第7話 起死回生
戸次親次が地方競龍で初勝利を挙げた。
相変わらず雨は降り続けている。蒲池友治は扇山競龍場前のバス停のベンチで雨宿りして、そのネットニュースに眼を通しながら途方に暮れていた。
手っ取り早く大金を稼ぐ方法は未だに見つかっていない。そもそもそんな方法があるのか。無駄に時間だけが過ぎていく。
「……仕事するか」
友治は溜息を吐き、小金を稼ぐ為に戸次親次の所属する一萬田厩舎に向かった。
小さな厩舎だ。龍房は十と新人調教師と同じ数しかなく、入厩している龍に至っては四騎しかいない。厩務員も道を掃いている雨合羽姿の二人だけと寂しく、しかしどちらも若い女で、友治の気分は少しだけ上向いた。
「すみません。競馬雑誌「ダイブ」の者ですが」
二人が同時に友治を見た。歳は友治とそう変わらない二十前後だろう。特に年上と思われるボーイッシュな髪形の美女に、友治の視線は吸い寄せられた。
「戸次騎手はこちらにいらっしゃいますか」
背の低い方の女性が美女を見やった。美女は首を傾げ、竹箒を厩舎の壁に立てかけた。
「そんな連絡受けてませんけど」
言われて思い出す。金儲けに気を取られ過ぎて事前に取材許可を取るのを忘れていた。記者としてあるまじき失態だ。友治は必死に頭を回転させ、直ぐに頭を下げる。
「……すみません。戸次騎手の大ファンでして、初勝利のニュースを聞いて急いで東京から飛んできたせいですっかり忘れてました。やはりアポがないと取材は無理ですよね?」
美女がもう一人の女に振り返る。
「親次君って、取材への姿勢ってどんな感じ?」
「私も分かりません。本人に聞くしかないと思います。でも……」
二人の厩務員は困ったように厩舎横の建物を見る。そこは事務所であったり厩務員や所属騎手が暮らしていたりする建物だ。そこで、友治はようやく気付いた。雨音に交じって怒鳴り声のようなものがその建物から漏れている。
「ひょっとして、都合が悪い時にお邪魔しましたか?」
二人はやんわり否定したが、邪魔したのは間違いなかった。
調教師、騎手、龍主、厩務員、誰が揉めているのかは不明だが、中央競龍でも度々目にする光景だ。競龍で動く金は莫大、しかもそれぞれの生活が掛かっている。揉め事は起きて当然だ。
その時、建物の扉が開いた。誰かが出てくる。
戸次親次だ。
眼付きは鋭く地面を睨み、食いしばった歯は頬まで震わせ、顔は耳の先まで真っ赤に染まっている。とても話しかけられる雰囲気ではなかった。親次は友治が躊躇している間にも、傘も差さずに雨の向こうに消えていく。
ややあって、調教師の一萬田重連が表に出てきた。
こちらは写真で見た時と変わらず、雨合羽の下で不機嫌な面持ちを湛えている。見るからに人付き合いが難しそうな老人だが、先ほどの親次よりマシだ。友治は緊張しつつ声を掛けた。
「競龍雑誌「ダイブ」のものですが……」
重連の鋭い眼が、ギロリと友治を見据えた。
「今出ていった。奴に用だろう?」
「そうですが……何をあんなに揉めていたんですか?」
「あんたには関係ない」
そう言われると反論のしようがない。しかし、横から救いの手が差し伸べられた。
「お爺ちゃん、そういう言い方は良くないって。だから孤立するんだよ」
そう言ったのは美女だった。美女は中身まで美しいらしい。それにしても二人は祖父と孫の関係なのか。言われて見ると重連は整った顔立ちをしている。だから余計に不機嫌さが伝わってくるのか。
「……奴が中央に戻りたいと言い出した」
重連は表情を変えずに、気だるそうな低い声を漏らした。
「だから俺は、龍の重りにしかなれない下手糞が何言ってやがる。そう言っただけだ」
それは、揉めるだろう。思ったが、友治は口に出さずに話を続ける。
「戸次騎手は、やはり中央に戻りたいんですか」
「らしいな」
おかしな事だ。
子供でもあるまいし、中央に移籍したければ勝手にすれば良い。親次は中央競龍の騎乗免許があるのだから、阻むものは何一つない筈だ。
いや、一萬田か。
中央競龍で親次が所属していた厩舎も、一萬田厩舎だった筈だ。
「勉強不足で恐縮ですが、中央の一萬田好連調教師はご家族ですか」
「俺の弟だ」
なるほど、その縁で親次は地方競龍の一萬田重連厩舎に移籍したのか。だとすれば揉めていた理由にも想像がつく。
「つまりテキが許可を出さないと、戸次騎手は中央の一萬田厩舎には戻れない。そう言う事ですか」
「ああ」
騎手とその所属厩舎の調教師との関係は、弟子と師匠だ。親次はリハビリの為に地方競龍に移籍した。そこで兄が認めるだけの実力を取り戻すまでは中央競龍に戻るな。師匠にそう言われれば、弟子の親次も逆らえないのだろう。
この情報はどこの雑誌も押さえていない。金の落ちる音が、友治の頭に響いた。
「戸次騎手の行き先について心当たりは?」
「知らん」
悪くない。友治は礼を言い、あちこちを聞き回った。どうやら厩舎街を出たらしい。それ以上の目撃場はないと思ったが、流石に地元の知名度は高く、小雨に落ち着いた頃に港でその姿を発見した。
