17話 悪魔
王宮に戻ると、すぐに手を洗った。手が冷たくなり、真っ赤になるまで洗うと十分だと言うように頷いた。
そして、黒いトランクから使い捨て手袋を取り出す。劇薬作りをする時には必ず使用するのだが、劇薬を使わない時でも持ち歩いている。ローブの内ポケットから煙の入った瓶3個と、ガラスを取り出す。
ローブは脱がずに着たまま作業をする。
机の上に布を広げ、瓶とガラスを置く。まずはガラスから鑑定をする。
右手の上にガラスを乗せて、鑑定魔法を使用するだけ。頭に流れてくるガラスに付着した薬の成分。いくつもの効果がある薬が入っていたことから、別の薬が入っていたことが分かる。
(本来なら失敗する薬の成分がいくつも入っているということは、錠剤と液体の2種類が入っていたのね)
劇薬が入っていたわけではないが、手が爛れることはないだろう。
一度錠剤を入れて、無くなったら別の錠剤を入れ、さらに空瓶ということで液体の薬を入れたのだろう。それも何度も繰り返したのだろう。他にも汚れていた瓶が多くあった。それら全てが使い回しされていた可能性が高い。
「薬師として最悪ね」
劇薬が含まれていないことが分かり、ガラスを布の上に置くと手袋を脱いだ。それを机の上に置くと、引き出しから1枚の紙とペンを取り出して、鑑定結果を書き記す。それと製薬所内の状態も書き記しておく。たとえ薬師ではなくとも、見ればあの汚れ具合は異常だと感じるだろう。
軽く咳をしてから、次は煙の入った瓶を1個手に取った。紫の煙が出ていた原因は分かっている。ただ、どのような成分が含まれているのかを確認するのだ。
右手に乗せて鑑定魔法を使う。頭に流れてくる成分に、ホミカの口からはため息が零れた。
(これだけの薬草を詰め込んでいたら、紫の煙が出るなんて考えつくことじゃない)
瓶を机の上に置いて、引き出しからもう1枚紙を取り出した。薬草の名前、効果などを書き記す。含まれている薬の種類は10種類以上。混ぜてはいけない薬草も数種類含まれている。
一度混ぜてはいけない薬草だと分かれば、もう二度と混ぜようなんて考えはしないだろう。失敗すれば、紫の煙が出る。その煙が有害だからだ。
「ありえないわね。やっぱり人間の考えることね」
机に乗り、書き記された薬草の種類を見てレニーが呆れながら言った。混ぜてはいけないと分かっていながら混ぜて、新薬を作ろうとする。
それで新薬ができないわけではないだろう。ただ、できるとしても劇薬だ。
人間は変わることなく、残酷な生き物ねと苦笑するレニーはどこか悲しそうにも見える。
そんなレニーを見て、ホミカは声をかけようとした。しかし、突然乱暴に開いた扉の音に驚いて声が出なかった。
扉を見ると、そこにいたのはガルフレッドだった。毛を逆立てて、右手で刀の柄に触れている。足で扉を閉めると口を開いた。
「やっぱり普通の猫じゃなかったか。片目が青いからもしかすると、と思っていたが赤目はやはり悪魔だ。ホミカから離れろ!」
人の言葉を話す普通の猫はいない。そして、赤い目は悪魔以外存在していない。
刀の柄を握りながら、ゆっくりと近づいてくるガルフレッドを見て、ホミカは慌ててレニーを抱き上げた。そうすることによって、攻撃してこないことが分かっているからだ。
「離れるんだ、ホミカ。悪魔は殺さなくてはいけない」
「嫌よ。レニーは家族だもの」
目の前で家族を殺されるのは嫌である。家族でなくても、一度関わった人物が殺されるのは嫌だ。
たとえそれが悪魔でも同じだ。悪魔と契約することが、禁忌だということはホミカだって知っている。それでも、自分が生きて病にかかった人を治すには契約する以外は考えられなかったのだ。
刀の柄を握る手に一度力を入れたガルフレッドは、レニーをおろそうとしないホミカを見てゆっくりと手を離してため息を吐いた。
「少し、話し合いをしないかしら?」
ホミカの腕の中にいるレニーが、ガルフレッドに問いかけた。
悪魔だから殺さなくてはいけないというのなら、ガルフレッドの力であればホミカからレニーを奪うことができる。しかし、それをしないということは何か思うことがあるのだろう。
だから話し合いができるだろうと考えて、レニーは問いかけたのだ。部屋に入って来て扉を閉めたことからも、騒ぎを起こすつもりはないのだろう。ガルフレッドは少し考えてから乱暴に頭をかくと、椅子に座り足を組んだ。ホミカはもしものことを考えて、距離をとるためにベッドに座ることにした。
激昂するようなことがあった場合、レニーを守りきる自信がなかったのだ。離れた場所に座っていれば、自分の体で守ることもできる。
「それで、いつから普通の猫じゃないと思っていたの?」
ホミカの問いかけにガルフレッドは「はじめて見た時」と答えた。しかし片目が青かったため、もしかしたら悪魔ではない可能性もあると考えたようだ。
