第二部 第三十九話 雲丹亀玄静 その9
運命の日がやってきた。
祖父の号令により本家の屋敷に親戚一同が集められる。生まれたての赤ん坊から、はては祖父より高齢の老人に至るまでおよそ百人以上。
本家の生まれである玄静ですら、今回が初の顔合わせとなる親戚が半分近くいた。
━━━こんなにいるのか。
本家の人間だけが上がれる壇上から周りを見渡して、玄静は絶望にも似た感情を抱く。
兄も、日常も。何もかもがことごとく変り果てていく現実に精神が摩耗していた。
隣に座る兄に気づかれないよう、こっそりと視線を向ける。
真一文字に結ばれた口。ぎょろりとした目。気合が入りすぎてがちがちに固まった肩。明らかに緊張している。
無理もない。祖父の後を継ぐとはすなわち、六大貴族の責務と重圧を一身に受けることを意味する。
━━━跡継ぎ問題がひと段落したら、兄も少しは肩の荷が下りるはずだ。そうすれば、前の兄さんに戻ってくれるかもしれない。
また明るい笑顔を向けてほしい。楽観的な希望に気持ちが少し明るくなった瞬間、祖父が壇上に現れた。
「諸君。よく集まってくれた」
よく通る太い声が部屋に響き渡る。
「私は長い前置きは嫌いだ。さっそく本題に入らせてもらおう」
家族同士の集まりなのをいいことに、祖父は手に持った木箱をポンポンとたたく。
「知っての通り、陸震杖は私の手から離れた。ゆえに私は雲丹亀家当主の座から降り、この場で次の当主を決定する」
改めて祖父の口から説明され、親戚がざわつく。
「名前を呼ばれた者はこの場に立ち、陸震杖に己が波動を流し込め。立会人は波動具管理局局長・根来直斗が務める」
唯一の部外者である初老の男性が頭を下げ、祖父から丁寧に木箱を受け取る。
「では、封印を解くとしよう」
祖父は木箱にかけられた封印を一つ一つ解除し、中から波動具を取り出し、天高く掲げる。
「おぉ」
多くの親戚が感嘆の声を漏らす。
初代当主・雲丹亀壕の時代から千年。歴代当主の波動が込められた錫杖は重厚感をまとい、鈍い光を放っている。
あれこそが陸震杖。天斬剣と並ぶ国宝に称えられる、特級の波動具だ。
「では、始めよう」
遠縁の親戚から順に祖父が名前を呼び、呼ばれた人間が壇上へと上がる。波動を陸震杖に込めるも、陸震杖は何の反応も示さない。一人目の挑戦者はため息をつきながら、あっけなく退場した。
続く親戚もことごとく失敗し、壇上を上っては降りていく。
やっぱりか、と肩を落としてあきらめる青年。
ちくしょう、と悔し涙を流す中年の男性。
頑張ってね白義くん、と兄を応援する女性。
様々な反応を見せる親戚たちを、玄静は冷めた目で見送る。
━━━早く終わってほしい。
陸震杖は兄さんを選ぶ。頭脳も波動の技術もこの中で誰よりも上なのだ。こんな大勢を呼ぶ行為に、何の意味があるというのか。
「次、玄静」
嫌気が眠気に代わるくらい時間がたったころ、ようやく名前が呼ばれる。
出そうになるあくびを何とか噛み殺しながら祖父の前に立ち、陸震杖を受け取る。
一三歳の玄静には少し大きい波動具を握りしめ、深呼吸をしてから波動を込める。
━━━う、わ。
陸震杖に内蔵された波動と玄静の波動がふれあう感覚に背筋が寒くなる。
一つになる? いや、違う。持ち主としてふさわしいかどうか、試されているのだ。
━━━もういいから終わりにしてくれないかなあ。
波動の感触にもだいぶ慣れて、体の力を抜きリラックスしたその瞬間。
カチリ、と脳の奥で何かがはまった音がした。
「わっ!」
途端に陸震杖から爆発的に波動があふれ、まばゆい光を放つ。目がくらんだ玄静は思わず陸震杖を手放した。
「え……」
光が収まると、陸震杖は宙に浮かんでいた。そして空中を漂い、口が開いたまま放心している玄静の手元に収まった。
「おめでとう」
祖父がやさしく微笑みかけた。
「玄静。お前が新しい雲丹亀家の当主だ」
玄静の目の前が真っ白になる。
━━━僕が、雲丹亀家の当主?
