第37話 最強の敵



 メテオライトの所属厩舎の事務所に、メテオライト陣営が勢揃いしていた。調教師や調教助手、厩務員、鞍上の角隈頼安が机を囲み、その机に置かれたノートPCの画面には城井国綱が写っている。



「これで全員揃いましたね」



 調教師が言うと、頼安は口を開いた。



「一人遅れてまーす。仕事が」



 事務所の扉が叩かれた。調教師が入室を促すと、一人の青年が入ってくる。



「失礼、遅くなりました。初対面の人は初めまして。そこの頼安と戸次親次の競龍学校の同期で、今は厩務員をしてる吉弘純景です」



 悪びれもなく笑みを浮かべ、純景は空いている席に着いた。ノートPCの画面に映った城井国綱が、合図のように咳払いをする。



「忙しい中集まってくれてありがとう。まずは直接その場にいない事を謝らせてくれ。もう少しでアレを、朝倉氏幹を捕まえられそうなところでね。しばらくは大陸から戻れそうにないんだよ。申し訳ない」



 画面越しに城井が頭を下げた。



「さて、メテオライトの天皇賞の件に移ろうか。勝利はいらない。目的はただ一つ、戸次親次を墜落させなさい。もう二度と龍に乗れないようにするんだ」



 頼安は知っていた。城井国綱が強硬手段に出ると、言われる前から分かっていた。他の面々も同じ考えらしく、重苦しい表情で沈黙している。



「あの……具体的にはどうやって?」



 おずおずと調教師が尋ねる。城井は即座に返答した。



「ぶつかりなさい。角隈君、できるね?」



 頼安は努めて声を高くして、屈託のない笑みを浮かべる。



「任せてください。城井さんの指示に従います」



 それは頼安の本心からの言葉だ。決して媚は売っていない。遠からずこの日が来ると予期していた。今更躊躇する事ではない。



「待ってください!」



 突然、調教師が叫んだ。



「メテオライトは競龍界の宝ですよ? 頼安だってそうです。もし戸次の龍にぶつかれば人龍ともに無事では済まない。競龍界の未来は真っ暗になります!」



 城井が、微笑みながらため息を漏らした。そして、きっと目を細める。



「戸次親次の存在は、競龍界の今と未来を暗くしている。あの男が騎手を続けている限り、競龍は危険だという悪いイメージが付き纏う。そうなればいつ、競龍に行政の手が入るか分からん。最悪の場合は競龍そのものが潰れ、龍たちは絶滅の一途を辿る事にもなり兼ねん。一騎の龍がなんだ、また作れば良いじゃないか。頼安だって覚悟をしている、そうだな?」



 勿論、頼安に死ぬ覚悟はできていない。



 だが、親次を墜落させる覚悟は出来ている。危険騎乗を繰り返す理由がどうであれ、親次の存在は競龍界に影を落とすのは事実だ。その親次を止める方法は一つ、レース中の事故に見せかけて堕とす。強制的に騎手免許を取り上げても、親次の腕前なら地方や海外でも引く手数多だ。だから強制的に騎手生活を終わらせるしかない。リスクは大きいが、事故で済ませられるこの手しかないだろう。



 頼安は俯き、唇を噛んだ。



「同期だからこそ、僕には親次を止める責任があります。友人だからこそ、親次の暴走を止めたいんです」



 城井は満足そうに頷いた。



「聞いての通りだ。美しい友情じゃないか。分かったら指示に従え。良い龍はこれからも入れてやる」



 これで話はついた。頼安が重苦しい雰囲気を変えようと口を開いた瞬間、諦めた筈の調教師が頼安を見やった。



「戸次はどうなんだ!? 最近はレースも調教も乗らないで、終わったなんて噂もあるじゃないか、どうなんだ頼安?」



 確かに親次はここ最近、騎手として全く仕事をしていない。二騎の競翔龍の安楽死で精神的に参っているという噂もちらほら耳に入ってくる。



「作戦だと思いますよ」



 希望を求めていたであろう調教師の表情が、ぴたっと固まった。



「本当に心が折れたなら騎乗依頼も断ってる筈です。多分、奇襲を決める為の作戦じゃないですか?」



 下らない。この状況になった時点で、衝突を避ける術はない。頼安は本心を隠して、険悪な雰囲気を和らげようと調教師と城井に笑みを振りまく。



「そういう事だよ。分かったら私の言う事を聞きなさい」



 調教師は泣きそうな顔をしていた。無理もない。メテオライトとはそれほどの名龍だ。しかし城井に言われれば、何をしようが引き下がるしかない。



 ややあって、画面越しの城井の視線が純景に向けられた。



「さて吉弘君、君には戸次騎手の偵察をお願いしていた。地方競龍の頃から見続けて、何か弱点と言えるものは見つかったかな?」



「はい、切り替えの遅さですね」



 重い雰囲気も関係なしに、純景は暢気に言った。



「親次は右手を満足に動かせません。なのでどうしても反応が遅れます。その強引な騎乗で誤魔化せていますが、こっちからぶつかりに行けば避けるのは不可能です。ダテノアジュールも多分龍群にいると思うので、偶然を装って接触するのは簡単だと思います」



 思い貸せば、純景の指摘は当たっていた。



 頼安がバルバリアという龍に乗って親次と争ったレースでは、コーナーで抜く時の親次の反応は遅かった。結果的にバルバリアは負けたが、以前の親次なら瞬時に対応して抜かせるような失態は冒さなかった。



