魔王城 魔王の誕生

 精霊の恵み深き、輝きの地 エルトゥリア。

 そう呼ぶモノはもういない。

 

 ならば、新しき名を付けよう。


 ここは魔王城。

 神に反逆する者達の居場所である。





 そこは正しく地の獄。

 朱き呪いと深淵なる闇が支配する死者の国。


 

 焼けるような怨嗟が、手足に絡みつく。


『どうして、どうして、貴方だけ』

『我々を、助けてくれなかったのに』


 漂うのは真っ黒な空気、目の前が見えぬ程の闇。

 呼吸をすれば、真っ黒な空気が身体どころか脳まで、心まで穢されていくほどのそれは呪いだ。


『お前の…お前のせいだ…』


 身体を指の先から刻まれるような苦痛、生きたまま手足を炙られるかのごとき灼熱。

 脳と身体に浸される絶望と、闇。

 命を吸い上げられる苦痛はそれでも俺に、まだ自分が生きていると、生きなければならないのだと刻み付ける。


 死して斃れる度、現世に蘇る度、俺は地獄に囚われる。

 かつてこの星には存在などしていなかった無間の地獄に…。





 目を醒ました俺はハッと、伸ばした手を見た。

 思ったように動く、戦うことができる自分の身体。


 はあっ。


 思わず安堵の息が零れる。

 良かった。夢だった。

 俺は生きている。

 

 まだやり直さなくていいのだと。




 勇者アルフィリーガと呼ばれる愚か者によって、世界が不老不死いう神の呪いに包まれて500年。

『俺』が転生を繰り返し、生き続けてきた時間はほぼ等しい。


 転生というのは口で言うほど、簡単な話ではない。

 今まで努力して得た能力、技術、身体全てを失い、0からのリスタート。

 持ち越せるのは決して消えぬ怒りを刻んだ魂と記憶のみ。

 

 新たに得た身体が自分の意志で動ける様になるまで、最低二年。

 せめてもであっても身体を作り、戦えるようになるまで五年、

 それから敵の情報を集め、神を倒すべく奴らの本拠に向かっても。

 500年、二十三回の転生を繰り返して、ただの一度も、直接奴らに牙を向ける事は叶わなかった。


 二回の転生を、金を溜める為の下準備と情報収集に使い、自分の力を鍛えられるだけ鍛え、大聖都に突入、神殿を守る騎士に命を奪われた前世が一番、近くに届いたところ。

 それ以外は身体が育ちきる前に命を落としたり、魔性を倒しきれずにやられたり。

 同じステージに立つどころか、神の姿を目に捉える事さえできなかった。


 いつもいつも失敗する。


 死の度、肉体から切り離され、魂となって次の転生の時を唯ひたすらに待つ。

 その為、獄に囚われ、力を吸われ、責苦を味わうのももう本当に慣れてしまった。



 ふと、横を見る。

 隣のベッドには静かに寝息を立てるフェイがいた。

 起きているときはいつも生意気で自信満々、ツンとした涼しい顔を崩さないこいつだが、寝ている姿は年端もいかない子どもでしかない。

 自分も外見は同じ年頃の子どもでしかないのだけれど。


 初めて路地で、うち捨てられていたこいつを見つけた時から解っていた。

 精霊に好かれ、渡り合い、肩を並べる事ができる、稀に見る天与の『魔術師』の才を持つ者だということが。

 拾い上げ、自分の知る最高の魔術師の名を与えた時にはそこまで期待していた訳では無かったけれど。


 まさか魔術師の杖を継承し、真実の魔術師になるとは。




『失敗するのは、貴方が一人で戦おうとするからです。

 背を預ける者がいれば、貴方が負ける筈などないのに』



 こいつが人を捨て、魔術師になった時の言い争いを思い出す。



 解っているのだ。

『転生』という方法では、一人で戦う限り幾度繰り返しても神に届かないと。


 城を飛び出したあの時だって、背中と命を預ける仲間がいたからこそ、生きて戻ることが出来た。

 一人だったら、きっとどこかでのたれ死んでいたことだろう。





 俺は、立ち上がり、上着を羽織ってそっと外に出る。

 フェイを起こさないように気を付けて。




 

