超人 ――人類は進化して異次元世界に身を落とす――

ヨーイチロー

聖ラクスター学園高等部

第1話 困惑の入学式

「どうしてそんなに嬉しそうな顔をしてるの?」

 桜並木の下を歩きながら笑顔の絶えない愛美まなみに対し、慧一けいいちは戸惑いながら尋ねる。

「だって、ようやく同じ学校に通えるわけでしょう。慧一は嬉しくないの?」

「嬉しいけど、名門校だし八割の生徒は付属中学から上がってくるわけだから、気を引き締めないと浮いてしまうよ」

「私は慧一と一緒なら、学校の中で仲間外れにされても平気なんだけどな」

 愛美は慧一が許せば、腕を組みかねない勢いで近寄って来る。甘い匂いに気が緩みそうになるのを、理性で堪えて背筋を伸ばして歩く。


 あずま慧一は木崎きざき愛美の家の居候だ。三年前に両親を爆弾テロで亡くし、年老いた祖母しか身寄りがいなかった慧一を、愛美の父正文まさふみが心配して引き取ってくれたのだ。

 計り知れない悲しみと寂しさで元気のない慧一を励まし、前を向けるようにいざなってくれたのが、母を幼くして失った悲しみを持つ一人娘の愛美だった。

 知り合ったときは小学生だった二人だが、悲しみを共有し寂しさを埋め合う三年間で、互いに大事に思う気持ちが成長し、愛おしさへ変わるのは自然の流れだった。


 特に愛美の成長は著しく、可愛さから美しさに急速に変化して、最近は時折大人の女の妖艶さも垣間見せるようになった。そんな愛美を意識して息苦しささえ感じる慧一だが、三年という時間は立派に男として成長させ、愛美の幸せのためなら自己犠牲も厭わぬ感情が芽生えていた。


 正文の計らいで、急速な環境変化は良くないと、小学校の友達と同じ中学校に進学した慧一だが、高校は同じ学校に通いたいと愛美が強く主張したので、二人で名門聖ラクスター学園高等部の編入試験を受け、入学することになった。


 その聖ラクスター学園高等部は、英国の名門「セント・ラクスター・カレッジ」の姉妹校である、「セント・ラクスター・ジャパン・カレッジ(SLJC)」の付属高校で、入学者は学園理念を徹底するために、基本的には中等部しか入学を認めてないが、外部の成績優秀者やスポーツ特待生を中心に、二割程度の途中転入を認めている。

 愛美の父正文がSLJCの心理学の教授で、高等部の理念教育の特別講師を務めていることも、入学にあたっては有利に働いたようだ。

 最も正文は愛美を共学の学校に入れる気はなかったようで、慧一と一緒の学校に通いたいという愛美の説得に負けて、せっかく通わせていた中高一貫の名門女子高からの転入を、渋々認めた経緯がある。


 正門を通り抜けると、SLJCの広大なキャンパスが拡がる。野球とサッカーが同時にできる広いグランドの向かいに、まず中等部の校舎があり、その隣が高等部の校舎となる。

 入学式はグランドに併設された体育館で行われる。先に開始された中等部の入学式が今しがた終わったようで、式に参加した父兄の一団とすれ違う。どの父兄も喜びに溢れた顔をしており、その姿を見ていると、慧一は少しだけ寂しさを覚えた。


 慧一の変化に愛美が気づいて、制服の袖をぎゅっと握る。

「大丈夫」

 心配そうにのぞき込む愛美の顔を見て、この女性ひとに心配をかけてはいけないと気を取り直す。

「大丈夫だよ。さあ行こう」

 二人は再び体育館目指して、力強く歩き始めた。


 体育館では、既に半数以上の生徒が集まっていた。聖ラクスターの理念教育をたっぷりとたたき込まれているだけあって、一糸乱れず整列している。並んで待っている間も、私語一つすることなく整然と待つ姿は、昨日までは中学生とはとても思えなかった。


 慧一と愛美も周囲に倣って、自然体ですっと立つ。二人の上品な佇まいは、展覧会に出品された一枚の絵画を思わせ、目にする者に感嘆の溜息をつかせた。

 慧一は横に立った逞しい体格の男が、人懐こい笑顔を自分に向けていることに気づき、笑顔を送り返した。その男は慧一が自分に気づいたことを知り、満足した表情で前を向いた。


 式は学園長に続き、SLJC理事長が祝辞を述べた後で、中等部首席の真咲忍まさきしのぶが新入生代表の宣誓を行った。忍は眼鏡の似合う細面の美人で、その良く響く澄んだ声と正しい日本語の発音は、新入生代表の宣誓に相応しいものだった。


