第57話 伊藤さんは剣神の血筋らしい

「伊藤さん、弓を教えてください!」

「ええ、分かっているわ」


 伊藤さんがログインしてくるなり頭を下げるが、伊藤さんもそのつもりだったらしい。


 訓練場に入り、的として安物の剣を岩壁に立てかけると、伊藤さんは弓を引き絞る。放たれた第一矢は十センチほど外れたが、第二矢は見事に剣の柄に命中した。


 その衝撃で剣は壊れはしないものの、派手に飛んで行ってしまう。弓の威力は思った以上に強いようだ。


「的がないのは不便ね」

「一人用だとあるんだけれど、複数人用って基本的に対戦が前提みたいだからね。要望だしてみるか……」


 訓練場に道場がほしい、とぽちぽち打ってから私も弓を構える。


「それ、上下逆さまよ」

「え」

「その先端が尖ってる方が下。トゲトゲが並んでいるのが上」


 なんということだ。そこから間違えていたのか。反転させて持ち直すと、さらに構え方に対しての指導が入る。


 曰く、弓の形からすると矢は弓の左側に番えるのが正解。しっかり顎を引いて胸を張る。弓を握る左手の人差し指を立てるのは握力が落ちるから止めた方が良い。

 基本的に指摘は上半身ばかりで、足に関しては特に指摘は無い。


「弓を構えたまま走り回ることもあるのに、決まった形なんてないわ。ジャンプしながらつことだってあるんだから、大切なのは上半身を安定させること」


 ジャンプしながらは極端にせよ、砂地や泥沼など足下が不安定なところで扱えないと話にならないのはどんな武器でも同じということだ。


 実際、第四階層のリザードマンの弓部隊は泥濘ぬかるみのひどい湿地帯に現れる。


「足で気を付けることといったら、ったあとはすぐに移動するのが前提よ。ボーっと立っていたら反撃されるに決まっているでしょう?」


 そりゃそうだ。弓道やアーチェリー競技では的が反撃してくることはないが、敵の射手は反撃してくるのだからそれに対処しなければならない。


 いろいろと指導を受けながら矢を射ってみると、ちゃんと前に飛ぶようになった。いや、本当に前に飛んでいかないんだって!


 矢筒の中身がなくなると、回収しなければならない。個人訓練では、放った矢は時間が経つと自動的に回収されていたのだが、対人訓練だとそれはないようだ。


 やはり、初心者向けに対戦形式ではない道場はあった方が良いんじゃないかと思う。弓の達人なんてほとんどいないだろう。というか、実戦弓術ができる人ってこの世に伊藤さん以外にいるのか?


 岩壁の前に散らばる矢を回収していると、ツバキが訓練場に入ってきた。


「お、弓の練習か」

「矢が前に飛んで行かないのは困るからね」

「あそこまで酷いとは思わなかったわ」


 わたしも思わなかったよ! 的の真ん中に命中はさせられるとは思ってはいなかったが、前に飛んで行かないのは想定外だ。


 早速弓を構えるツバキは、わたしと同じ過ちを犯している。


「それ、上下逆。どうしてなのかしら? そう持ちたいものかしら?」


 ツバキは恥ずかしそうに弓を持ち直して再び構えるが、やはり、わたしと同じ過ちばかりだ。


「それでちょっとバックステップしてみて」


 わたしが言うとツバキは一歩後ろに退がり、矢を誤射した。


「ちょっとまて、初心者に要求しすぎだろ」

「持ち方がダメだとそうなるってこと。指は立てない、顎を引く、矢を引く手はまっすぐ。全部わたしも指摘されたんだけどね」


 ひとつずつ姿勢を見直しているとヒイラギとセコイアも訓練場にやってきた。



「これで本題に入れるわね」


 なんとか全員が前に矢を射てるようになり、伊藤さんがそう切り出した。そもそも、弓矢の技術は一朝一夕で身につかない。第四階層の手前側のリザードマンを相手に練習を繰り返した方が良いということだ。


