第二部 第四十六話 伝説の戦い その3

 天修羅。




 千年以上昔に宇宙より飛来し、当時の名だたる戦士を倒した最強の生命体。




 その最たる能力は細胞浸食能力とされている。自分の細胞を分け与えることで他者の細胞を侵食し、変貌させて支配下に置く。動植物から人間に至るまでその能力の餌食となった。天修羅に変えられた生物は妖と呼ばれ、多いときには十万体以上の総数を誇った。加えて妖一体を倒すには数名の八咫烏が連携をする必要がある。天修羅が大陸の七割を支配できたのは純粋に戦力が多かったからだ。




 その妖が今、目の前に現れた。




「う、うわぁあああ!」




「逃げろ! どけ!」




「え、本物?」




「皆さん、落ち着いてください!」




 阿鼻叫喚の地獄絵図と化す観客席。我先にと逃げる大人、泣き出す子供、悲鳴を上げる女性、腰を抜かす老人、それらを誘導しようとする剣闘士たち。




 初代国王の剣によって天修羅が滅ぼされ、大陸から妖が駆逐された今、年に数件ほどしか妖の発生が報告されていない。




 王国は『強靭な生命力により天修羅の細胞が現代でも残留している』との公式見解を発表しつつ、発生の際は武力を持って対処している。その様子がテレビで放送されるため、どこか他人事のように考えている国民は実に多い。混乱するのも無理はない。




「なんで、こんなところに……」




 初代国王の剣として幾度となく妖と戦ってきて宗次郎さえ、すぐに事態を飲み込めなかったのだから。




 ━━━しかも、でかいな!




 天修羅の細胞に取り込まれた生物は往々にして形状が変化する。中には山のように大きい個体も存在した。




 大型の個体になればなるほど討伐の難易度は上がる。状況からして妖になって時間は経っていないとはいえ、やりにくい相手だ。




 加えて場所も悪い。観客席に飛び移られたら千人単位で死者が出る。




 ━━━避難完了まで時間を稼いで……。




 思考はぶつかった視線によって中断される。




 見ている。妖がこちらを見ている。




 ━━━狙いは、俺か!




「ガァあああああ!」




「ぐ!」




 爆音と共に繰り出された突進を済んでのところで避ける。




 ━━━速い!




 振り向きざまに脚を斬ろうと天斬剣を降ったが空を切った。巨体に似合わず素早い動きだ。




 動きを止める、もしくは制限できれば━━━。




「玄静!」




「……」




 宗次郎の呼びかけに玄静はハッとするも、恐怖に怯えた顔で首を横に振っている。




「ち!」




 またも突進してくる妖。避けるだけの時間がないと判断した宗次郎は活強で身体能力を極限まで高める。




「ぐぅっ!」




 真上から振り下ろされた鉤爪を天斬剣で受け止め、足首まで地面に埋まるほどの衝撃を受ける。




 ━━━なんつーパワーだよ……。




 体全体に痺れが走る。鉤爪を押し除けるどころか逆に自分の足が地面に沈み込んでいく。




「いたぞ! あそこだ!」




「!?」




 声がした方へ振り向くと数名の剣闘士がこちらへやってくるのが見え、宗次郎の背筋が凍る。




「今助けるぞ!」




「よせ! 来るな!」




 宗次郎の忠告も虚しく、妖は尻尾についたトゲを剣闘士たちへ向けて発射する。




「ぎゃあああああ!」




 連射されたトゲに体を貫かれて絶命してく剣闘士たちに、宗次郎の怒りが爆発する。




「あああああ!」




 天斬剣を反らして鉤爪をやり過ごし、足元に飛び込んで後ろ脚を斬り付ける。




「グゥおおおおおお!」




 尻餅をついたような形になる妖。必然的に高度が落ちた尻尾から、宗次郎は飛び上がってトゲのついた先端部分を斬り落とした。




「ゼっ、はっ」 




 着地した宗次郎は荒くなった呼吸を整える。




「宗次郎!」




「燈……」




 式典用のドレスに身を包んだ燈が小走りにこちらにやってくる。




「大丈夫なの?」




「なんとかな。離れててくれ。今から止めを━━━」




「宗次郎!」




 玄静が慌てながら両手を大きく振っている。




 ━━━何やってんだ、あいつ。




 珍しくテンパっていること以外に何も伝わらない。




 その行動が早く逃げろという意味だと気づいたのは、背後で妖が動く気配がした時だった。




「っ!」




 横殴りの衝撃に襲われ、燈にぶつかる形でグラウンドの端まで吹っ飛ばされる。




 前足で横薙ぎにされたとなんとなく思った。咄嗟に鉤爪を防げたのは玄静の警告があったおかげだ。




「ぐはっ!」




「げほっ。ごほっ」




 壁に背中をしこたまぶつけ、息ができなくなる。隣で燈の咳き込む声が聞こえる。チカチカと点滅する視界には、立ち上がる妖が映っていた。




 ━━━再生、しやがった……!




