第5話 AVの話をしましょう 前編
放課後になったので、俺は颯爽と帰宅することにした。
清美は友達に誘われ、部活見学をしているらしかった。ありがたいことに、部活への所属は義務ではないので、俺は帰宅部に入部することを早々に決めていた。
部活なんてクローズドな空間にわざわざ身を置くなんて、考えただけでもぞっとするぜ。帰宅部のエースに、俺はなる!
「しーもーださんっ」
教室を出て昇降口に向かおうとした足を、軽快な声が引き留めた。
声の主は、とんっと俺の前に軽やかに着地し、俺の顔を下から覗き込んだ。
うぉおおおおお可愛いっ!? 危うく心臓が止まるところだったぜ!
どちら様かは存じませんが、その動きはすごくあざとくて可愛いと思います!
荒ぶる心臓とは裏腹に、しかし冷静な思考が脳内で手を挙げる。
「もう帰るんですかー?」
…………この子、誰だ?
俺の名前を知っているということは、クラスメイトではあるんだろうな。
しかしクラスメイトっつっても、四十人もいるからなあ……名前と顔なんて当然一致していない。
「おやおやー? その表情、さては『こいつ誰だ? クラスメイトっぽいけど記憶にないなあ』と思っていますね?」
すげえな大当たりだ。
隠す必要もなさそうなので、素直に頷く。
「ごめんな。人の名前覚えるの、あんまり得意じゃなくてさ」
「いえいえ、お気になさらず。むしろ私の思っていた通りの反応で、安心したくらいですよー」
安心? 変な反応だな。
ふつう名前を憶えられてなかったら、いい気はしないと思うけど。
「ではでは、改めて自己紹介をば」
少女は片目をつぶり、人差し指を立てながら軽やかに名乗った。
うっ……可愛いっ……。
なんだろうなあ。さっきからこの子の仕草を見るたびに心臓が苦しいんだよなあ。もしかして過剰に摂取すると体に悪い何かなのかもしれん。
「
いや、多分それはないな。
だって誰が一番なのか知らないし。
「チャームポイントはこちらのサイドテール。右で結ぶか左で結ぶか、上で結ぶか下で結ぶか、結び目の位置はその日の気分で変わりますが、まあ特に深い意味はありません。朝のニュース番組の最後にくっついてる星占いみたいなものだと思ってください」
なにそれすごい。
サイドテールの位置でその日の運勢占ってんの?
「因みに敬語で喋ってるのにもそんなに深い理由はありません。実は飛び級をしてきた天才少女だった! みたいな隠れ設定はありませんので悪しからず。単に気分でそうしてるだけなのです」
ふうん。まあ、丁寧に喋るっていうのは悪いことじゃないよな。
変な角も立たないしさ。
「趣味はお料理! と言いたいところですが、こちらはまだまだ修行中。無難に読書としておきます。好きな食べ物は卵料理。嫌いな食べ物は特にありません。なんでも美味しそうに食べると友達からは評判です。どんなお店でもご一緒しますよ」
ご飯を美味しそうに食べる子っていうのは、男女問わず見ていて気持ちがいいよな。全然知らない人が料理を食べる動画とか、俺は結構好きだよ。
「恋愛的にはあんまり束縛しないタイプだと思います。お互い自由な時間があった方が、結果的には長く一緒にいられると思いませんか? 濃い味の料理は最初のうちは美味しいですが、すぐに飽きてしまいますからね。薄味の方が私好みです。志茂田さんはどうですか?」
「まあ、俺もあんまり濃いのは苦手かな」
「あはっ、感性が同じで嬉しいです!」
そう言うと安里さんは嬉しそうに両手を合わせた。
右側に結んだサイドテールが、彼女の感情を示すようにぴょこんと跳ねる。かわいい。
なるほど、なんかいい子そうだ。
表情はころころ変わって面白いし、ちょっと大げさすぎるくらいの身振り手振りも、彼女がやるとなんだかコミカルで可愛らしい。
きっとクラスでも友達がたくさんいて、これからクラスの行事を仕切ったり、盛り立てたりする子なんだろうな。記憶にないけど。
「さあ志茂田さん、ここまでで何か質問はありますか?」
「そうだな。自己紹介に関しては特にないけど――」
「えー、ないんですか? もっと色々聞いてくれてもいいんですよ? 家族構成とかー、将来の夢とかー、スリーサイズとか」
なにっ!? 聞いたら教えてくれるのか!?
