第四章 第二十五話 嫌な予感
仕事を終えた燈が波動庁から戻ったのは赤く染まる雲と夕日た見事なコントラストを描く時間帯だった。
━━━不思議な気分ね。
座席に座り窓際に肘をかけながら燈は心中でため息をついた。
より正確に表現をするのなら、その正体は自責の念だろう。
皇王国の第二王女であり、十二神将第八席である自分がこんなにのんびりしていていいのか、と。
対天部に所属している以上、本来は天主極楽教撲滅のために邁進しなければならない。だが現在、燈は待機中の扱いになっている。
理由は幾つかある。
一つは、天主極楽教に目立った動きが見られないことだ。燈が四ヶ月前に天主極楽教の教祖を捕縛し、拠点を壊滅させたことでその勢力を大幅に削いだ。残党は存在するものの小規模でしかない。犯罪行為も見られないそうだ。
もう一つは、情報が不足している点だ。残党についてならまだしも、剣爛闘技場に現れた甕星については何もかもが不明の状態だ。
天主極楽教と通じている貴族がいる。そう切り出した巌によると、貴族は複数の候補がいるがまだ絞りきれていないらしい。
よって対天部の部長、十二神将第四席の母良田巌は情報収集を優先したのだ。
残念ながら情報収集をするに当たって燈は力になれない。まだ歳わかく、実働部隊として動き続けてきた燈には向かないのだ。王族という身分も足枷になる。
そのため、八咫烏として長いキャリアを持ち人脈も豊富な巌と、六大貴族の次期当主となる玄静が情報収集に勤めることとなった。
燈の仕事はそのあとに行われる戦闘。
本日、巌に召集され、話し合いの末そう決まった。
━━━もどかしいわね。
闇雲に動いても無駄に兵と時間を消耗するだけだ。今は耐えるときだ。
わかっている。わかっているのだが。
やりきれない思いを抱えたまま、燈は車を降りて生徒会棟へ歩みを進める。
待機期間を宗次郎が学院を卒業して八咫烏の資格を得るまでとするのはいくらなんでも長すぎる。
━━━やってくれるわよね、あの大臣。
燈がこの世で嫌うものは二つ。物分かりの悪い人間と退屈だ。現在は後者が燈を襲っている。
学院にはかつて通っていたので今更目新しいものもない。お世話になっていた教師にはすでに挨拶を終えてしまった。会いたい人はいるが、彼女は現在三塔学院の南部学舎にいて、戻ってくるのは来週になる。
なので、燈ができることは一つしかない。
「……」
燈が生徒会棟に戻ると、今で自分の剣が無言で問題集と向き合っていた。
━━━頑張ってるわね。
いつもの宗次郎ならこの距離にいる燈に気づかないなんてことはなかった。つまり、気づかないほど勉強に集中しているのだ。
「あら、燈様。戻ったんですね」
「こんばんは、燈様」
邪魔をするのも悪いので居間に入らず通り過ぎようとしたら、背後から声をかけれた。
宗次郎の妹、舞友と生徒会会計の門之園朱里だ。
「こんばんは。二人とも、どうしたの?」
「私は兄の勉強を見ています」
「私はその手伝いでお茶を持ってきました」
「そう」
朱里の手には湯呑みが三つのったトレーがある。
「宗次郎は頑張ってる?」
「ここに戻られた当初は心ここに在らずといった調子だったのですが……」
朱里が不安そうに呟きながら、隣にいる舞友に視線を送っている。
その瞳の奥に怯えが見えたので、また舞友の機嫌が悪くなっていたのだろうと簡単に想像できた。
舞友は宗次郎のこととなるとすぐに不機嫌になる。三塔学院に訪れてからずっとだ。家庭の事情を学院に持ち込むのはいかがなものかとも思うが、今の燈はそう口にはしない。
何せ、自分が学院に止まっているのは、大切な妹と会うためなのだから。
「今はようやく集中できたみたいです」
「舞友が言うのなら、間違いないわね」
「はい。あと、そろそろ夕食のお時間になりますが、ご要望はありますか?」
「そうね……日替わり定食でお願いできる?」
「わかりました」
注文を出すと朱里は微笑み、居間に入っていった。
「ごめんなさいね。窮屈な思いをさせてしまって」
「いいのよ。私たちが出歩いたら大騒ぎになってしまうでしょう?」
「……さすが、わかっていますね。はぁ」
舞友は大きくため息をついた。
その反応から、宗次郎が勝手に外に出て何かしたのだろうと想像する燈。何をしたのか気になるが、聞くとまた舞友が不機嫌になりそうなのでやめておく。
「宗次郎は今日、授業だったのよね」
「はい。内容もちゃんと理解できたみたいです」
「そう。よかったわ。ところで」
「なんでしょう?」
「夕食後の勉強は私が見ましょうか?」
「え?」
燈の提案に舞友は目を丸くした。
「なんだか疲れているように見えたから。少し休んだほうがいいんじゃない? 生徒会の仕事もあるし、あなた自身も勉強しなきゃいけないでしょう?」
「……」
舞友は腕を組み、何か考え始めた。
宗次郎の勉強は燈と舞友、専任教師である正武家の三人が交代に見ている。なので、頼む、頼まないの二択しかない。いつもなら即答しているはずの問いに逡巡している。
燈は何かある、と直感した。同時に、その内容を問いただした方が良いとも思った。
そうと決まれば、躊躇する必要はない。
だが、
「わかったわ。おねがい、燈」
「任せて」
舞友の抱えている問題が家族についてのものなら、燈がおいそれと介入することはできない。
宗次郎に舞友を気遣うよう助言をしておこうか、そう思った燈に舞友がスッと距離を詰めてくる。
「夜、生徒会室にきていただけますか。お話したいことがあります」
こっそり耳打ちされた内容に、燈は小さく頷いた。
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