皇国 暖かい手のひら

 不思議なものだ。

 最初は本当に怖くて、早く終わればいい、と思っていたのに今は、この時間が終わるのが寂しいと感じている。

 繋がれた手の暖かさが、気持ちいいと。

 もっと続けばいいと、思っている。


「? どうかしたの?」


 一日の休み明け、いつもと同じように仕事に来たティラ様は、特に何の説明も言い訳もせず、いつもと同じように私の手を繋ぎ歩いてくれている。

 繋いでくれた手が、優しくて暖かい。

 考えてみれば、誰かに無条件に守られる、なんてどのくらいぶりだろう。


 この世界でも、向こうの世界でも、保育士という存在は、自分より弱いものを守る存在だ。

 勿論、一人でできた訳ではなく、特にこの世界では皆に守られて助けられて来たけれど。

 リオンやフェイ、エルフィリーネとはまた違う。

 弱い者、力ない者として扱われ、慈しまれ、守られる。

 そんなのは…向こうの世界と合わせても…ちょっと記憶にないくらい遠い話になる。


 見上げるティラ様の茶色の髪が、晴れた初夏の日差しをキラキラと弾いてとてもキレイだと思った。

 ふと、何故か、本当にふと、向こうの世界の母親を思い出す。

 別に似ている訳ではない。

 母も保育士だったけれども普通のおばさんだった母と、ティラ様では外見は似ているところは殆どない。

 でも少し茶色がかった黒髪と艶やかに耀く茶髪。

 そんな小さな事に、無理に似ているところを思い出すくらいに、私はティラ様に『母』を見ていたのかなあ、と思ったのだ。



「なんでもないです。

 ただ、こうして歩くのも、あと少しなんだなあって思うとちょっと寂しくて」

「ああ、そう言われればそうね。

 もう国境を軍は出たらしいから。戦が終わって貴女の護衛が戻って来れば私のお仕事は終わり。

 戦が終わると、祭りもあるし、大祭もあるから、ガルフの店も忙しくなるでしょう?」

「そう、ですね」


 大祭の話はガルフから聞いている。

 この世界の祭りのようなものだ。

 年に二回、各国で戦のあとに行われる。

 神殿が大掛かりな祭事を行い、戦から戻って来た皇族は神によって与えられた不老不死に感謝を捧げる。

 そして、大きな市が開かれるのだ。 


 食料品に需要がほぼ無い分、他国から商人が訪れ、各地の産品を並べるこの市は国の大きな経済活動の一環となっていると聞いた。

 税が払えない貧民も、戦に参加し、捕らえられず戻れば税が免除され、多少の給料が与えられるので買い物もできる。

 人の集まりに便乗して、街の商人達もこの機に自慢の品をアピールしようとあの手この手と工夫を凝らす。


 ガルフの店は、昨年、この大市の終了後に店を出した。

 普通の商売としては有りえないことだが、ガルフの判断は英断だったと言えるだろう。

 店の足場が固まらないうちに他国に食の意味や価値が知られたら、店は瓦解していたかもしれない。

 今年は屋台店舗に力を入れベーコン、ソーセージ、クレープ、果物ジュース、スープなどを売り捌く予定になっている。

 特別な事はしない予定だが、数百年ぶりの食品屋台だ。王都の食ブームからしても注目を浴びるだろうと確信はできる。


「敗戦になってしまったのは残念ですけれどね。

 敗者よりも勝者の国に、どうしても商人は集まりますから」

「そういうもの、ですか?」

「勝ちに浮かれる国の方が財布のひもは緩むもの、でしょう?」


 なるほど、戦の勝敗がその国の経済を大きく左右するというのはそういう意味か。


「ティラ様もお忙しいのではないのですか?」

「まあ、戦の後の宴とかはあるけれど、主催は戦の総指揮官、今回で言うなら第一皇子ですから、そこまでではないわ。

 第一皇子妃は、宴の手配とか奉納の舞の準備とか、大忙しっぽいけれど…知ったことではありません」


 ぷいと、顔を背けたティラ様に、心底失礼だとは解っているけれど、私は微笑ましさを感じて思わず吹き出す。

 拗ねた仕草に本格的に母を思い出して


「あ…」

 ぽろん、と涙が零れた。

 急いで涙を拭う。

「どうしたの? 目にゴミでも入った?」

「そ、そうかもしれないです。なんだか涙が止まらなくて…」


 自分でも理解できない感情の動きを説明はできない。

 私は必死で目を擦った。こんな大通りの真ん中で泣いてたら恥ずかしい。

 せめて端っこで。

 私は手近な家の壁に背をつけてしゃがみこんだ。


「ああ、眼を擦っちゃダメよ。赤くなってしまうわ」

 ポケットから探そうとしたハンカチより早く、私の前に真っ白なハンカチが差し出される。


「それで眼を押さえなさい」

「…ありがとうございます」


 ふんわりと香るラヴェンダーの香り。

 ああ、気に入って使ってくれているのだなあと小さなティラ様の優しさが嬉しくて、また涙が零れて来る。

 

 逃げるように目をハンカチに隠した私は、随分と長い事そのまましゃがみこんでしまう。

 ティラ様は隣に腰を落とすと、何を言うでもなく、急かすでもなく静かにずっと見守ってくれていた。


「もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」

「そう、良かった」


 私が立ち上がるとティラ様は私の服の埃を払って下さった。

自分のよりも先に。

 本当に、優しい。


「ハンカチ、後で洗ってお返ししますね」

「いいのよ。あげるわ」

 私の言葉に、自分の服の埃を払ったティラ様はそのまま、ひらひらと手を翻す。


「でも、こんなに綺麗なハンカチ…」

 純白、艶やか、肌触りも素晴らしい。どっからどう見てもシルクかそれレベルの高級品だ。

 紋章が美しく刺繍されている。

 私にはこの国の紋章の知識は無いから解らないけれど、第三皇子の紋章なのだろうか。

 

「貴女からはこの間、とんでもないものを貰ったもの。そのお返しと、今回の記念にでも受け取って」

「とんでもないもの? ですか?」

「ああ、そうだ。その件について注意と相談をしたかったんだった。昼に、ガルフも呼んでちょっと時間を取ってくれるかしら?」

「はい、解りました」

「ありがとう。じゃあ、いきましょう」


 そして、ティラ様は、私にスッと手を差し伸べてくれる。

 何も聞かず、いつもの通りに。

 私は、その優しさに甘えて、ギュッと、大きな手を掴む。

 

 あと少しで終る、優しい一時を大切に、握りしめて…。

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