だからレニーをはじめて見た時、目を細めたのだろう。
「ホミカは本当に契約者なのか?」
「どうして?」
椅子をホミカに向けて座り直し、問いかけるガルフレッドにホミカは首を傾げた。ホミカは悪魔であるレニーと契約しているものだと思っていた。だからレニーは、一緒にいてくれているのだと考えていた。
それなのに、ガルフレッドは不思議そうな顔をしている。
「一度だけ、悪魔と契約した人に会ったことがある。そいつとホミカの匂いが違う」
「匂いが違うなんて当たり前でしょう?」
1人1人匂いが違うのは当たり前だ。それなのに、以前会った契約者と匂いが違うと言う。
ホミカの言葉に、ガルフレッドは首を横に振った。
「契約者は悪魔と同じ匂いがするんだ。それなのに、ホミカからはその匂いがしない」
それはどういうことか。レニーと契約しているのなら、同じ匂いのはずだ。獣人であるガルフレッド以外は気がつくことはない匂い。
2人は何も言わずにレニーへと視線を向けた。理由を知っているのはレニーだ。本人に聞くのが一番だろう。
「分かりきっていることじゃない。契約なんてしていないのよ」
「それなら、どうしてホミカといる。一緒にいる理由はないだろう」
「私は、この子を私と同じように悲しい思いをさせたくないだけ。何度も死んでいくホミカには、いい加減幸せになってもらいたいだけよ」
「レニー……」
レニーの言葉の意味がガルフレッドには分からなかったが、ホミカに幸せになってもらいたいだけなのだということは理解出来た。
しかし、どうしても気になる言葉があった。ガルフレッドが尋ねて答えてくれるのかは分からない。けれど、知りたかったのだ。
「何度も死んでいくってどういうことだ?」
「それは、私も少し疑問に思ったの。何度もってどういうこと?」
ホミカの記憶では、死んだのは一度だけだ。それなのにレニーは『何度も』と言った。初めて会った時の話しから、レニーと契約したこともあったようだが、自分が覚えていない他の記憶は1つくらいだとしか思っていなかった。
しかし、それ以上あるような話し方をする。できることなら、それを知りたかった。
「初めて貴方を知ったのは、処刑された日。貴方は皆を助けたいと強く願った。だから、その願いを叶えてみようと気まぐれに思ったの」
最初はただの気まぐれだったようだ。しかし、気まぐれに同じ人生をやり直しさせてもホミカは必ず処刑された。
処刑された理由は様々だった。病はホミカがばらまいた。そして、自分が作った薬だけで治せるのだと偽り、薬を提供した。技術向上のために病をばらまいたなど。
そのどれも嘘であり、真実は王都であるレヴェナにあった。
ホミカが最初に処刑された頃、王都からホミカを尋ねてくる騎士はいなかった。だから、最初は王都から病が広がっていったことすら知らなかったのだ。
しかし、何度もやり直しをしていると、未来が変わっていった。王都から騎士が来るようになったのだ。それが、ホミカの記憶にある無愛想な騎士。ホミカの覚えている記憶は、何度もやり直しを繰り返したことによって混ざってしまっていたのだ。
王都へ呼ばれてからも、ホミカの処刑は回避されることはなかった。病をばらまいた本人だと疑われ、処刑される。何度も処刑されるホミカを見て、いつしかレニーは「この子を幸せにしてあげたい」と思うようになった。
その頃から、レニーの左目が青色に戻ったのだという。人間としての感情が戻ったためだと言う。
「それじゃあ、レニーはレニー・シングヘルリオなのね」
「ええ。私は恨んで、悪魔になった。でも、ホミカは違った。恨んで悪魔にならず、助けたいと願った。私とは違って」
そうして、契約して助言をすれば助かるのではないかと考えたのだと言う。
悪魔と契約するには、代償がある。レニーと契約した時の代償は、『ホミカが死ぬ時は、従者の悪魔にする』というものだった。
だが、助言していた姿を見られたことにより、悪魔と契約しているということがばれてしまい処刑されてしまったのだ。それでも、レニーは契約内容を破棄してまでもホミカを幸せにするために何度もやり直しをさせた。契約したのはたったの一度だけだった。
それからは、あまり近寄ることはなかった。手助けをする時は助言をするのではなく、ただの猫として邪魔をしたのだという。その行動で何度も処刑される運命を回避することはできた。それでも、処刑されてしまうことは何度もあった。
何度繰り返したのかはレニーすらも覚えていないのだという。それだけ何度もホミカを助けて来たのだ。
「何度も助けてくれていたのね。それなのに、覚えていなくてごめんね」
「覚えていなくて当然よ。何度も処刑されたことを覚えていたら気が狂って壊れてしまうもの」
