第二部

第一幕第一場:オスティナート『執拗に』

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 もう朝?   


 いや、お腹の空き具合から、もうお昼前かな?


 目線を上げると、頭上には紺のベルペットの夜空が見える。

 あたしの好きないつもの目覚めの景色だ。


 それから部屋の床に視線を落とすと、昨夜遅くまで書きなぐった紙があちこちに散らばっている。


 不思議と、今なら母の顔が描けそうな気がする。

 まるでつい先ほどまで、母を見ていたような感覚があったからだ。



 それにしても、一体あれは何だったのだろうか────。


 とてもとても長くて、決して目覚めることない嫌な夢を見た気がする。同時に母に励まされる事もあった。

 夢にしては生々し過ぎて、気持ちが悪い。井戸の中で溺れ死んだ時の苦しさは、生まれて初めて味わった感覚だ。


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 いや、初めてじゃないし、あれは夢なんかじゃない。

 あの走馬灯のようなモノが目の前を駆け抜け、意識が遠のくようにゆっくりと落ちていく感覚は──。


 そう、あれは間違いなく二度目の死だ。


 一度目の死は、四角い顔の老人が運転する車にはねられた。

 そして二度目の死は、四角い顔の老人に井戸に突き落とされた。



 つまり──────、どう言うことだってばよ!?



 あたしは……あの四角い顔の老人に殺される運命を、何度も何度も……辿るのだろうか──?

 (そうよ、だから気を付けないと)


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 ベッドの中で色々考えを巡らせていると、扉をノックする音がする。


 あぁ、婆やが私を起こしに来たに違いない。



「お嬢様、もうすぐお昼ですよ!

 早く起きて支度をなさって。 でないと日曜の礼拝に間に合いませんよ」


 そう言いながら、部屋のカーテンを次々と開いていく。


 眩しい朝日……ではなく、優しい陽光が部屋の中を照らしてくれる。


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 うん、このシーンは確かに二度目だわ。

 どうやら、この礼拝に行く日曜の朝から、あたしの人生はやり直しらしいわね。


 そうか、これがというやつですか。


 決して嬉しくはないけれども、再び大好きなお父さんを助けるチャンスに恵まれた事を、信じてもいない神様にそっと感謝した。


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「今日は礼拝に行きたくないだなんて、一体どうなされたのですか?

 月のモノのせいで体調がすぐれなくても、決して毎週の礼拝は欠かさなかったお嬢様が、そのような事を言うなんて……」


 まるであたしが信心深いお嬢様のような言い方をするわね。

 でも婆や、あれはあたしの密かな趣味である世情調査ルーチンワークのためだけにあった、信仰とは無縁の熱心さなのよ?


「何か悪いものでも食べたのですかねぇ? ……お嬢様、まさか夜半に食糧庫でつまみ食いを?」


 婆やが言うに事欠いて、ヒドい言いがかりをなさる。


「そ、そんな事ないわ。昨夜は眠くなるまで絵を描いていて、つまみ食いをする暇はなかったし……」


「昨夜はねぇ……、ではその前はどうでしたかねぇ?」と、ジト目であたしを見つめてくる婆や。


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「ごめんなさい……、一昨日の夜は地下の保冷庫にある生ハムをかじって、あと蜂蜜酒を……とチーズに婆やが作りかけの栗の砂糖漬けのほうも、大変美味しく頂きました」


 婆やにはバレてる気がしたから、ここは素直に全部ぶちゃけた。

 その上で、今日はお腹が痛いので礼拝に行くのは無理だと告げると、婆やはため息を一つ吐くだけで引き下がってくれた。


 その後、わざわざ部屋まで食べそびれた朝食を持ってきてくれた。それから婆やは一人で礼拝に出かけたようだ。


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「さてと……、どうしたものかしら……ね?」


 自分の部屋で遅い朝食を終えた後も、あたしは相変わらずベッドの中の住人だった。今日ばかりは婆やの許可もできたので、夜までココに居ても許されるのだ。


「ベッド最高っ!!」


 と一瞬、……訂正、五瞬くらいかな?ゴロゴロするも、お母さんの言葉を思い出したので、愛しいベッドから巣立つ事にした。


 そして机に向かい、時間が経つにつれておぼろげになる前世の記憶を、急いで目の前の紙に書きだしていく。


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 やはり重要なのは、今日の礼拝かもしれない。

 礼拝に行くと、どこぞの貴族の放蕩息子っぽいが実はこの街の支配者である公爵閣下に出会う。


 そして明日は、素敵な彼がなぜか代わりに謝罪に来る。ひょっとして影武者かしら?


 明後日の夜には、四角い顔の老人の策謀により、バッドエンド不可避に追い込まれると……。



 オペラのあらすじ的にも、きっと礼拝が起点だと思う。そして遅くとも、明後日の昼頃には三人揃って街を出ないと、死亡ルート確定と結論づけた。


「そうなると、今日と明日は屋敷に引きこもって、大人しく準備をするのが一番かしら?」


 前回は自分の荷造りに手間取り時間を無駄に浪費したのが悔やまれる。そのために何も備えが無かったのだから。

 荷造りについては本気で最小限に留めるしかない。最悪、金目の物さえあれば何とかなる。


 護衛のために傭兵を募る事も考えたけど、あまり大事にすると目論見が先方に露見してしまうし、資金力で負けて傭兵に裏切られるのがオチだと考えた。


 この死亡ルートから抜け出すには、やはり少数の利点を活かして秘密裏に逃亡する事が、最も成功率が高いのかもしれない。


 あと全く魔法が使えない私自身も問題だ。

 せめて簡単な魔法だけでも何とかならないものかしらね?


