放て
藤泉都理
第1話
放て、
放て、
放て。
腕が震える。
笑えるくらいに、
顔が歪む。
笑っているのか、腹を立てているのか、わからない、
腕と顔以外の身体が動かない。
石化したみたいに、
弓も矢も定まらない。
己の未熟さ故に、
身に纏う着物や礼法を以てしても、動揺が収まらない。
弓矢が、冷たく、重い。
息が浅い。
身体も思考も重く、遅い。
放て、
放て、
放て。
命じて、
がんじがらめにしてどうする。
解き放つものなのに、
自由であるはずなのに、
視界が閉じられていく。
ふっと、意図せずに息が漏れる。
震える腕が、弓矢は離さない手が、徐々に落ちて行く。
もう少し、
もう少しで、
落ちる。
瞬間、切り裂く音が聞こえる。
しかし、絶望ではなく、希望の音。
闇が、その一閃で振り払われる。
石化が、その一閃で解き放たれる。
鼓膜を、全身を奮い立たせる弦音。
自由で力強く、それでいて、優しい弦音だ。
目を見開くも、咄嗟に動きそうになった顔を対象に固定させる。
顔が歪む。
笑っているのか、悲しんでいるのか、わからない、
腕が震える。
いや、腕と言わず、全身だ。
あんな、弦音が出したい。
放て、
放て、
放て。
放ちたいのだ。
沸き立ち、逸る心とは対照的に、身に纏った礼法が、射法が、丁寧に身体を動かす。
一つ一つの動作が丁寧に流れて、一つの音へと繋がる。
「ばあちゃん、」
祖母の出す弦音には、まだまだ遠く及ばない。
だからこそ、まだ、傍にいてほしかった。
ずっと、ずっとずっと、
傍にいてほしかったのだ。
「まあ、んなとこかのう」
九十九個の鈴で成り立つ神楽鈴が鳴り響いた途端、矢が射貫かれた対象が消え去った。
退魔の力が宿ると言われている弦音に、祈祷を捧げた弓、破魔の矢がそろって初めて、対象を成仏させられる。
弓者の技量が強く必要とされるのだ。
「本来なら一人でこなさにゃいけんのを、大層な未熟者だから、こーしてわしが補佐しとるわけじゃ」
「わかっています」
「おまんのばあちゃんには世話になったんで、こうして手助けしとる。だけんど、もう二度と助けを求めんことじゃ」
「っち」
「気丈結構結構。その調子でがんばりゃ」
「言われなくても」
全身が震えている。
安堵故、だろう。
握る弓は質量以上に重く感じる。
けれど、冷たくはない。
「そんで早くわしをばあちゃんの元に連れてってくりゃあ」
「ばあちゃんはじいちゃんにぞっこんでしたよ」
「じゃぁかぁらぁ。そんなんじゃにゃあって言っとるじゃろうが。これだからわかもんは」
「はいはい、すみません」
「はいは一回で十分じゃ」
「はい」
「よし、なら一回試しにわしに射ってみんか?」
「冗談はよしてください。私にはまだあなたが必要なんですから」
「……すまん。あいつの孫だからと言って、おまんはわしの好みじゃなか」
「冗談はよしてくださいと言いましたよね」
「一回だけでいいんじゃ。どうせ、まだまだまだ×百、未熟もんのおまんにわしは消せんよ」
「挑発には乗りません」
「けーち」
「けちで結構」
「わかった。わしに射んでもいい。けんど、おまんの弓道、見せてくりゃ」
「……帰って、疲れていなかったら、構いませんよ」
「おう」
「代わりに、ばあちゃんのはなし、聞かせてください」
「おう」
放て、
放て、
放て。
自由を望む心の赴くままに、
己を律しながらも、
他を感じながらも、
「いつの日か、必ず。あなたを成仏させてみせますよ」
「楽しみにしちょる」
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