なかなかにボリュームのありそうな胸に、思わず目が吸い寄せられる。
清美と同じ……いや、まさかそれ以上か……?
くっ、俺としたことが、こんなに驚異な胸囲の持ち主を把握していなかったなんて……っ!
「おやおやあ? どうやら興味がおありのようですねー? もー、そうならそうとちゃんと言ってくれればいいのに。聞いてもらえれば、ちゃーんと答えますよ。減るもんじゃないですからね。上から――」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った!」
あぁああああやべえ止めちまった! 俺のバカ! せめてバストサイズくらいは聞いてから止めろよ!
あんまりにもためらいがなかったから、逆にこっちが慌てちゃったぜ……。
ま、まあ初対面でいきなりスリーサイズを聞くっていうのは、紳士的じゃないよな、うん。
「はい、なんでしょう?」
きょとんと首を傾げると、サイドテールもふわんと落ちた。
犬の尻尾みたいでかわいい。触ったら怒られるかな。
たぶん殺されるな、社会的に。俺はそういうのに敏感なんだ。
「なんていうかさ、もっとこう、根本的な質問なんだけど……俺に何か用?」
清美とは別ベクトルの、控えめに言ってもとても可愛らしい容姿をした女子生徒。明るく活発、誰にでも好かれそうな、いわゆるクラスを引っ張っていく側の存在。
そんな彼女が、どうして俺なんかに話しかけてきたんだろう?
「おっと、もうそれを聞いちゃいますか? さては志茂田さん、結論から話し始めるタイプですね? うんうん、理知的でいいですねえ」
というか、それ以外に気になることはないだけなんだけどな……。
「えっと、安里さんは――」
「れ、あ」
「え?」
見ると安里さんは、不満げに唇を尖らせていた。
「玲愛です。苗字はあんまり好きじゃないのです。あざと、だなんて。まるで私があざとい女の子みたいじゃないですか」
「自覚がおありで」
「何か言いました?」
「ナンデモナイデス」
含みのある笑顔に気圧されて意見をひっこめる俺。
でもね、あなたは結構あざといと思いますよ。今だってその両手を腰に当てて片頬を膨らませる仕草、童貞だったら死んでますよ。あ、俺童貞だったわ! 死のう!
「えーっと。じゃあ、玲愛……さんは」
「ふむ。良しとしましょう」
良しとされた。
「俺と何か、話したいことでもあるの?」
「まさに仰る通りです! では自己紹介もすみましたし、そろそろ本題に入りましょうか」
玲愛さんはくるりと人差し指を回し、サイドテールをかき混ぜた。
「あなたは気付いていないかもしれませんが、入学してからの二カ月間、私はずっと志茂田さんを見ていました」
「ず、ずっと?」
「はい、ずっとです」
「それは俺に似ている観葉植物か何かではなく?」
「そんなことあるわけないですよね?」
「ごめんなさい続けてください」
ちょいちょい凄みのあるオーラ出すよなこの子……。
しかし……全然気が付かなかったな。
俺の観察なんかしても面白いことがあるとは思えないけどなあ。
毎日アリの巣を観察してた方が何かしらの発見があるんじゃないか?
「とにかく、二カ月にわたる調査の結果、私は確信したのです。あなたが、あなたこそが、私の理想の男性だと!」
「理想の、男性……?」
「そうです!」
「ちょ、ちょっと待って。理解が追い付かない」
「いいえ、待ちませんとも!」
元気よく俺の意見を却下して。
そして玲愛さんは満面の笑みで言った。
「志茂田さん、私と付き合ってください!」
……。
…………。
………………はい?
俺と、付き合う?
この子、いきなり何言ってんの?
