第三部 第一話 波動庁 その1

 人の顔と名前を覚える。




 この生活をしていく上で地味に重要なスキルについて、宗次郎は得意でもなければ不得意でもないと思っていた。




 十二歳まで現代で生きていたときも。千年前の過去に飛び、大地の下で戦っていたときも。




 一年間、記憶喪失になっている間は家族の顔と名前すら綺麗さっぱり忘れてしまっていたが、それはそれ。ノーカウントとして。




 あの人の名前なんだっけ、とか、顔は思い出せるけど名前が思い出せない、みたいな経験はあまりない。




 だから得意でも不得意でもないと思っていたのだが。




 どうやら、会ったことの無い人間の顔と名前を覚えるのは、すこぶる苦手らしい。




「あー! もう無理!!」




 国家に仕える波動師、通称八咫烏のみが使用を許される装甲車。その後部座席に座りながら、宗次郎は悲鳴を上げた。




「こんなん覚えられる気しねーよ」




「宗次郎様、ファイトです。がんばりましょう!」




 隣の席でガッツポーズをする森山。その片手にはクリップで止められた資料がある。宗次郎も同じ束を持っていた。




「この内容を全て覚えなさい。王城に着くまで。いいわね?」




 そう燈に言われて渡された資料には、皇王国の名だたる王族、貴族、波動師の顔写真と経歴、いわゆる個人情報が記載されていた。




 ページ数を数えるのも億劫なくらい分厚い。しかも一枚一枚に小さな文字列がびっしりと埋められている。顔写真についても、年齢が同じくらいだと皆同じ顔に見えてくる。




「あえて言おう。無理であると」




「宗次郎様。不貞腐れて意味不明なことをおっしゃらないでください」




 普段は優しく大人しい森山が心底呆れている。




 辛い。宗次郎は頭を垂れた。




「それに、あんまり大騒ぎしていると……」




 森山の視線が宗次郎の背後に写る。




 振り返ると、助手席に座っている燈と目があった。




 しっかりしなさい、と無言の圧をかけられる。




 わかったよ、と宗次郎は諦めて目を閉じた。




「福富、近くのお店に車を停めて頂戴。お昼にしましょう」




「御意」




 運転手が短く返事をして、燈は後続車に無線で指示を出す。




 どうやら少しの間だけ、資料と睨めっこしないで済むらしい。宗次郎は座席に深く腰掛け、ゆっくりと息を吐いた。














 なぜ宗次郎が皇王国の主要人物を暗記しなければならないのか。




 その理由は一ヶ月以上前に遡る。




 当時記憶を失っていた宗次郎は第二王女である皇燈と出会った。さらに伝説の英雄、初代王の剣が使用した国宝・天斬剣の強奪に巻き込まれた。




 シオンの復讐、練馬の裏切り。紆余曲折を経て、宗次郎は記憶を取り戻した。幼い頃に燈と交わした約束━━━燈の剣になることを思い出したのだ。




 王の剣。その由来は千年前、皇王国の建国に遡る。




 宇宙から飛来した災厄・天修羅は初代王の剣と呼ばれる英雄の手によって倒された。彼はその名の通り、主である初代国王の剣として戦い抜いた。絶対の忠誠を誓っていた。同時に、初代国王である皇大地もまた、自身の剣に絶対の信頼を置いた。 




