これはきっと熱のせい 前編

 ピピピピ……。

 スマホの目覚まし音で目が覚めた。

「……うっ。喉いてー……」

 本当は、あまり眠れていない。昨日から違和感の存在を示してきた喉が、はっきりと痛いと主張してきた。

 体も熱い。

「熱もありそうだな。まいったな」

 だるい体を無理やり起こして、ベッドから出た。

 頭がふわふわする。

 こういうとき、一人暮らしだと、なにかと不便だ。

 冷蔵庫をあけても飲み物はビールだの酎ハイだのといったアルコール類ばっか。

 ペットボトルは炭酸飲料だ。

 家で料理をすることのない俺んちの冷蔵庫は空っぽ。

 しかたがないと、数少ないグラスに水道水を注いで飲んだ。

 冷たい水が喉を冷やすも、飲み込むのも痛い。


 ベッドに戻り、寝ころぶ。

 熱のせいなのか、頭がぼんやりする。

 ダメだ、ダメだ。今日は企画書提出しなくてはならないのに。

 作ってきた企画書にどれだけの時間をかけてきたのか。

 ふと部下の言ったことが思い出されてきた。


『無理してませんか』


 たった一言だけ。そのときは、その言葉をなんとも思わなかった。だから、なんて言って返したのかさえ覚えていない。

 リーダーとして頑張ってきたんだ。最後のチェックを明日やればいいと思っていたのに。


 会社に連絡すると、電話口に出たのは、その部下の市川だった。

 企画書の用件だけ言うだけなのに、声が出しにくい。

「それとな……」

「わかりました。もうすぐ朝の会議に入りますので準備します。こちらのことはお任ください」

「あ、ああ」

 最後まで聞かず、電話を切られてしまった。

 ムカッとしたものの、そのムカつきは、熱と喉の痛みに消された。

 お堅いやつだ。まあ、任せておけばいいようにしてくれるだろう。

 白い天井を見ながら思った。


 自宅から徒歩三分の病院に行き、薬をもらって帰ってきた。

 とりあえず、流行のウィスルではなかったことにほっとした。

 それでも、九度近い熱が出ている。寝込むのはいつぶりだろう。

 歩くのも一苦労だし。エレベーターのない三階まで上がってくるだけでも、息も絶え絶えになるなんて。

 三十を越したから?いや、ただの体力不足か。

 どこも寄る気が失せて、とりあえず、ポカリを一本だけ自販機で買っただけ。


 ポカリで喉を潤しつつ、ベッドに寝ていると、いつのまにか寝ていた。

 寝汗で服がはりついて気持ち悪くて目が覚めた。

 カーテンは空いているのに、辺りは真っ暗。

 十二月は、日が落ちるのも早いが、何時なのか気になって、起きようとした。

 熱でくらくらする。

 リモコンで電気をつける。壁掛けの時計は、短針が5を指していた。

 ポカリを飲み干し、もう少し飲みたいのに一本しか買っていなかったことを思い出し、後悔した。

 こんなに喉がかわくなんて思っていなかった。

 買ってくる気力もわかず、そのままもう一度寝た。


 次に気がついたのは、スマホの着信音で、だ。

 枕元を手探りでスマホを手にとって、

「はい……」

 電話があるなら会社関連だろうと踏んで、名前を言おうとしてもかすれて声にならなかった。


「佐幸さん、体調かいかがですか?」

 声の主は市川だった。


「企画書は?」

「ご自身の体調より企画書ですか」

 電話越しでも、あきれているような顔が見えるような声だ。

「大丈夫です。みんなで確認して出しました。結果はまだ後日なんですから」

 そういっても、気になるものは気になるのだからしかたがない。

 なにも言わないでいると、

「たしか、一人暮らしでしたよね。必要なものがあれば買ってきますが」

 と事務的な声で聞かれた。


「俺のマンションわかんの?」

 買ってきても、場所がわからなければ、どうしようもないのではと思いたずねた。

「熱高いんですか?」

「ん?」

「なんどか数人で佐伯さん家に飲みに行ってますけど」

 暗に忘れているのか聞かれて、そういえばとぼんやりと思い出した。

 熱が高いと、記憶もところどころ穴があいているようだ。


「じゃあ、ポカリを数本…」

 コホコホと咳が出た。

「なにか食べれそうですか?」

「……朝からなにも食べてねーや、ははっ」

 それほどお腹はすいていなかった。

「わかりました。適当にします」

「お、おい。でも、お前にも用事があるだろ。良いのか、頼んで?」

「お気遣いなく。では」

 味もそっけもなく、電話が切れた。

 仕事の時だって、仕事以外でも誰かとつるんでいるのを見たことがない。さっぱりとしているが、風邪の時は、もうちょっと言葉が欲しいと言うのは……、贅沢だなと思いなおし、スマホを手放し目を閉じた。


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