頭を撫でて言うと、レニーは頭を手に押しつけながら告げた。普通の人間であれば、自分が処刑された光景を覚えていれば気が狂ってしまうだろう。それを避けるために、脳が記憶を抹消したのか。それとも、ホミカ自身が処刑される前に戻っていることから記憶も巻き戻っているのか。
たとえそうだとするなら、一度も処刑されたことを覚えているはずがないのだ。多くの記憶があったため、それらが同じ日の出来事ということもあり、脳が勝手に1つにまとめてしまった可能性があった。気が狂って壊れてしまうことを避けた結果から、脳がそのような働きをしたのかもしれない。
「それで、私をどうする?」
話し終えて、レニーが黙って話しを聞いていたガルフレッドに問いかけた。悪魔だから殺すと言うのなら、話を聞いても結果は変わらないだろう。
しかし、ガルフレッドは首を横に振った。
「どうもしない。悪さをしないのなら、それでいい」
悪魔だが、ホミカに悪影響がないのなら放っておくことにしたようだ。しかし、小さく「今までホミカを助けてきた奴を殺せるか」と呟いた声はホミカに聞こえていた。
「ま、ヒューバート陛下が黙っているからってのもあるんだがな」
「どういうこと?」
「はじめて会った時に言っていただろう。『できればその子とは一緒にいてほしい』って」
ヒューバートは考えてからその言葉を口にしていた。どうやら、レニーが悪魔だということにその時すでに気がついていたようだ。
契約していないということまでは分からなかったかもしれないが、レニーを警戒していたことだけは分かる。ヒューバートからの命令がないのなら、冷静になった今、どうこうするつもりはないのだ。
「それで、何か分かったのか?」
机の上に乗っている煙の入った瓶と、割れたガラスを見てから問いかける。本当は、それを聞きに来たのだろう。だが、部屋に入る前にレニーの話す声が聞こえて話題が変わってしまったようだ。
「もちろん。割れた瓶の中に入っていたものも、煙も分かったわよ」
ベッドから立ち上がり、机の上の紙を手に取るとガルフレッドに渡した。それに書かれていることを目にして、眉間に皺を寄せた。薬師ではないガルフレッドにも分かるような内容だったのだ。
その時扉の外で僅かに音がしたが、誰かが通っただけだろうと誰も気にすることはなかった。
「これから、薬を作るわ。きっと治せると思うの」
「そうか」
安心したように笑みを浮かべたガルフレッドに、ホミカは頷いた。そして、黒いトランクから白い錠剤が入った瓶を取り出した。
瓶の中から2錠取り出すと、瓶を机に置いてからガルフレッドに近づいた。1錠をガルフレッドに差し出すと、不思議そうに首を傾げながらも受け取った。
それを見届けてから、ホミカは残りの1錠を自分の口に放り込んだ。水が無くても飲める錠剤だ。仄かに口の中に甘さが広がる。
「今の錠剤は何なんだ?」
ホミカと同じように、錠剤を口に放り込んでからガルフレッドは訪ねた。普通は、口にする前に尋ねるだろう。だが口にしてから尋ねるということは、それだけ信頼しているということなのだ。
「解毒剤よ」
「え……」
いつ毒なんか吸ったのだろうと思ったのだろう。何も知らなければ、ホミカもそう思っていた。
だがホミカは毒が何処にあったのかも分かっていたし、毒を吸ったことによって咳をしていたということもすぐに気がついた。
「あの紫の煙って、薬作りに失敗した時に発生する毒なの。本来は一瞬で消えるから害はないもの。でも、今はずっと煙が出続けている。失敗している状態がずっと続いているのよ。煙が消えないほど長い間。何度も薬草を追加しているんでしょうね」
働いている薬師は、解毒剤を飲んでいるから身体的被害は何もないのだろう。けれど、解毒剤を飲んでいないホミカは煙に近づいて、採取する時に吸い込んでしまっていた。そのため毒の効果が表れて咳が出ていたのだ。
煙を吸い込んでいないといっても、その場にいたガルフレッドも僅かに毒を吸っている。そのため、解毒剤を渡したのだ。初期状態なら、解毒剤で十分治療できるものだとホミカは知っているからだ。
しかし、窓から煙として街中に広がっているであろう毒。それは、薬で治すことは難しい可能性がある。煙には毒以外の成分が含まれていた。初期状態だから解毒剤だけで効果はあるのだが、体内に入って時間が経つと、他の成分が持つ効果が出てくる。そうなると解毒剤だけでは意味がなくなってしまう。
それを治すために、薬を作るのだ。
薬を作る作業に入るホミカと、気がつかずに毒を摂取していたことに驚いているガルフレッド。悪魔であるため毒は効果がないレニーは、2人へと視線を向けてから欠伸をしてベッドで丸くなった。
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