 二人の関係性が元になった制度こそ、剣の選定。王位継承権を持つ王族が最も信頼する相手を選ぶ制度である。




 約束を果たすため、宗次郎は第二王女である燈の剣になることを決意した。




 それが、宗次郎が暗記に精を出している理由である。




 燈はこの国の第二王女だ。最強の波動師集団、十二神将の一員でもある。




 加えて、燈には『初代国王を超える偉大な王になる』という夢がある。




 そんな彼女の剣を目指す宗次郎が、国政に関わる重要人物について知らぬ存ぜぬではまずいのだ。




 ━━━って、頭ではわかってんだけどなぁ。




 膝の上に乗った資料の重さの倍の心労に宗次郎は辟易する。




 テレビのニュースで顔を見た人物はまだいい。国王や第一王子の顔はさすがに知っている。が、会ったことも見たこともない人間について全部覚えるのは骨が折れる。




「どうしたのさ? 苦い顔をして」




「なんでもねえ」




 向かいの席に座る男性に宗次郎は手を振る。




「もしかして暗記に手こずっているのかい? そのくらいすぐに覚えちゃいなよ」




「うるさいぞ玄静。お前はどうなんだ」




「僕? 僕は全員知ってるから覚える必要ないもんね」




 ケケケと笑う青年━━━雲丹亀玄静に宗次郎は苦い顔をする。




 クセのある茶髪に黒い目をした軽薄そうな青年だ。宗次郎より少し若そうに見える。人懐っこそうな表情をしているのに、どこか知的な雰囲気を漂わせている。




「あのー……」




 森山がおずおずと声をあげる。




「あんな激しい戦いをしたのに、お二人はいつ仲直りしたのですか?」




 互いに顔を見合わせる宗次郎と玄静。




「いつも何も、なぁ」




「そうそう。特に何もないよねー」




「そういうものですか……」




 信じられない、という表情をする森山。




 森山の感覚もある程度理解できる。なんせ宗次郎と玄静はつい最近、死闘を繰り広げたばかりなのだから。




 記憶を取り戻した宗次郎が燈の剣になるためには、二つの問題があった。




 宗次郎はとある事故をきっかけに、八年もの間行方不明になっていた経歴があった。




 同時に、取り戻した天斬剣も封印が解けてしまい、宗次郎を持ち主に選んだ。よって天斬剣を王城へと運ぶ儀式が中止になってしまったのだ。




 二つの問題に対応するため、宗次郎たちは剣爛闘技場に赴き、皐月杯と呼ばれる武芸大会に出場することとなった。




 皐月杯で宗次郎が活躍すれば、中止になった儀式の代わりに天斬剣を国民にお披露目できる。同時に、戦いぶりによって宗次郎が天斬剣の持ち主としてふさわしいとアピールもできる。




 文字通り一石二鳥の提案に乗っかった宗次郎。その皐月杯の決勝で、宗次郎は玄静と死力を尽くして戦ったのだ。




「あんなに激しく戦っていたので、ちょっと意外です」




「ハハハ、柄にもなく全力出したからね」




 やれやれと肩をすくめる玄静。




「にしても、そんなに仲良さそうに見える? 僕たち」




「はい」




 玄静の質問に森山は即答した。




 思い返してみれば、闘技場を出てからというもの、玄静と二人でいることが多かった。名前を覚えられない宗次郎は玄静からアドバイスをいくつかもらったり。二人でできる波動の訓練をしたり。




 それに、




「仲良いかはともかく、これを持ってきてくれたことは結構感謝してるぜ」




 宗次郎は懐から波動符を取り出した。




 波動符は波動具の一つだ。紙に術式を刻印することで、遠隔操作をしたり、術式の補助をしたり、異なる属性の波動術を行使できる逸品である。本来なら王国に所属する八咫烏しか使えないのだが、宗次郎は玄静から波動符の元となる式符を分けてもらったのだ。