 閉会の辞が宣言され、式が終わるとすぐに、生徒自治会からの学園案内が始まった。

 壇上には自治会執行メンバーとなる五人が上がり、代表して会長の安西亨あんざいとおるが話し始めた。


「中等部の皆さん、高等部へようこそ。皆さんと一緒に新たな学生生活を送れる日を、首を長くして待っていました。そして新たに聖ラクスター学園に転入されてきた皆さん、規律の厳しい学園なので、戸惑うことも多いでしょうが、実りある学生生活を我々と共に送りましょう」

 安西は一息ついて首を振り目に掛かった前髪をかきあげる。慧一はその動作がどうにも気に成り、邪魔ならば切ればいいのにと思った。


「さて、聖ラクスター学園は自主性を重んじる校風から、我々自治会にかなり大きな権限を振っています。例えば各クラブに対する活動予算の割り振りなども、自治会が決定しています。活動の主体はこの壇上にいる執行部で行いますが、現在執行部は四人が三年生で、二年生は一人しかいません。伝統の継承を考えると、今年はぜひ一年生から空きポストに成っている副会長を、迎えたいと考えています。これから長いお付き合いとなりますが、よろしくお願いします」


 慧一は壇上を降りる五人の中で、一人猛々しい気を発している男に気づき、その顔を危険な男として脳裏に焼き付けた。


 入学式が終了した。今日は公式の予定としてはこれで終わりだが、校舎内やクラブ活動を見学することは許されている。

 体育館の外に出たところで、読みかけの本があったことを思い出し、隣の愛美を見る。

「今日は家に帰って本の続きを読もうと思うが、愛美はどうする?」

「もちろん、慧一と一緒に帰ります」

 愛美は聞かなくても分かってるでしょうと、言わんばかりに即答した。


 元来た道を戻りかけたとき、入学式で慧一の隣に立っていた男が追いかけてきた。

「おーい、挨拶だけさせてくれ」

 その男は慧一たちの傍まで来ると、大きく息を吸って呼吸を整えた。

「俺は上条康太。コータと呼んでくれ。ラグビー特対の転入生だ。あんたたちも転入生だろう。中等部から来た奴らとは雰囲気が違うもんな」

 コータは開けっ広げで爽やかな男だった。さすがにラグビー特対というだけあって、体格は逞しく、胸板と腰回りは慧一の倍はありそうだった。

「ああ、よろしく。俺は東慧一、隣にいるのは木崎愛美だ。どちらも学力試験による転入生だ。俺のことは慧一と呼んでくれ」

「私は愛美でいいわ」

「そうか、試験で入るのは、毎年二、三名しかいないと聞いている。慧一たちはおそろしく頭がいいんだな」

「それはそうよ。私はともかく、慧一は高校入試用の全国模試で一位なんだから」

 そういう愛美も実はベストテンから外れたことはない。それでも基準点数が取れなければ、落ちてしまうのが聖ラクスター学園の入試だった。


「あなたが東慧一君だったのね」

 いつの間にか近くに、宣誓をした真咲忍が友達と一緒に来ていた。

「私が力試しで受けた全国模試でトップを阻んだのが、あなただったのね。ライバルが同じ学校になって嬉しいわ。私のことは忍と呼んで」

 忍は握手を求めてきた。忍の白い手は細くてしっとりとしていた。

「私は中等部時代の忍のライバルで蒼井蘭あおいらん、私のことはランコと呼んで」

 ランコも握手を求めてきた。ランコの手は肉厚があって柔らかだった。

「お互い、いいライバルであり、友達に成れそうだな」

 慧一が笑顔を見せると、愛美は少し複雑な顔をした。


 さあ、帰ろうと、愛美に声をかけたとき、二人の前に別の集団が現れた。

「木崎教授のお嬢さんの愛美さんですね」

 近づいて来たのは自治会メンバーで、声を掛けたのは会長の安西だった。慧一が気に成った男もその中にいた。

「はい、木崎愛美です。よろしくお願いします」

「私たち、自治会のメンバーを紹介します。私の隣の女性が副会長の森永美智留もりながみちる、三年です」

「よろしくね」

 美智留はまるで女王様のように顎を突き出し胸を張った。

「その隣が書記の須山眞喜雄すやままきお、同じく三年」

「須山です」

 須山は丁寧にお辞儀したが、策士らしい目をしていた。

「須山の隣が有坂麗ありさかれい、唯一の二年生だ」

「麗です。お友達になりましょう」

 アイドルタイプの可愛い顔だが、学生らしくない濃い化粧だった。

