第三部
第一幕第一場:運命の力(前編)
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もう朝?
この薄暗い部屋に、カーテンの隙間から自己主張してくる光があった。その光の強さからきっと朝陽の輝きだろう。
目線を上げると、頭上には紺のベルペットの夜空が見える。その星々を模した微小な魔石は、それぞれが微かに光を放っている。
これはあたしが好きな、いつもの目覚めの景色だ。
それから部屋の床に視線を落とすと、昨夜遅くまで書きなぐった紙があちこちに散らばっている。
不思議と、今なら母の顔が描けそうな気がする。
まるでつい先ほどまで、母を見ていたような感覚があったからだ。そしてピアノの先生も。
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これは……三度目かしら?
そう、そうだ。
三日目の朝に逃げるように街を出て、教皇都に辿り着いたあたしとお父様は、愚かな箱入り娘のせいで結果的に命を落としてしまったのだ。
二度と同じ轍を踏んではならぬと心に誓い、あたしはお気に入りの住処から明確な意思を持って抜け出した。
何よりも先ずは、この刻一刻と薄れゆく膨大な前世の記憶をまとめ、大事な要点だけを紙に書きださなければならないだろう。
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「──っと。こんなものかな」
一通り書き上げたあたしは、羽根ペンを置いてその内容を再確認をする。
うん、悪くはないかも?
これで日々記憶がおぼろげになろうとも、最低限やるべきことは分かるだろう。
そして今、窓から入ってくる光は、少し和らいできたように思える。
少し時間をかけ過ぎたかしら?
婆やがあたしを起こしに来るのは、確かお昼前頃だったはず。
今ならまだ朝食の時間に間に合うだろう。場合によってはお父様を見送る事ができるかもしれない。
だから髪もとかさず、水差しの水で顔も洗わずに、急いで階下へとあたしは向かったのである。
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「久々に食べる婆やが作った朝食は、やっぱり美味しいわね~」
「あらあら、お授様が珍しくちゃんと起きてこられた上に、褒めて下さるなんて嬉しいですわねぇ」
「ほんと美味しいわ。明日も明後日も、その先もずっとずっと、婆やが作る朝食を食べ続けたいって、心から思うのよ」
これはループしても変わらぬあたしの本心であり、ループの外に抜け出してでもという気持ちの表れだ。
ちなみに今朝の食事内容は、焼きたてのコルネット(クロワッサン)とアミアータ産の山羊乳チーズに温めた牛乳、デザートはザクロと干し葡萄を和えたヨーグルトだ。
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ん? あれ? 何やら既視感がある気がする。
ひょっとして二日目にあたる明日の朝食も、これと同じメニューになるのかしら?
まぁ、何度同じものを食べても、婆やの作る食事は満面笑顔で食べきる自信があるけどね!
そして残念な事に、今朝はお父様のお見送りは出来なかった。でも記憶の書き出しは必要だったので、止む無しと自分を納得させた。
さて昼からは毎週恒例の礼拝があるのだけれども、行くべきか行かざるべきかにあたしは悩んでいた。
礼拝に行けば、ほぼ確実に公爵閣下に出会う羽目になるだろう。それが果たして益になるのか、それとも貴重な時間を他の事に有効活用すべきなのか、考えがまとまらない。
こういう時は、どうする事が最善なのだろうか?