理解が追い付かない。頭が回らない。口を開こうとしてもパクパクと動くだけで、言葉が出ない。
「ふざけるな!」
甲高い声が屋敷にこだまする。
白義だ。
怒りに震えながら肩を上下させ、玄静の下に歩いてくる。
「俺にも試させてくれ! 玄静より陸震杖をうまく扱ってみせる!」
「ならば、やってみるがよい」
祖父から許可をもらった兄は、よこせ!と玄静から強引に陸震杖を奪い取る。
「はああぁぁぁ!」
気合とともに波動を放出し、一気に陸震杖に注ぎ込む白義。
しかし。
いくら波動をつぎ込んでも、どれだけ時間がたっても。
陸震杖が光り輝くことはなかった。
「よせ白義。これ以上は命に関わる」
疲労から息を荒くする白義から陸震杖を取り上げようとする祖父。
「っ、まだだ! 玄静! 俺と勝負しろ!」
祖父を振り払い、白義は血走った眼を玄静に向けた。
怒り、憎しみ、苦しみ。この世に存在するあらん限りの負の感情を込めたような視線に玄静はたじろぐ。
「仕方がない。玄静、勝負してあげなさい。内容は将棋で構わないな?」
玄静が意見を述べる間もなく、祖父が勝手に勝負内容を決める。
時間短縮のため飛車、角などいくつかの駒を抜いた盤面が使用人の手で整えられる。
「兄さん……」
「玄静、本気で来い」
「始めよ」
たじろぐ玄静を無視するように祖父が号令を出し、同時に兄は即座に一手指す。
兄の指し手には精神的な動揺がモロに表れていながら、かつてと何ら変わりがない。攻め方の癖、タイミングに合わせて玄静は駒を指す。
確かに玄静は兄と将棋がしたいと思っていた。
でもそれは、こんな形では断じてない。
やめたい。やりたくない。陸震杖なんて要らない。重い感情が蛇のようにぐるぐると腹の中を這いずり回るのに、なぜか頭は驚くほど冷静だった。
兄の攻め手が読める。今後の展開を予測できる。
勝つ。祖父との対局で培われた実力が玄静に勝利の確信させる。
「くぅ、うぅ」
将棋盤を挟んで座る兄に意識を向けると、肩を震わせて悔し涙を流していた。その歯ぎしりは玄静にもはっきりと聞き取れた。
玄静が勝利を確信する以上、白義も迫りくる敗北の予感をひしひしと感じているのだ。
━━━ダメだ。このままじゃ……。
順当に駒を進めれば勝つ。勝ってしまう。
走馬灯のように兄との思い出がよみがえる。
当主になるために努力し続けた兄の姿。かなえたい夢を語る兄の姿。
━━━僕は……。
ほんの出来心だった。
玄静はあえて自身が不利になるような指し手を選んだ。選んでしまったのだ。
その一手が意味するところを、白義が判らぬ筈がない。白義は両手で顔を覆い、絶望のうめき声をあげる。
「あああぁぁああああぁああぁぁぁああぁぁぁ!」
最悪の悪手を取ってしまったと気づいても、もう遅かった。
「げんせえええええ!」
その怒りは挟んでいた将棋盤と駒を吹き飛ばし、兄弟は取っ組み合う。
「なんだ今の一手は! お前っ……お前!」
割って入った親戚たちに引きはがされ、両脇を抱えられながら白義が吠える。
「手を抜いたな!!」
「違う、僕は━━━」
どうしたかったかもわからないまま言い訳しようとする。
すると、箱に収められていた陸震杖がいつの間にか宙に浮かびあがり、玄静の前にやってくる。
「な……あっ」
まるで玄静を守るように立ちはだかる陸震杖を見て、白義の瞳が暗くなる。
「なんでだ!」
再び暴れだす白義は親戚たちに取り押さえられる。
「俺のほうが頭がいいはずだ! 知識もある! 波動術だって! 俺のほうが何倍も努力してきたのに! 俺にはかなえたい夢があるのに! 」
その声は音速で言葉をまき散らし、呪詛となって玄静の心をむしばむ。
「なんでお前なんだ!」
蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
どうして白義ではなく玄静を選んだのか。
答えを知りたくてすがるように陸震杖に目をやるも、何も答えてはくれない。
「やめぬか。見苦しい」
祖父が冷たい声で白義の前に立つ。
「陸震杖は玄静を選んだ。次の当主は玄静だ」
「納得できません!」
「やれやれ」
食い下がる白義に祖父は淡々と事実を告げた。
「才能が違うとなぜ理解できぬのだ。おまえは」
放心状態になる白義に対して、祖父はさらに続ける。
「お前と玄静は同じ環境で育ち、同じ教育を施した。優劣がつくのであれば、その差は才能に他ならない。努力などと、まったく」
玄静は耐えきれなくなって白義から目をそらした。
もう見ていられなかった。
「次期当主は雲丹亀玄静。これは決定事項だ。なお、玄静はまだ若い。成人するまでは私が当主を継続する。よいな?」
この雰囲気で否定の声など上がるはずもない。祖父は一通り周囲を見渡してから、
「では、解散だ」
と言い残して、すたすたと屋敷から出ていってしまった。
取り残された兄弟と親戚たちはどうしていいのかわからず、ただ立ち尽くす。沈鬱な空気がどんよりと漂い、口を重くさせる。
こうして。
玄静は雲丹亀家次期当主となり、兄との関係性は修復不可能なまでに破壊されてしまった。
あの日以来、玄静は兄とは会っていない。
否。正確にはもう会えない。
兄は死んだ。
交通事故だった。
陸震杖に選ばれなかった。そのショックゆえに兄は家を出た。学院にも戻らず、行方知れずとなった。
やがて、バスが山道から滑り落ちて炎上したニュースが流れた。そのバスの乗客名簿に兄の名があったのだ。
もう。
どんなに願っても。
二人で仲良く将棋を打つ日は、来ないのだ。
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