 わたしたちが身に付けるべき技術は、矢の回避と防御についてだ。

 伊藤さんはあっさりと剣で矢を弾いていたが、あれは高等技術らしい。いや、言われなくてもそんなに簡単に出来るとは思えないが。


 盾を使って防ぐのが基本だが、至近距離だと簡単に盾ごと貫かれてしまうらしい。


「盾で防げないのか?」

「試してみる?」


 ということで、盾を構えたツバキに伊藤さんが一矢放つと、一撃でツバキのHPの九割以上を失い瀕死状態になってしまった。


「マジ?」

「メチャメチャ強くね?」


 いや、伊藤さんの弓も矢もわたしたちのとは違うからね。たぶん、攻撃力は倍くらいあるよ。貫通力だけなら『剣王の双翼』を上回っているかもしれない。


「剣でも弓矢でも、相手の攻撃を正面から受けようとすると、それなりに手傷を負うことになると思った方が良いわ」


 とにかく、横に受け流すというか、弾き飛ばすようにした方がダメージを減らせるということで、その練習を繰り返すことになった。


 そして、盾を持たない私は身を躱し、剣で弾く練習だ。これはめっちゃ怖いし難しい。特に、剣で矢を弾くとか、どうやったらできるのかが分からない。私の剣は空振りするばかりで全く矢に当たりはしない。伊藤さんが手で投げる矢を払うのが精いっぱいだった。


「ユズって実は運動神経鈍かったりする?」

「そんなことないよ! そりゃあ、どっちかっていうとインドア派だけど、体育の成績は割と良かったんだよ! ツバキもやってみれば良いじゃん。めっちゃ難しいんだから」


 私が鈍いのではなく、軽々とやってみせる伊藤さんがオカシイのだ。そんな手本を見せられたって、簡単に真似できるはずがない。


 ツバキも剣を握ってチャレンジしてみるが、やはり剣は空を切るばかりで、矢は面白いほど命中している。っていうか、伊藤さん、投げるのも上手すぎなんだよ……。なんでそんなに当たるんだろう?


「伊藤さんってどんな練習してるの?」

「弓は中学生のとき以来ね。矢の数に限りがあるし、持ち運ぶ手間を考えたらあまり実戦向きじゃないのよ。石を投げた方が早いことの方が多いし」


 いや、実戦ってなんだよ。いつ、どこで、だれと戦うんだよ。物凄く気になるが、聞くに聞けない。ちょっと怖すぎるでしょ。


「伊藤さんって、あの伊藤芳香の血縁関係とかだったりするのか?」

「伊藤芳香は私の祖母で、師匠よ」


 別に隠すつもりもないようで、ヒイラギの質問に伊藤さんはあっさりとプライベートのことを口にする。彼女は幼い頃から武術の訓練を受けていて、メジャーな武器は一通り使えるらしい。


「やっぱ、伊藤さんも百メートル五秒とかで走れるの?」

「それくらい大したことないわ。今でも祖母は三秒で走るもの」


 ちょっとまて。衝撃的過ぎるだろう。何故、いつの間に記録が更新されているのか。しかも、祖母と言われる年齢でその力を維持しているとかありえないだろう。


 だが、それで合点がいった。伊藤さんはことあるごとに「自分は強くない」と言っていたが、それはその化物みたいな祖母と比較しての話だろう。


「マジで剣神の孫なのかよ」

「なにそれ?」

「あの人はそんな風に呼ばれることもあるみたいね」


 伊藤芳香という人物は、武術系の人たちの間では地球史上最強ということで崇められているらしい。そんな人に鍛えられて育ったのだから、伊藤さんが常識外れに強いのも頷けるというものだ。


「そんな人に無料で教えて貰って良いのかな?」

「仮想世界での訓練はどこまで効果があるのか分からないし、私としても実験的にやっていることだから気にしなくて良いわ」


 伊藤さんがこのゲームに参加しているのは、単なる息抜きという意味もあるが、道場の訓練に仮想世界というのが使えるかという判断もしたいということだった。


「実際の体を動かすわけじゃないからイメージトレーニングとしてしか役に立たないんじゃないかな?」

「あ、でも、教わった歩法とかやってみたりしてるよ? 体が全然動かなくて笑っちゃうけどね」

「へえ、どういうところが?」


 わたしが運動不足解消にと簡単なトレーニングを生身でもやっていると言うと、意外と伊藤さんが食いついてきた。仮想空間ここで覚えた技術が現実に転用できるかは、かなり興味があるらしい。


「あなた、少し勘違いしているわ。それ、大真面目に論文を書ける題材なのよ」


 高度な訓練のすべてを仮想空間で置き換えることはできないのは明白だが、効果が高いことや低いこと、個人差がどれほどあるかなどはこれから研究が進んでいくことになっているらしい。

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