「うーん、大粒とはいかなくとも、魔石は念のためにあった方がいいかもね。でも何の魔石が便利か、使い方を知らないからどうしようかなぁ?」


 などと考え込んでいると、コンコンと扉をノックする音がした。


「ジルダ様、お部屋にお入りしてもよろしいでしょうか?」


 声の主はミランダらしい。そっか、この時間はまだお屋敷に居たのね


「ミランダね。入っても良いわよー」

「では失礼しますね」


 そう言いながら、黒髪の爆乳美人ことミランダが盆に載せたティーセットを持って、部屋に入ってきた。


 振り返ったあたしの目線を、至極当然の如く釘付けにするものは、他ならぬ歩く凶器ことお胸様である。

 あぁ、やはり今日は首からひざ下まである、色気の無いロングエプロンよね。

 でもね。くれぐれも年端もゆかぬ少年を惑わし、道を誤らせて欲しくはない。ほんと切実に願うわ。


 出来ればそんな彼女を我が家が囲いこんで、ずっとあたしが独占しておきたいけれども、運命がそれを許さないので、今日も視覚的に楽しむことに専念しておいた。

 もちろん時間があれば、後で十二分にキャッキャウフフと触れ合う腹積もりだ。


 あ、でもでも、これはお買い物を頼むには丁度いいかも?と考えた私は。


「丁度良かったわ、ミランダ。お買い物を頼まれてくれない?」と、すかさずお願いした。もちろん両手を胸の前で、下から見つめ上げるように、だ。


「えぇ?突然どうなされたのですか?ジョヴァンナからは、ジルダ様は具合が悪そうなのでくれぐれも一人にしないように、と言いつけられているのですが?」


 久々に婆やの名前を聞いた気がする。ジョヴァンナとは、器量と気立てが良くて昔からモテモテだったらしい婆やの名前。でも実はバツ三の未亡人ですのよ?


 でもしかし、くれぐれも一人にしないでって下りは、私がまたまたつまみ食いをするとでも婆やは危惧しているのかしら? 

 流石にちょっとそれは、あたしを疑い過ぎじゃないの?


「大丈夫、大丈夫。一人で勝手につまみ食いはしないから、それに婆やの栗の砂糖漬けは今食べるより、完成品を待ってからの方が良いでしょ?」


 ミランダはジト目で私を見つめてくる。


 ……な、なによ。

 ミランダまで、私の食い意地を疑うの!?


「はい、疑っていますわ」とニッコリ笑顔で返してくれた。


 !?


 やっば……。ついつい心の声が、私の口から駄々洩れしていたみたいな?

 (本当に気を付けないと……)


 しかしこのままではらちがあかない。そこで適当に話をでっちあげる事にした。

 話の設定は、こうである。


 近日中にお父様と婆やを連れて、ちょっと教皇都のある風光明媚なアミアータ渓谷まで巡礼の旅をしたいと考えているから、その為に買い出しをお願いしたいと。


 すると意外にも、すんなり私の申し出に応じてくれたのだ。

 そしてミランダに頼んだ物は、次の物だった。


 長期保存の利く糧食と岩塩、香辛料に卵。 

 卵は完全栄養食だしね!


 他にはいざという時にあると助かる物で、細い針金の束と丈夫なロープを二束分。それに念のために野外宿泊のためのテントも。 

 ちょっとした冒険には必須アイテムよね!


 あと巡礼の旅なので、気分を出すへんそうのために巡礼用の修道服を古着で三着分、無理言ってお願いした。


 最後に可能であれば馬を三頭、駄目なら荷馬車を一台の手配を明日の夕方までにとした。 

 あたしには乗馬の経験はないけど、きっと大丈夫よね?お父様も婆やも足や膝が悪いから、ここは一番の懸念事項だったり。


 ミランダからは、少なく見積もってもこれらの購入代金は、金貨で三百枚以上はしますよ?と呆れ顔で言われたが、そこはあたしの秘蔵の古書、お気に入りのドレスと弦楽器、そして一度しか身に着けたことない高価な貴金属の装飾品などを提供した。

 そして止めにお父様のへそくり金庫から、金貨袋を三百枚分(も?)を取り出して、その全額を気前よくミランダに預けておいた。


 もちろん買い出しのお釣りは、手間賃としてミランダが受け取って良いという事で、双方合意となったのである。


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 ミランダを快く買い出しに送り出した後、あたしは婆やの部屋からこっそり裁縫道具をお借りした。


 そしてそれを用いて慣れない手つきながらも、旅用のスカートと袖口の裏側に隠しポケットを縫い付ける。貴重品を隠すにも便利だしね!


 ただその代償として、あたしの指先は針の責め苦を受けて、所々に赤い斑点を残したのである。


 その後、地下室にあった空の麻袋(中に入っていたジャガイモは夜中に暖炉で焼いて食べようと、クローゼットの中に転がしておく)に、一階の玄関広間にある暖炉の灰を詰めておく。

 これは後で、夜中にでも卵の殻に香辛料と一緒に詰め合わせて、目潰し用の小道具にするためだ。

 魔法も使えず、非力でいたいけな(?)あたしには、これくらいは必要でしょ?



 それから夜までは、自分とお父様の分の荷造りに、今回は精を出す事にしたのである。


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