第2話 先生
結局、あの日"彼"とは全くと言ってもいい程視線を交わすこともなく、なんなら緊張のせいか酔うこともできずに私だけひとり気まずい感じで終わってしまった。
晃には申し訳ないな、とは思いながらもどうしても楽しむことはできなかった。
「ねー、どうしちゃったの?美咲、今日全然元気ない!」
"昨日"の事が頭から離れなくてずっとモヤモヤしていると、そんな私の事を萌は不思議そうな顔をして見てくる。
「……そ?全然大丈夫だよ。ごめんね」
「ほんとにー?大丈夫ならいーけどさあー……」
萌は納得いかなさそうにそう言って、残りのランチを口に入れた。
――正直、思い出しただけで心臓がバクバクする。
「……よろしく」
彼は、気付いただろうか。
『――俺さ――…』
9年前の声が蘇ってくる。
私はぎゅっと目を閉じて脳内のそんな声を消した。
「——あれっ!美咲、もう帰っちゃうの!?」
あまりスッキリしない気持ちのまま進まない仕事をなんとかひと段落させたのを機に、定時になったのを確認してもう今日は帰ろうとカバンを持った時だった。
そんな私を見た萌が驚いたように声をかけてきた。
「え、うん。なんで?」
「えー!ね、合コン行こうよ合コン!」
そう言って萌は私の腕を揺らす。
合コン……?
「悪いけど、私パス。」
「えー!なんでよー!てかうちらもう27よ?!そろそろ結婚相手見つけないとやばいってー」
そう言う萌を横目に、ごめんねと謝った。
「今はそういう気になれないみたい。」
私がそういうと萌はえー!と不服そうな声を漏らしていたけれど、ごめんねともう1度言って今度こそ会社を出た。
もう徐々に日も暮れ、街頭がつき始めた街中で、まだそんなに遅い時間ではないというのにもう既に出来上がっている人達とすれ違いながら歩く会社からの帰り道。
私は会社の最寄駅に向かって足を進めていた。
家と会社は電車で3駅。駅に着いたら家までは歩いて10分程の距離。
駅に向かって歩いている途中も昨日のことが頭から離れず、まるで壊れた映写機のように頭の中で鮮明に繰り返し流れていた。
よろしく、と言ったあの低い声も。
全然見ることはできなかったけれど、あの雰囲気も。
なにもかも変わってなかった。
『――もう27だよ?!』
さっきの萌の声が頭に流れる。
「もう27、か……」
知らないうちにあれから9年の月日が経っていたんだ。
なら、確か7歳上だった彼は恐らく34歳。年月の早さに恐怖すらも感じる。
……でももう多分、きっと、2度と会うことはないだろう。
というよりも、もしも万が一会ってしまったとしても昨日あんな態度をとってしまったんだ。
気まずくて顔も合わせられない。
「ふー……」
駅に着き、ピッと改札にカードをかざし、ホームのいつもの定位置となっている所で電車を待つ。
重い気持ちを吐き出すかのように深く呼吸を吐き、次の電車がいつ来るのかとふと顔を上げた時だった。
視界の隅っこで、こちらに近づいてくる影が映った。
ぞくっとした。
これを、女の勘と言うのだろうか。
ただ視界の隅に入ってきただけなのに、なんとなく、物凄く嫌な予感がした。
「……あれぇーこんなところに可愛い子がいるー」
そんな事を言いながらやけにろれつの回ってない、気持ち悪い笑みを浮かべたおじさんが近寄ってくる。
「……」
どうやら、勘は当たっていたらしい。
たまに、こういうことはある。いわゆる"酔っ払い"だ。
「ねえ、無視?無視しなくてもいーじゃんー」
こういうのは、変に相手をしない方が良い。そう思い、おじさんを無視して早歩きで別の場所に移動する。
そうすれば大概は諦めてどこかに行ったりする。だから、今回もそれを狙って足を進めた。
「ちょっと逃げんなよおー」
なのに、今日はやけに追いかけてくる。
……しつこい。
「……最っ悪……」
小さく呟いて、またさらに逃げようとした時だった。
「ほらほらあ、いいからさ、行こうよー。いい店知ってんだよおー」
酒臭いおじさんが私の腕を掴んできた。
……やばい。完璧に、油断してしまってた。
「ちょっ……やめてください」
「いいからいいからあー」
普段から人通りの少ないこの駅。
私が駅に着いた時にちょうど電車が行ったばっかりだったからか余計に人がいない。
本当にお酒飲んでるのか疑いたくなるくらいに、おじさんの腕の力は強まるばかり。
「た、助け……っ」
さすがに怖くてどうしようと涙を浮かべて必死に抵抗した時だった。
「――離せよ」
そんな声が聞こえた瞬間、男に掴まれてた腕が解放された。
……え?
そう思った時には酔っ払いはチッと舌打ちして逃げて行くところだった。
あまりにも一瞬の出来事で頭が理解できなかった。
とりあえず分かったのは、助けられたということだけ。
「……あ……」
……そうだお礼。お礼言わないと。
そう思い視線を上げた先、そこにいた助けてくれた人の顔を見て心臓が昨日と同じように大きくドクン……ッと鳴った。
「……何?」
低いその声。昨日交わせられなかった視線。
それを1度だけ交じらわせて、すぐに下を向いた。
「……あ、りがとう……ございます」
そこには、昨日の"彼"がいた。
「……」
しばらく無言が続いた。
本当は聞きたいことは山ほどあった。
なんでここにいるの?なんで助けてくれたの?
なんで――……
「……なんで、こっち見ねぇの?」
そう言って、ふわっと両手で包まれ、優しく上げられた顔。
「……っ!」
飛び跳ねる心臓。
……顔に触れる、その体温が、熱い。
何事かと思った。
あの頃よりも一層大人になった彼。
……分かっていた。
彼と視線を1度合わせてしまうと、もう二度と逸らすことができないと。
本能的にそう感じていたから、彼を昨日直視する事ができなかった。避けないといけない、と感じていたから。
「……久しぶり」
無言が続く空間の中、彼が先に口を開いた。
それだけで、心臓が再び暴れだす。
「……せん、せい……」
私の目の前には、"先生"がいた。
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