 皆が寝静まった静かな廊下を歩く。

 時計の針はまだ新しい一刻に届いていない。

 深夜。


 他には誰も起きてはいない。気配を消す事には慣れている。

 気付かれはしないだろう。


「何をしてるのです? アルフィリーガ?」


 守護精霊、エルフィリーネ以外には。


「ちょっと、夢見が悪くてな。

 散歩だ。気にしないでくれ」


「そうですか…。でも、夜更かしは身体に毒です。早くおやすみなさい」


 くすっ、と小さな笑みが零れる。

 エルフィリーネは変わらない。

 500年前からずっと、変わらずに優しい。

 彼女の前に居ると、あの頃に戻ったような気分になる。


 別に行先を決めていたわけでもないけれど、歩き出す俺に彼女はついてきてくれた。


「なあ、エルフィリーネ」

「なんです? アルフィリーガ?」



 こんな風に呼び合うのも500年ぶりだ。

 だから足を止め、500年間、ずっと言いたかったことを彼女の眼を見て告げる。


「すまなかった。

 ずっと、知らないフリをしていたこと。あの人を死に追いやったこと。この国を、城を滅ぼし、お前を一人にしてしまったこと…」


 マリカがエルフィリーネを連れて、精霊の間に入り出てきた再会の時、本当はナイフではなく一番に手向けたかった言葉だ。

 

「ずっと謝りたかった。

 許して欲しいとも、許されるとも思ってはいないが…」

「貴方を、恨んでいる者など誰もいません。

 民も、精霊も、私も…。ですから許すも許さないもないのですよ。

 何より、一番苦しんできたのは貴方でしょう? たった一人で、世界全てを敵に回し、星を支えて、そんな姿になってまで…」



 自嘲に唇が歪んだのが解った。

 皆には、お見通しなのだと。


 転生を繰り返すたびに、自分にたった一つ残された魂に、地獄の闇が喰い込み力を削っていく。

 地獄など、そもそもこの世界には無かったのに。

 

 命は巡り、星を潤し、守り、いつかやがて星へと還り新たな命となる。

 けれど不老不死によって滞った循環は、星の力を削り、還ることもできない寄る辺無き魂の獄を生み出した。


 俺は死する度、獄で星に力を捧げる。

 自死者は星に還れない。

 正しき死を迎え、星に還る命が無くなった今、俺が死して転生することがもはやほぼ唯一と言える命の循環なのだ。

 過ちを犯した俺に課せられた罰。

 精霊と人、両方の力を持つ規格外の俺は世に戻り、生き、滅んだ後星に戻り、力を捧げた後、また世に戻る。

 その間に神々を倒せれば上々、最悪死んでも星を延命させることが出来る。


 星を生かす唯一の手段。

 それは、生きる為に自分の足を食べる獣と何も変わりはしないけれど。

 俺にできる唯一の償いだと思ったのだ。


 勿論、そんな無茶に代償が無い筈は無い。

 太陽の光を映す金の髪は闇に染まった。

 祝福を受けた碧の目も黒く焼けてしまった。

 外見は、王子と呼ばれていた頃とは比較できない程に変わっている。



「あいつ」でさえ気付かなかったのだ。

 魔王城の精霊達も、気付かないだろうというのは流石に、見くびりすぎだったが。




「あの方も、きっと貴方のそんな姿は望んでいない筈。

 皆、貴方が返ってくるのを待っていたのです。

 そして、時同じくしてあの方がお戻りになり、貴方に名付けられて『マリカ様』となられたのも全て精霊の導きと思えませんか?」

「ああ、そうだな…」

 