親次は、傘を差してコンテナ船の搬入作業を眺めていた。
そういう趣味なのかと思ったが、明るい表情ではなかった。時間が経って怒りの激しさは静まったが、今度は冷たく怒っているような暗さがある。それこそ話しかけた瞬間に無言で刺されそうな近寄りがたさだ。
「おい」
突然、殴られるような勢いで後ろから肩を掴まれた。作業服を着た男が値踏みするように友治をねめつけている。
「あんたも見学か?」
「あんたもとは?」
作業員は友治の頭からつま先を見定め、ようやく肩から手を離した。
「あんたはまともみたいだな。あんたが見てたそこの競龍騎手の兄ちゃん……名前なんだっけな」
「戸次親次です」
「そう、そんな名前だ。知り合いか? とにかく失礼な奴でな。何が気に食わないんだか不機嫌そうに見学したいって言ってきたんだよ。上がファンだからって許可出したけど、あんた知り合いなら連れ帰ってくれるか? 目障りでしょうがねえ」
あの大喧嘩の後だ。親次の人となりは知らなくてもその光景が目に浮かぶ。友治は怒りをぶつけるようにコンテナ船をじっと見つめる親次に眼を向けた。
「ちなみに、何を搬入しているんですか」
「龍だよ」
思わず、友治を声を出して驚いた。
龍をコンテナ船に搬入している。龍の輸送には龍運車と呼ばれる専用車なり飛行機が使われる。コンテナ船などという生き物を運ぶには劣悪な環境のものが使われるわけがない。
「違法な」
言いかけて口を閉じる。途端、作業員は眉をひそめた。
「失礼な、合法だよ。龍はな、漢方薬として人気なんだよ、知らないのか? 龍は凄いんだぜ。どの部位も超高級な漢方薬になる。まさに生きる宝石だ」
この街には扇山競龍場がある。そこの港から龍の漢方薬が輸出される。
「その龍の漢方薬は、屠殺された競翔龍ですか」
「そうだよ。まったく、龍主孝行な龍たちだ。さんざん飛んで賞金稼いだ後は、死んで宝石に変わって金を運んでくるんだからな」
言って、作業員は鼻で笑った。
繁殖に上がれない競翔龍は屠殺され、漢方薬となる。弱い競翔龍が屠殺処分となるのは知っている。しかし、漢方薬として加工されているとは知らなかった。
だが、考えてみれば当たり前だ。あの巨体を飼える場所など限られている。危険性から競走馬のように乗馬に転向するのも不可能とくれば、屠殺されるのも無理もない。それに漢方薬として人気があるのも納得だ。龍はもはやモンスター、かつては幻獣とも呼ばれていた力強く神秘的な生き物だ。漢方に詳しくない友治でも、滋養強壮の効果でもあるのだろうと勝手に納得できてしまう。
「そういえば……」
何故、親次は屠殺されて漢方薬となった競翔龍の輸出現場にいるのか。答えを期待せず作業員に尋ねてみた。
「それは知らんよ。でも、商品の受け渡しの時に屠殺業者が言ってたよ。騎手の兄ちゃんはそっちでも一部始終見学してたらしい」
ますます分からない。競龍騎手が競翔龍の屠殺過程を学校の社会見学よろしく見物してどうする。それも喧嘩したばかりで不機嫌なのに。
競翔龍の屠殺とは、そうまでして見たいものなのか。
そんなわけない。友治は競翔龍の屠殺がどのようにして行われるのかは知らないが、屠殺というのだから決して心地良いものでは無い筈だ。むしろ血の赤とその場の暗い黒が入り混じった負のイメージさえある。
不意に、親次の暗い表情に視線が吸い寄せられた。
それが、中央競龍でのダーティな騎乗に重なる。まさに、ぴったりだ。
危険騎乗とは一言で言っても、一歩間違えれば死者が出る競龍だ。している事は殺人未遂と自殺行為、まともな人間がする事ではない。異常者だ。他人の命を何とも思わない極悪人と言っても良い。
そんな事を繰り返していた戸次親次は、まともな人間なのか。
あり得ない。戸次親次は想像以上に禄でもない人間ではないのか。そう考えると、地方競龍に移ってまで競龍にしがみつく理由や屠殺過程の見学にも説明がつく。
要は、金に汚いのだ。
ダーティな騎乗をしていたのは賞金が欲しいから。地方競龍に移ったのは他に生きる術がなく、競龍にしがみつくしかないから。中央競龍に戻りたいのは、中央の方が圧倒的に賞金が高いから。屠殺過程を見学していたのは、騎手を引退した場合に備えて大金を生む龍の漢方薬に関わりたいから、あるいは屠殺業者に転職したいと思っているからか。なんにせよ金の臭いがしたから、喧嘩したばかりの不機嫌さを推しても将来を考えて見学しようとした。
間違いない。あのコンテナ船を見る薄汚い表情は、金に飢えた男の顔だ。
閃く。友治は笑みを浮かべる。
親次を強請ろう。
これだけ黒い人間なら、他にもとんでもない一物を抱えている筈だ。それに現金を持ってなくても元トップジョッキー、遠藤に売ればかなりの値段が付くかもしれない。
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