第3話 ご令嬢は剣を握らない

「私の娘――ソフィアは、我々騎士団を敬遠・・している。帝国臣民ならば誰もが敬愛し、その庇護に感謝するであろう騎士を、だよ」


 アメリア・モーニングスター少将――例え幾千万の妖魔ダスクを前にしても憂慮などしないはずの勇者ブレイヴは、憂いに満ちた表情で宙を見ていた。


「これまで、あの子には何人も家庭教師をつけた。数年前に最優秀を取ったばかりの若手騎士から、“師範マスター”の渾名で知られたベテランまで」


 しかし、誰一人として、ソフィア嬢の価値観・・・を変えることはできなかった。


「あの子は頑として譲らないんだ。『自分は“剣”には向いていない、“器”として生きる』とね。戦闘スキルの習得はもちろん、騎士としての修練を積もうともしない。私達騎士の価値観や考え方を、まるで受け入れようとしないんだ」


 あらゆる妖魔ダスクを退けた伝説の勇者が放つ、深い溜息。


「だがわたしは、あの子――ソフィアの才能を信じている。あの子こそが妖魔ダスクどもを滅ぼす真の勇者になるはずだと。そして何より、血を繋ぐだけの“器”などという惨めな人生を、あの子に送ってほしくはない」


 どんな戦績を誇る超人だろうと、やはり人の親か。

 アメリア少将は、伏せていたルビー色の視線を俺に戻した。


「そこで君達のことを思い出したのだよ。“騎士ならぬ騎士アウトサイダーズ”、臣民権を持たぬ異邦人部隊――宵星部隊ヴェスパーズを」


 騎士であって騎士でないもの。民であって民でないもの。

 災害や妖魔ダスクなどによって祖国や郷里を失った者達が、帝国の庇護を求めた結果生まれた独立作戦部隊。


(それが宵星部隊ヴェスパーズ


 俺を育ててくれた部隊であり、同僚という枠を超えて家族のような存在だった。

 たった一人の騎士――“白い鎧の騎士ホワイト・ライダー”によって壊滅させられるまでは。


「カズラ少尉。君は宵星部隊ヴェスパーズの中でも、特に優秀だったそうだね。部下も何人か育てているし――第百十二回の撤退戦で戦傷金章ゴールド・ハートも受けているそうじゃないか」


 今更、騎士時代の功績を讃えられたところで大した感慨もない。

 勲章だって、隊の仲間が命を張って俺を逃してくれた結果に過ぎない。


「なるほど。真っ当な騎士・・・・・・じゃない俺の言う事なら、お嬢様も聞く耳を持ってくれるかもしれない、という訳ですか」

「浅はかだと笑うかい? まあ実際、藁にもすがりたい状況ではあるのでね」


 褒めたと思ったら今度は藁扱いと来た。

 これだから帝国臣民という連中は。


 連中は、異邦の民は人間ではないと思っているのだ。

 俺達がどんな思いで妖魔ダスクと戦い、みんながどんな思いで死んでいったかも知らずに。


 ……俺の表情を察したのだろう。

 アメリア少将は、満足げに頷いてみせた。


「君が、我々のことをどう思っているかは、この際不問としておこう。それこそが・・・・・ソフィアにとって良い刺激になるかもしれないのだから」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 モーニングスター公爵邸、中庭。

 押し迫る妖魔ダスクの脅威から逃れるため、人々が寄り集った結果として生まれた帝都という街において、その広大さは破格と言えた。

 この面積を権利と見るか傲慢の象徴と見るかは、ひとによる。


 特筆すべきは広さだけではない。

 青々とした芝生と生け垣、枝ぶりの良いリンゴの樹。

 静謐すら感じる池は、地下水路を使ってわざわざ水を循環させているという。


 過剰なまでに整えられた庭園の中で。

 池の畔に傾斜の少ない広場を見つけて、俺とソフィア嬢は距離を取って向かい合った。


 手には練習用の木剣。

 刀身はしなりの強い種の幹を束ねた細長い棍で、よほどのことが無ければ怪我はしない。


「まずは軽く、肩慣らしの手合わせと行きましょう。この砂時計が落ち切るまで、あるいはどちらかが降参するまで。いいですね、ソフィア君」

「はい、わたし降参しますっ」

「では次の試合を始めます」

「ぶー! カズラ先生はユーモアが足りませんねっ」


 ……いかに騎士と母親が嫌いか、延々と演説を続けるソフィア嬢を中庭に引っ張り出すのは、かなり骨が折れた。

 最終的には『美容と健康のための運動』とかいうよく分からないお題目まで持ち出した結果、ようやく手合わせにこぎつけたのだ。


(これが普通の生徒だったら、襟首掴んで引きずり出せば済むんだがな)


 かつて俺が宵星部隊ヴェスパーズで訓練を受けたときは、それでもまだ優しいやり方だった。

 というか、訓練を嫌がるような隊員はほとんどいなかった。


 正しくは、いられなかった・・・・・・・、だ――訓練を拒むほど意識が下がった隊員は、次の作戦で死んだ。

 例外はなかった。


(今そんな真似をしたら、殺されるのは俺の方だ)


 家庭教師とは、かくも危険な仕事だったか。


「早く終わりにしましょう、先生っ。わたし、魅了スキルの次は話術の練習相手にもなってほしいんですっ」

「……わかりました。では」


 俺は、左手に持っていた砂時計を逆さにすると、静かに足元へ置いた――


 刹那。


「やーんっ、ソフィア、こわーいっ」


 放り捨てられた木剣が、芝生を転がっていった。

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