 目を伏せ、エルフィリーネの言葉を噛みしめる。

 深く、深く。


 フェイと出会い、助けたつもりで助けられ、共に生きる事になったことも。

 アルを助け、行き場を無くし、追われて…あいつに決して足を踏み入れないと決めた魔王城に連れて来られたことも。

 彼女と出会い…元気づけようと大切な人の名前を託したらマリカが目覚めた事も。

『エルフィリーネ』が城に戻り、兄弟たちが次々とギフトに目覚めていくことも。

 忘れていた食と、魔王城の生活のおかげで今迄では有りえぬ程に、この身体に力が戻っている事も。


 転生の度に獄に繋がれ、星に命を捧げた事で知った「神」の真実の欠片も。



 全ては『精霊の』を生み出した星の、精霊の導きであると言うのなら…。



「己の行動を悔いているというのなら、償いたいと願うなら。覚悟をお決めなさい。

 アルフィリーガ。言ったでしょう。マリカ様も、フェイ様も、もう心を決めています。

 後は、もう本当に、貴方が決断するだけなのですよ」



「!」


 気が付けば、俺はそこに辿り着いていた。

 城の心臓部、精霊の間。


 かつてマリカがエルフィリーネと出会った場所。

 そして、俺とマリカ様が生まれた場所。 


 星の心臓に最も近き場所に。

 前世でも数える程しか立ったことのない。

 望んでも必要のない時には決して開かれぬ純白の聖地に、俺は立っていた。


 俺は知っている。

 この地に立つ者に嘘は許されず。

 この地にて交わされた誓いは星に捧げる、絶対の契約となる。 


「エルフィリーネ。お前は何がどうあっても、俺に決断させたいんだな」

「私は精霊。己だけでは何も為しえぬモノ。

 ですが、望みも願いも持たぬわけではないのです。貴方がそれを望まぬというのなら無理強いはしませんが」

「いや、いい。

 俺も、許されるならそうしたかった」

 

 一歩前に進み出る。覚悟はもう決まっている。

 あとは、それを口にするだけのことだから。



「星よ。我らが父にして母たるものよ。

 どうか、貴方の子、精霊の獣の誓いをご照覧あれ」



 純白の空間にキラキラと金粉のような光が宿る。

 星の意思。

 精霊達の思いを感じながら、俺は胸に手を当てた。 

 

「神が…あの方に、エルトゥリア《俺達》に魔王の冠を被せるというのなら、それでいい。

 奴らが作り上げた、偽りの勇者は、神々の世界を滅ぼす魔王になる。

 精霊のアルフィリーガとしての命と全てを、今生に捧げやり遂げる。

 二度と、転生も望まない…」


 不老不死の世界で、俺が転生を止めれば、星を支える力が完全に失われ、神にこの世界を奪われてしまうことは解っている。

 それでも、次があると甘える訳にはもういかない。

 友がいる、兄弟がいる。そしてマリカがいる。


 今生は本当に、最初にして最後の機会なのだから。



「俺は世界を変えるマリカを守り、魔術師と、兄弟たちと共に、…この星に、命が巡り、繋がる未来を取り戻す…。

 だから、星よ、精霊よ。俺達を信じ…命を預けてくれ。

 力を…貸してくれ」


 突然、純白の空間が消える。


「うああっ!」


 足元が透明になり、俺の身体はまるで、空に浮かぶように足元に大地を、星を見下ろしていた。


 俺を取り巻いていた光は俺の周りで渦を巻く。

 マリカの変化の時を思い出して、俺は手を前に差し出した。

 俺の手のひらに集まった光を、胸に抱きしめ取り込む。

 身体の中に力が溢れると同時、


「ううっ!」


 チリッと音を立てて右目に焼けるような痛みが奔った。

 思わず瞬きした次の瞬間。


 



「魔術師と、精霊の貴人エルトリンデと、精霊のアルフィリーガ

 その決断と、魔王の誕生に祝福を」

 

 俺は、魔王城に戻っていた。

 精霊の間はまた閉ざされ、入り口も無い。


 ただ、今の出来事が夢ではなかった証拠に、俺の前に守護精霊は跪き微笑んでいる。



「人が呼んだ、謂れなき魔王城の名は今日、この時より真実のものとなり、世界を変える始まりとなりましょう」

 

 黒い笑みを見せる精霊は、魔王城の守り手に相応しい。

 そうだ。俺達はできる。

 世界を変える事も、神を倒すことも必ず。 


「ああ、行くぞ。エルフィリーネ。

 世界への逆襲の始まりだ」

 


 歩き出した俺をエントランスのガラス窓が姿見のように映す。

 魔王に相応しい容だと楽しい気分になった。

 闇に焼かれ、力を失っていた筈の俺の瞳。


 その片方は今、かつての力を取り戻し碧色に輝いている。

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