「その、これって――」
「因みにこれは、罰ゲームでもなければ、人違いでもなく、ましてや『買い物に付き合ってー』などの意味でもありません。私が、私の意志で、あなたと恋人になりたいと、そう進言しているのです」
「例えば――」
「お試しで付き合って欲しいというわけでもなければ、彼氏のフリをしてください! というわけでもありません。少なくとも高校三年間はお付き合いしていたいと思っていますし、相性が良ければその後も関係が続けばいいなと思っています。あんだーすたん?」
やべえ、全部先回りして解答された。
「えーっと……」
「ダメでしょうか? 自分で言うのもなんですが、見た目はそんなに悪くないと思いますよ。彼女にしても恥ずかしくない立ち振る舞いをできると思います。彼女にするメリットは、それなりにあるかと」
悪いどころか、エクセレントだ。
清美が究極の美人系だとすれば、玲愛さんは究極の可愛い系。
下種な話、クラスの男子で人気投票をすれば、票は半々に分かれるのではないかと思う。これまで彼女の存在を認識していなかったのが不思議なくらいだ。
告白されれば誰もが喜び踊るだろう。
俺だって嬉しくないと言えば嘘になる。
だけど……それ以上に腑に落ちないんだよな。
なんで俺なんだ?
そんな疑問を抱く俺に、玲愛さんは重ねて言う。
「ああ、それと。一つだけ言っておきたいことがあるんです。私は――」
しかし、玲愛さんが何かを言い終わる前に――
「征一君、ちょっと来て」
「き、清美⁉ お前なんでここに――」
唐突に現れた清美に手を引っ張られ、その場から引き離された。
玲愛さんの姿はあっという間に視界から消え、俺はされるがままに清美の後を追う。
振りほどこうかとも思ったけれど、意外と清美力が強くて、簡単には振りほどけなさそうだった。
無理をすれば何とかなるかもしれないが、痛い思いをさせるのも本意じゃない。
そんなわけでろくに抵抗することもなく、清美と一緒に校内を速足で駆け抜けたのだが――
「清美! いい加減俺の話を――」
ちっとも呼びかけに答えてくれない清美の後ろ姿に、俺はふと気付いた。
もしかしてこいつ……俺が告白されたのを見て動揺してるんじゃないか?
俺と清美は長い付き合いだ。
中学校の頃は離れていたとはいえ、母親の腕に抱かれていた頃から互いのことを知っていたのだ。もはや家族同然の間柄と言っていい。
よし、ここはひとつ、俺も想像してみるとしよう。
例えば清美がクラスの男子に告白されているところを目撃したとしてうわぁあああぁあああなんだこれ!? すっげーいやだ! めちゃくちゃ嫌だ!!
嫉妬とかやきもちとかそういう類の感情じゃなくて、もっともっと複雑な……そう、姉さんに彼氏が出来たのを想像した感情に似ている。
まったくお呼びじゃないだろうし、何を言う権利もないんだけど一言モノ申したくなるような……そういうモヤモヤ感。
もし清美も同じ気持ちなのだとしたら――
「
人気のない階段の踊り場。
ようやく俺の手を離し、こちらに振り向いた清美は、真剣な表情で俺の名を呼んだ。
瞬間、確信する。
……ああ、やっぱりそうなんだな、清美。
なんだよ。そうならそうと、ちゃんと言ってくれればいいのにさ。
まったくこんなに強引に連れ出したりして、取り乱したりして……。
可愛いところ、あるじゃないか。
「大切な話があるの。こんな時に言うのも、どうかとは思うのだけれど……」
「構わないさ。俺とお前の仲だろ?」
大丈夫、お前の気持ちは分かってる。
ちゃんと聞くから、安心してくれ。
お前の言葉を茶化さず、逸らさず、真正面から受け止めるよ。
覚悟を決めて、清美を見つめる。
清美は、そんな俺の視線を受けて少し瞳を泳がせて。
口を二、三度ぱくぱくと動かして。
「そう。じゃあ遠慮なく」
やがて意を決した表情で――言った。
「アダルトビデオの話をしましょう」
「なあ。それ、ほんとに俺が告白されたことより大事な話?」
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