『思い立ったが吉日』という言葉が、あたしの頭の中にふと思い浮かんできた。
前世でお世話になったピアノの先生がよく言っていた言葉だ。
その先生の場合は、それが良いのか悪いのか、何をするにも即断速攻で毎回トラブルだらけだった気がする。
あぁ、先生の弾くピアノに合わせてアリアを歌うの本当に楽しかったなと、あの頃のあたしの初舞台直前にレッスン漬けの日々を送ったことを思い出す。
(あの頃が懐かしいわ……)
「また先生のピアノで『乾杯の歌』を歌いたいな……」
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結局、
女好きの公爵閣下が何故か
でもこれは決して、個人的な趣味のためではなく、あくまでも
「さてさて……、もうすぐ公園通りを通り過ぎるけど、川沿いの小道は身を隠す物が何も無いのよね」
あたしは公園通りの道沿いにある藪に紛れながらる、教会へと向かって歩いていた。
右拳を強く握りしめながら、帰りに買い食いでもと考え、銀貨を四枚だけ持っているのだ。
おそらく公爵閣下はあたしと同じく庶民のように徒歩で川辺の教会まで行くはずがない。
まず間違いなく足代わりに馬を使っているだろう、などと歩きながら考え込んでいると、公園通りを後方から駆けてくる馬の足音が聞こえてきた。
あぁ、これは不本意な
教会を目指すのであれば、そのまま真っすぐに駆けていくはずだから、後ろを振り返らない限りはきっと大丈夫だろうと考えての行動だった。
しかしながら、その馬上の騎手の考えはそうでは無かったらしい。
つまり馬は、公園通りの終端にある交差路を左折したのだ。
そのまま馬を走らせれば、曲がり角の内側でしゃがみ込むあたしを恐るべき蹄鉄で巻き込むだろう。
その結果が、運が良くて全治半生、最悪の場合は即死というブルット(伊語:brutto/醜い、ひどい、わるい)なルートをあたしは自ら選択してしまったようだった。
だったと言うのは、馬上の騎手の目と判断力、そして馬を扱う技量が卓越していたお陰で、何とか不幸な
ヒヒーン、といういななき声と共に、土埃を舞いあげながら馬は両前足をあたしの頭上よりもはるか高くに掲げ、次の瞬間には哀れで可憐な小娘を上手く避けるように、勢いよく大地を何度か叩きながら急停止をした。
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「驚かせてすまなかった。無事か? そこのお嬢さん」
馬上から騎手が心配そうに声をかけてきた。
そちらを見ると、フード付きの外套を深く被ったシルバーグレイの短髪と整った顔立ちの男だった。彼の顔をよく見ると、左目尻の下付近からこめかみへ走るように古い刀傷がある。
その優し気な目元、どこかで見た……ような?
「どこか怪我をしたのか? それとも……」
馬上のイケメン様が怪訝そうに再び声をかけてきた。
あ、黙ってまじまじと見つめてくるあたしに、ひょっとしてドン引きしちゃったのかな?
「い、いえ。立派な顔立ちに思わず見とれておりました。巧みな手綱捌きのお陰で、あたくしも怪我は無く無事ですわ」
と余所行きの声と笑顔であたしは対応した。なおこれは
「──そうか、ならば良しとしよう」
ん? 今の微妙な間は、何かな? やっぱりさっきので、ドン引きしちゃってる?
「ありがとうございました。あ、あの……。失礼ですが、あなたのお名前はなんと?」
ここはさりげなく、彼の情報収集をしておこうかしら。
「む、名前か。私の名は……」
そこに、彼の名前を知る機会を潰すモノが割って入ってきた。
折角の(お近づきの)チャンスなのに!?
「そのお声は、
あれ? よくよく見ると、馬上に居るのは一人ではなかったらしい。
イケメン騎手の後ろに、彼の腰にしがみつくようにして鞍に横座りしている人物がいた。その声からは若い女の子と分かるが、身に着けているローブが大きくぶかぶかなので見た目が全く分からない。
「ジルお姉さま? あたしは確かにジルダと言う名前だけど、あなたこそ誰よ?」
思わず本来の言葉遣いが出てしまい、一瞬マズったと思ったけど、ここは大人しく普段の自分に戻すとしよう。
「マリーです。ジルお姉さま、わたくしをお忘れですか?」
彼女はフードを脱いで、その顔を見せてくれた。
あらヤダ、綺麗なお顔じゃないかしら──。
うん、あたしが毎朝鏡の前でよく見ている、────金髪碧眼の美少女だわ。
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ええええぇぇぇぇぇぇっ!?
なになに? これはどう言うことなの?
なんであたしによく似たそっくりさんがいるのよ!?
しかもあたし
あたしは激しく混乱してしまい。思わず頭を抱えたまま、その場にしゃがみ込んでしまった……。
「ジルお姉さま! どうなされました!?
どこかお怪我でもされたのですか!?」
「駄目だ、マリー! 追手が直ぐそこまで来たようだ。つかまってろ!」
彼はそう言うと、マリーと言う女の子を離すまいと右手を後ろに回して自分に密着させるように押さえつけ、左手で手綱を操り馬を駆けさせた。
すると、あっという間に馬と二人はあたしの目の前から土埃を残して去って行った。
その後少しすると、その後を追うように馬にまたがった追手らしき男が二騎現れ、走り去っていった。
あたしはただ茫然とそれらを見送るだけだった。
「本当に何なのよ。……さっきのは」
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