「そして、最後が自治会別動隊隊長の兵頭陽仁ひょうどうはるとです。彼も三年生」

 陽仁は紹介されても無言で慧一を見ていた。


「あっ、よろしくお願いします。私の隣にいるのが、同じ入試で転入した東慧一です。全国模試でトップの常連です」

「そうですか、よろしく」

 安西は慧一の方を見向きもしなかった。

「ところで木崎さん、副会長として自治会に入りませんか」

 予想もしない要請に愛美は驚いて首を振った。

「私なんかより、慧一とか忍の方がいいと思います」

「いえ、私たちは木崎教授のお嬢さんであるあなたに、自治会メンバーに加わって欲しいと思っています」

 安西は譲らなかった。

「今の自治会はうさん臭くて、頼まれても入る気しないわね。愛美も嫌だったらはっきり伝えた方がいいわよ」

 忍が冷たい眼で安西を見ている。

 兵頭が殺気を放って、忍に攻撃しようとした。

「あんまり手荒なことしない方がいいんじゃないか」

 兵頭を警戒してスタンバイしていた慧一より先に、コータが忍の前に出て兵頭をけん制した。

 兵頭はコータを一瞥しただけで、躊躇することなく攻撃を開始した。身体から白い物体が分離して頭上迄登り、モリのような形に成るや否や、コータもろとも忍を貫かんと前方に向かって一直線に伸びた。

 コータも身体から薄紅色の物体を分離させ盾の形にしたが、兵頭のモリの前にあっけなく貫かれた。コータが身体を貫かれると誰もが思った瞬間、慧一の身体から放たれた黒い蛇がモリに絡みついてその動きを止めた。


「こしゃくな」

 初めて兵頭が言葉を発し、身体から更に四つの白い物体を分離させ、モリの形に変えて慧一めがけて発射しようとした。

「いい加減にしろ」

 低くて分厚い声が兵頭の背後から響き、二メートルはありそうな巨漢が現れた。その男は兵頭の肩を掴み、動きを封じた。

「古賀先輩!」

 コータが嬉しそうに声をあげる。

 古賀と呼ばれた男が、安西に向かって言った。

「この狂犬の扱いをちゃんとしてくれないと困るな」

 兵頭は肩を掴まれた手を振りほどこうとするが、びくともしなかった。

「分かった。私は本来争いは好きではない。兵頭、ファントムを収めろ」

 安西の指示を聞き、兵頭がモリを消したので、古賀が手を離した。

「愛美さん、今日はこれで引くが、私は諦めたわけではない。自治会入りを考えておいて欲しい」


 安西たちが去るのを見届けて、古賀が慧一の前に立った。

――何という圧力だ。この人が本気で暴れたら、誰も止められないだろう。

 慧一の思いを知ってか知らずか、古賀は大きな身体を縮めるようにして、新入生たちに深く頭を下げた。

「新入生の前で上級生がとんだ失態を見せてしまった。本当に申し訳ない」

「古賀さん、頭を上げてください。慧一、紹介するよ。この方が昨年我がラグビー部を選手権で優勝させた古賀拓馬こがたくまさんだ」

「高等部転入生の東慧一です。先ほどは争いを止めていただきありがとうございました」

「東、兵頭のファントムを止めた君のファントムは黒かったが、もしかして君はコータと同じ亜種なのか?」

「白いファントムを正当とすれば、私は亜種と言うことになります」

「これは失礼した。学園の常識で話してしまった。結論は歴史が決めるのだったな」

――柔軟な頭脳と素直で真っ直ぐな性格を併せ持つ人だな。こういう人が敵に回ると一番厄介だ。


「あの、先ほどから話しているファントムとか亜種って何のことですか?」

 兵頭、コータ、慧一の三人が見せた超常現象に、驚いて声を失っていた忍が、堪えきれずに説明を求めた。

「ああ、君たち中等部に対する理念教育では、ファントムについては触れてなかったな。明日、木崎教授が高等部の理念教育で説明するので、その話を聞いてくれ」

 古賀は自ら説明することを避けた。捉え方が難しい話だ。木崎教授に任すことは正しい選択だろう。

――明日は、木崎教授の講義があるのか。

 普段家の中では、温和な家長のイメージが強い正文が、公的な場所でどのような顔を見せるのか、想像するだけで楽しくなった。

 慧一の心を表すかのように、春の嵐を思わせる強風が吹いて桜の花びらが宙に舞い、春の柔らかい陽の光を受けてキラキラと輝き、周囲の景色を美しくいろどった。

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