第2話:テセウスの階段

ついにこの時が来た。この時が来ることは確定していた。来るべくして来た、避けようのない事象。さて、あたしはどうしたものか。

自称観測者のAは世にも奇妙な姿勢で大体そんな感じのことを考えていた。おんぼろアパートの外階段の、大体真ん中らへん。大きめの足場の一枚が真っ二つに折れて二メートルほど下の地面に転がっている。その足場のあるべき場所からはAの頼りなさげな左の脚が伸びていた。右の脚はその上の足場にかけられている。両手がそれぞれ左右の高さの違う足場に置かれている。女子高校生の全体重を支えるには細すぎる、つまりあまりにも筋肉のない腕が必死に足場に突かれ、ぷるぷると震えていた。

怖いわけじゃない。力がないわけじゃない。これはそう、武者震いだ!などと誰も気にしないようなことを取り留めもなく考える。体育の成績が万年落第レベルのAにとって二メートルは意を決して飛び降りるには高すぎる距離だった。

やばい、そろそろ腕が限界だ。自然と顔にも力が入る。今の自分を鏡で見たらとてつもない顔をしてるだろう。

何を弱気になっている、観測者よ!この程度どうにかなるだろう。脳内でかっこよくキメたセリフを呟いてみても状況は変わらなかった。いや、むしろ悪化してる。やばい。大事なことだから二回言う。やばい。

せめて明日の自分を観る方法があれば。明日の自分を観測できれば今ここで無様に落ちることなどないだろうが、そんなご都合的な展開があるはずもなかった。

「なんだそれ、新たなヨガか?」

かんかんかん、と階段を降りてくる音。見上げると見知った友人が部屋着で立っていた。こいつまた大学サボったな。

「ふんぬ」

友人は容赦なくAの脇を掴むといとも容易く彼女を引き上げた。そのまま無言でAを抱えたまま部屋まで戻る。友人はAを置いて階段を降りて行った。おそらく大家に階段が抜けたことを報告しに行ったのだろう。友人が部屋に戻ってきてしばらくした後、日曜大工のような音が聞こえてきた。扉を開けて階段の方を見ると踏み抜いた部分だけが新しい素材で取り付けてあった。

「ねえ」

「何だ」

相変わらずAのおやつを横取りしている友人にAが声をかける。友人はびくりとした後おやつを取られまいと身体を捻って隠す。

「いやもうおやつは諦めたから。そうじゃなくてさ」

Aのその声にほっとしたように友人がおやつを身体の前に戻す。この野郎、後でしばき倒してパシる。

「あの階段さ、全部の段が踏み抜かれて新しいのになったらそれってこのアパートの階段って言えるのかな」

数年間使い慣れたアパートの階段。じわじわとサビの無い新しい足場が増えていく様子を頭の中で想像する。あ、観測されたかも。Aが観測したからには遠からぬ未来でこのアパートの階段は全て新しいものに変わるだろう。例えば、夜のうちに全部外れて落ちてたりなどして。

「言えるんじゃないの」

友人は相変わらず黙々とおやつを食しながら答える。若干声がもごもごしている。苛立つ野郎だ。

「だって段が新しくなってもこのアパートにくっついてるんだからアパートの階段に決まってるでしょ」

論点が違う。Aは思わずがっくりとうなだれた。

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