 人間と同じく妖も多少の傷は時間が経てば治る。中にはその速度が以上な個体は存在する。妖化してすぐにこれほどの再生能力を誇った個体は宗次郎の記憶になかった。完全に油断した。




「まずった……」




「ええ、全く……」




 宗次郎も燈もふらついてまともに立ち上がれない。この状態で襲われたらひとたまりもないと思われたそのとき、




「燈殿下! ご無事ですか!?」




 観客席から数名の八咫烏が飛び降りてくる。長くこの市に駐屯し、平和を守ってきた戦士たちだ。




「っ、平気よ。それより、状況は?」




「は!」




 隊長を務める二本脚の八咫烏が一歩出て、燈の前に平伏する。




「場長である椎菜殿によれば、避難は八割が完了。随時闘技場の出入り口を封鎖し、妖を外部へ逃さなぬよう手配し


ているとのことです」




 見上げれば観客席にいる人影はまばらだ。剣闘士たちが中心になって避難を誘導した結果だろう。




「我々はこれよりあの妖の討伐に移ります。差し違えてでも仕留めてご覧に入れますので、殿下はお下がりください」




「ダメよ」




「は!?」




 肯定の返事を期待していた隊長が素っ頓狂な声をあげた。




「差し違えることは許しません。止めは私と彼が刺すわ」




 ここで燈はちらりと宗次郎を見た。




 もしかして彼が天斬剣の、と八咫烏たちがざわつくのを隊長は無言で静止させた。




「私たちの準備が整うまで生存を優先し、妖をこの闘技場から出さないよう立ち回りなさい。鉤爪と尾の刺には気をつけて。再生速度がかなり高いから注意すること。いいわね?」




「御意。よし、いくぞお前たち」




「は!」




 隊長は術士に後方支援を、剣士に妖の脚を狙うように指示を出し、グラウンドの中央に向かっていった。




「燈! 宗次郎!」




 部隊と入れ替わるように玄静が宗次郎たちの下へやってくる。




「無事か?」




「ああ。何とか」




 心配そうに顔を覗き込む玄静に手を振って立ち上がる。




「俺たちも手伝うか?」




「いえ、今行っても連携の邪魔になるだけよ」




 波動師の部隊は数の優位を生かしたうえで連携し、妖にダメージを与えている。隊員同士の動きに無駄がなく、互いの行動をよく見ている。日ごろから妖との戦闘を想定した訓練をしている証拠だ。




「さすがだ。あれなら僕たちは━━━っておい、嘘だろ!?」




 悲鳴のような声を上げて走り出す玄静。




 宗次郎は玄静が向かう先を見て、同じく悲鳴を上げそうになる。




 まるで幽霊のようにふらついた足取りで、それも戦闘を繰り広げる妖のほうへ歩いている少年━━━壱覇がそこにいた。




「危ないから下がれって! 何やってるんだよ!」




「……」




 燈とともに玄静に追いつくと、壱覇がゆっくり顔を上げていた。




 骸骨のように真っ白い顔。孔が開いたかのような虚な瞳。半開きになった口から漏れる呼吸は不規則で乱れている。




 絶望。




 表情に現れたその感情に宗次郎を含めた三人は言葉を失う。




「父さん、なんだ」




 掠れていて聞き取りづらいはずなのに、壱覇の声はするりと耳に飛び込んできた。




 父さんとは第八訓練場の監督を務める黒金圓尾のことだ。蟠桃を使った罪に問われ、今は牢屋に繋がれているはずだ。この場にいるはずがない。




 本来この場にいるべきでないのに、現在この闘技場にいるもの。それは━━━




「グゥおおおおお!」




 八咫烏の斬撃を喰らって上がる妖の悲鳴が、闘技場に響いた。






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