「どういたしまして。僕はあまり波動符使わないし、気にしなくていいよ」




「そうか?」




 おかげで宗次郎の属性が付与された、この世に二つとない波動符が出来上がった。




 ━━━使い道は色々あるな。




「お待たせしました」




 後部ハッチが開いて黒い羽織を着た隊員が入ってくる。両手いっぱいの荷物には簡単な食事が積まれている。




「ありがとうございます」




 おにぎりをふたつと飲み物をもらう宗次郎。続いて、森山と玄静が食事を受け取る。




「おまけに、昼飯を買いに外にも行けないよ。ごめんね福富さん。こんなパシリみたいな真似させちゃって」




「なんの。お二人の名は大陸中に轟いています。降りれば大騒ぎになってしまいますので」




 お気になさらず、と笑う福富に、玄静はやれやれと肩をすくめる。




 宗次郎の持つ天斬剣は、最強の波動師と謳われた英雄、初代王の剣が使用した特級の波動具。




 そして玄静の持つ陸震杖は初代大臣にして最高の軍師、雲丹亀壕が使用した特級波動具。




 どちらも『王国記』において絶大な力を発揮し、皇王国の建国に大いに貢献した。




 そんな両者が対決するなど歴史上初めての出来事だ。人々は戦いに期待を膨らませ、二人はその期待に応えた。




 結果、決勝の視聴率は八十パーセントを超えたらしい。文字通り、宗次郎と玄静の名は大陸中に広まった。




「玄静の言う通り、そろそろ出歩きたいな」




「安心しなさい宗次郎。目的地に着けばこの狭い車内ともおさらばよ」




 宗次郎は窮屈そうに体を伸ばすと、助手席にいた燈も後部座席にやってきて、福富から食事を受け取った。




「あぁ。わかってる。王城まであとどのくらいだ?」




「三十分もかからないわ」




「……いよいよだな」




「そうね、と言いたいところだけど。いきなり私の剣になれるわけではないわ」




「そうなのか?」




「ええ。物事には順序があるのよ」




 燈は指についたご飯粒を唇に咥えた。




「宗次郎と顔を合わせたい人間が大勢いてね。あなただって、ここに書いてある人全員と一度に会ったらパンクしちゃうでしょ?」




「木っ端微塵になっちまうよ」




 要人の資料を親の仇のように睨みながら、宗次郎はうめいた。




 資料に記載されている王族、六大貴族、十二神将、その他多数。数にして百名は降らないだろう。一度に会ったら朝から晩までかかってしまいそうだし、宗次郎も覚えられる自信がない。




「それで、どういう順番になるんだ」




「まずは、私の父である国王よ。宗次郎は私と一緒に国王に謁見してもらうわ。父が直接会いたがっているの」




 宗次郎は小さく頷いた。




 燈の父からすれば、娘の剣になる男には一目あっておきたいだろう。




「それから、皐月杯における妖討伐を記念して宴会が行われるわ。ここで私以外の王族と、六大貴族と顔を合わせるのよ」




「わかった」




「大変そうだね、宗次郎」




「何を言ってるの? あなたも出るのよ、玄静。宗次郎と玄静は主賓として出席するのだから」




「えー」




 玄静が不満げにため息をついた。




 面倒くさがりな玄静としては、あまり気乗りはしないらしい。




「なんで僕も一緒なのさ。妖を倒したのも宗次郎。貴族たちや他の十二神将が興味あるのも宗次郎じゃんか。宗次郎だけで十分でしょ」




「……少しは自分の立場を弁えなさい。あなたは雲丹亀家の次期当主でしょう」




 雲丹亀玄静は六大貴族の一角、雲丹亀家の直系。さらに家宝の陸震杖の持ち主に選ばれて、次期当主になることが確定している。




 加えて、宗次郎との戦いでその実力を遺憾無く発揮し、大陸中に知らしめた。宗次郎と同じく、興味を持たれても不思議はない。




「つまり、十二神将は別で顔合わせか」




「ええ。神将会議が明後日行われるわ」




 宗次郎の手が止まる。




 神将会議が明後日。謁見と祝宴はその前日なので明日。




 なら、今日は?




 今はお昼どき。一時間も走れば王城へと辿り着けるのなら、午後の予定が丸々空く。




「今日はどうするんだ?」




「王城に行く前に、寄るところがあるの」




「寄るところ?」




「そう。八咫烏の本拠地にして総司令部、波動庁よ」




 おにぎりの包みを開きながら、燈が全員の顔を見渡した。


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