を轟々と通り過ぎる、もう何度目かのラッシュアワーに走る運行列車を、見るともなく視界に抑え……。


 「……はぁ」


 どこか虚ろな瞳で、たちまち消えゆく微かなため息をついた少女の名は


 眞元(サナモト)リナ。


 無造作に跳ねた黒髪のショートカットで、スラリと伸びた手足、細身の背丈160センチほど。


 まさに青春真っただ中の最強の世代、セブンティーンを謳歌する女子高生としてはどうだろう、彼女の背中からも立ち上る暗い重苦しさに、大きなギャップを感じずにいられない。


 周りに再び、通勤通学に勤しむ人々の流れが発生する。

 が、相変わらずも窪みに引っかかってクルクル回り、いっこうに流れて行かない、せせらぎの落ち葉の如く、リナの両足は前へと動かないまま。



 なるほど、もう一歩深く考察するならば、こういう事か?


 長かった自由気ままな休みが終わり、新たな学期がスタートするのが今日。すべての若者に薔薇色の学生生活がいつも手を広げ待っているという事もまた、ありはしないという事だろう。



 今、彼女の頭の中を占める言葉は一言……。


 憂鬱。





 時が止まった、少女の頭上では。


 モソモソ動くシルキーな淡いピンク色の掛け布団から、ニョキっと真っ白い小さな二本の手が伸び、続けて、白みの強いプラチナブロンドの艶やかなフワフワの乱れ髪が目深に被さった顔が、ぷにぷにの頬をほのかなバラ色に染め現れた。


 「ぶわぁ~」


 大きく開かれた口が、大あくびをする。



 「う、うぅ~ン」


 寝ぼけ眼でのっそり左右に頭を振ると、後ろに手をまわし、ベットの上、頭の上の目覚まし時計を小さな紅葉のおててでパタパタ探るが、無い。


 「?」


 軽やかな猫を思わす動作でピョンと上半身を起こすと、ポンと跳ね、胡坐をかいてチョコンっと座る。二本の手にふさわしく釣り合った、二本の白い御足。よく言えばとっても可愛い……短めの足。


 ようやくはっきりして来た頭で、陽の光にあふれた部屋を見回すと……床に無残に転がる残骸、どうやら見事に破壊されたらしい時計を確認する。


 与えられた使命果たせず、悲しく散った目覚まし時計に黙とう。



 あぁ、やっちゃったか、とばかり頭をポリポリ。


 やんちゃな小学生のご起床か?



 一瞬つぶらな瞳が、ハッと見開く!


 「やばい!」


 小動物を思わせる、赤茶色の虹彩の両目が長い睫の下できらりと光った。



 顔を上げ、壁掛け時計の時刻を確認! 8時40分を回っている。


 「遅刻じゃ~」


 柔らかなベットから勢いよく跳ね起き、床に着地すると同時に、壁のハンガーにかかっていた制服を取った。


 続けざまに、恐ろしく速い手際で着ていたパジャマを脱ぎ飛ばすと! パンツ一丁になる!!

 その姿、誰の目にも止めさせること無い! かの早業、まさに奇術師の早着替えで、スカートに足を通し、上着をスポッと被り着た。


 首をブルっと回し、プラチナの髪の毛を跳ね出すと肩ほどではらりと揺れる。


 片足を上げ、おっとっとと、多少ひょうきんなバックステップで壁際に寄り、服と一緒にぶら下がっていたリボンを、可愛らしい指でつまむ。

 それでもって、するりと抜き取り、一流スケーター顔負けの軽やかな回転を見せ、後ろ手に緩いポニーテールに髪を結んだ。



 ここは、よくある一般家庭の子供部屋程度の一室。


 壁に設置された姿見に映る自分自身を一瞥し、フムフム満足したと、ニッコリ笑顔を見せる、身の丈1メートル20センチほどの、ちんちくりんな少女……。


 しかし、彼女が身に着けた白とグレーの制服には、どこか見覚えが……。


 そう、彼女も紛れもなく花の女子高生。


 今日から、月詠学園の生徒。



 そして何を隠そう、此処に御わす御方こそ!


 美波羅 妹子 (ビバラノ イモコ)


 ……まだここだけの話、超絶お金持ち少女、ビヨンドリッチガールその人である。




 華麗なるヒーロー、美少女(?)救世主の最初の第一歩としては、少々出遅れたと言うほかないが、構うことは無い、いざ出陣! まだまだ挽回可能。


 二階にある自分の寝室から一階のリビングへ、一気にダダダっと駆ける。


 !……何か思い当たったか、足が止まる。


 小さな手を胸に当てる、無い胸に当てる。


 「でへへ」


 ちょっと照れ臭そうに笑うと、踵を返し、ダッシュでトンボ返り。開けっ放したままのドア、さっきまでグ~スカ寝ていた部屋に戻ると、洋服タンスの引き出しを開け、下着のトップスを取り出しパパパっと付け終えた。


 「え~っと……始業式は、たしか9時……」


 時計の針は8時42分を今まさに通り過ぎた。


 果たして18分弱という残された僅かな時間で、無事に学園へとたどり着けるのか?

 タイムリミットまでに始業式に間に合うのか?


 妹子は、ふくよかなツヤツヤの唇を少し尖らせ、通学路を思い浮かべ時間配分をシミュレーションしてみようとするのだが……。


 「…………」



 今、彼女の頭の中を占める言葉は一言……。


 ぐぅ。


 空腹。

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