「素晴らしい」



 城井が大げさに手を叩いた。



「これで私も安心して朝倉逮捕に専念できる。現地の警察と協力して、あと少しなんだ。龍を虐待し、競龍界を侮辱し、一人の有望な若者を闇に落とした罪は、なんとしてでも償わせる。私の全てを賭してもね。……後は任せたよ」



 ノートPCの画面が暗くなった。自然と会議はそれで終了になり、調教師たちは事務所を去っていく。頼安と純景の二人だけがその場に残った。



「あーあ」



 頼安は机に脚を上げ、胸元を大きく開けた。



「お前がこっちに着くとはな、純景よお。あのダイブの記事、前から知ってたんだろ?」



「ああ、当時本人から相談されたしね」



「それが親次潰す側に着くか。友達思いじゃねえな」



 純景は陰のある微笑を浮かべた。



「友達だからだよ。危険騎乗なんて殺人未遂と自殺行為を、続けさせるわけにはいかない。止めないといけないんだよ」



 こいつも変わったな。頼安の脳裏に、競龍学校時代の純景が過る。親次とは別方向で龍好きだった男だ。



「死ぬぜ、今度こそ。龍もな」



「俺は人間だよ。龍の命より人間を大事にしたい。それに、命が名誉や尊厳より重いとは思わない。龍好きの親次に、これ以上龍を苛めるような事はさせたくないな」



 予想を超えた答えだ。頼安は声を上げて笑った。



「親次以上に甘ちゃんで騎手辞めた奴が、言うようになったじゃねえか」



「……まあね。でも、頼安だってそうだろ? 親次を止めようとしてるの、何も競龍界の為だけってわけじゃないんだろう?」



 笑いを止め、頼安は息を吐いた。



「競龍界の為だけだ。……俺はスターなんだよ。スターとして活躍して、競龍界を盛り上げていく役目がある。あいつは邪魔なんだよ。目先の事ばっかりで、目の前の龍を救う為に競龍界をぶっ壊して、それ以外の龍を殺そうとしてやがる。スターとして、止めねえといけねえだろうが」



 親次は馬鹿だ。



 競龍界の現状を良しと思っている関係者なんていない。諦めている人もいるが、自分なりの方法で龍を助けようとしている人もいる。スターとなって競龍界を盛り上げるのもそう、屠殺を推進して龍主の負担を軽くして結果的に龍という種を生かそうとするのもそう、様々な方法で龍を救おうとしている。



「嘘だね」



 純景が笑う。それを、頼安は睨みつけた。



「あ!?」



「なら聞くけど、理想の乗り方をする騎手って誰?」



 嫌な事を聞く。頼安は舌打ちした。



「……親次だよ」



 今度は純景が声を上げて笑った。



「うるせえな! ……仕方ねえだろ。競龍は二つの生物が一緒になってするもんだ。だからこそ俺の理想は、人と龍、両方が力を発揮しての勝利だ。俺の乗り方は龍の力を最大限に発揮させるような乗り方、言い換えれば龍任せの騎乗だ。それに引き換え親次の乗り方は、むしろ騎手主導だ」



 思い浮かべるだけでむかむかする。



 親次が乗ると、どんな龍でも飛ぶようになる。信じられないほどの勝負根性を見せて、格上相手にも勝利を収める。まさしく、騎手で勝たせたようなレースばかりだ。



 競龍学校時代からそうだった。あいつらが乗ると龍が変わる、そう言われて比較されてきた。しかし実際は、頼安は勝てる龍を勝たせてきただけで、親次は勝てない龍も勝たせていた。騎手デビューしてから生まれた差も、頼安の所属する厩舎が大手で、偶然にも城井国綱に目を掛けられたというだけ。立場が逆なら地位も逆転し、その差は大きく開いていた。



 頼安は自分を天才だと自負する。しかし戸次親次は、間違いなく怪物だ。



「……龍たちはなんで、あいつの言う事だけは聞くんだろうな」



「龍は頭が良いから、親次の龍好きが伝わってるんじゃない?」



 俺は龍好きじゃないってか、頼安はそう思ったが、純景にからかわれて終わりそうだと考え直して言い返さなかった。



「まあでも、頼安の騎乗だって親次には負けてないよ」



「当たり前だろ」



「慰めてるんじゃないって。親次の競龍は騎手主導だ。だからこそ、どうしても初動が遅れる。そもそも飛ぶのは龍だし、人間と龍の眼じゃ比べようもない差がある。しかも親次は右手を満足に使えない。さらに言えば、親次は自分がぶつかる事は考えていても、その逆はほとんど考慮してない」



 先手が常に握れているという事か。



「……俺は勝つぜ。ぶつけて落とすだけじゃ終わんねえ。その上で勝って、無傷で戻ってきてやる」


「そんな事、可能かな?」



 頼安は笑った。



「俺はスターだぜ? メテオライトもスターだ」



 頼安は椅子から立ち上がり、机の上に飛び乗って仁王立つ。



「スターは生き延びてナンボ! メテオライトの調子は最高だ。これ以上ない。俺が全てを引き出せば、背面飛びでも余裕で勝てる」



 終わらせる。



 戸次親次が始めた全ての騒動を、天皇賞の舞台で終わらせる。

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