第三部 第三話 波動庁 その3

「早くしろぉ! この女がどうなっても知らねえぞ! 




「くっ……」




 男が人質をとって数分が経過していた。




 大勢の八咫烏たちが駆けつけるも、人質のせいで手出しができない。加えてスキンヘッドの男は廊下の角に陣取っていて、背後から近づくこともできない。




 真正面からどうにかして女性職員を助ける必要がある。それも、囚人の要望を聞き入れることなく。




 今はまだ外に状況が漏れていないからいいが、公になれば波動庁のメンツが丸潰れだ。




 八咫烏と囚人がこう着状態に陥る中、宗次郎は野次馬をかき分け一歩前に出た。




「あん!? なんだテメェは!」




「落ち着けよ。あんたのいう通りにするからさ」




 宗次郎は立ち止まり、腰に穿いた天斬剣を地面に置いた。




「これでいいんだろ?」




 場の空気が一転する。全員の視線が宗次郎に集まる




「君は……」




 周囲を囲んでいた八咫烏たちは、本来であれば宗次郎の行動を咎めなくてはいけない。




 囚人の要求に屈するなどあり得ない。まして宗次郎は八咫烏ではないから逮捕する権利もない。




 だが、八咫烏たちは知っている。宗次郎がどれだけ強力な波動師なのかを。




「烏……じゃねぇなテメェ」




 対して囚人は独房にいたから、皐月杯の決勝を見ていない。八咫烏が纏う黒い羽織を着ていない宗次郎に違和感を覚えるだけだ。




「……まぁいい。その波動刀をこっちによこせ。おっと、お前らは動くんじゃねぇ!」




 囚人は吠え、周囲を警戒しながら物色する。




「お前だ。そこの女! この男が捨てた波動刀を持ってこい!」




「……はい」




 ━━━よし。




 宗次郎の予想通り、囚人は森山を指名した。




 宗次郎と同じく、黒い羽織を着ていない森山は目立つ。戦闘力もないに等しい。武器を持って来させるなら彼女以外にあり得ない。




「へへ、いいぞぉ」




 天斬剣を拾い上げ、いそいそと運ぶ森山に囚人は醜悪な笑みを浮かべる。




「さぁ、その刀を俺に寄越しな」




「……渡せば、その人を離してくれますか」




「ああん?」




 一瞬だけ怪訝な顔をした囚人は、すぐに舌なめずりをした。




 森山の声は震えている。目の前にいる相手が自分より圧倒的に弱い。囚人は森山を軽くみた。




「いいぜぇ? 安全な場所に逃げるまで、あんたが代わりに人質になってくれるんならなぁ」




「……っ。分かりました」




「ぎゃはは、健気だなぁおい! ほらよ、お前はお役御免だ」




 言葉通り、森山が目と鼻の先まで来ると、囚人は羽交い締めにしていた女性職員を離した。




「しっかしバカだなお前。わざわざ人質になりたがるなんて━━━」




「大丈夫です」




「あん?」




 キッパリと言い切った森山に囚人がまたも怪訝な顔をする。




「宗次郎様は、決して私を見捨てたりしませんから」




 啖呵を切った森山に応えるように、宗次郎は波動を活性化させる。




 宗次郎はあらかじめ森山に波動符を持たせておいた。その波動符を用いて宗次郎は波動術を展開する。




 ━━━空の波動 肆の剣:空移し!




 空間転移。いわゆる瞬間移動を可能にする術式。まだ精度に難があり、狙った地点への移動が難しい。




 ただし、それは波動符を使えば話は別だ。




 波動符がある地点を対象にし、宗次郎が今いる位置と森山の位置を、入れ替える。




 こうすれば、囚人との距離を一気に詰められる上、森山も女性職員も巻き込まなくて済む。




「なっ!」




「おら!」




 勝負は一瞬。




 目の前にいた家政婦がいきなり宗次郎になり、驚きの声をあげる囚人を殴り倒す。




 囚人は手錠により両手を封じられている。あっけなく気絶し、崩れ落ちた。




「ふぅ。楽勝楽勝」




 天斬剣を使うまでもないぜ、と続く言葉を宗次郎は飲み込んだ。




「……」




 何が起こったのか理解できなかったのは囚人だけではない。周りを取り囲んでいた八咫烏たちもぽかんとした表情の


まま、宗次郎を見つめている。




 ━━━もしかして、やっちまったか?




 宗次郎は重苦しい空気に内心冷や汗をかいた。




 波動を扱える宗次郎は波動師ではあるが、正確には国に所属する八咫烏ではない。犯罪者を逮捕する権利は持っていない。




 つまり、もしかしなくてもやっちまったのである。




「何をしているのかしら」




 騒ぎを聞きつれ、奥の部屋にいた燈が出てきた。




 ━━━いや、俺は間違ったことはしていない。していない……はず。




 自分を奮い立たせるも、燈の額に浮かんだ青筋━━━見間違いじゃない━━━に、宗次郎の心は萎んでいくのだった。


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