第3話

裕翔くんの記憶の中は太陽の様にぽかぽかと暖かく、居心地が良かった。涙がまた目を潤ませる。


制限時間は一時間。アラームが聞こえたらおしまい。

現実へと呼び戻され、もう二度彼の記憶には入れない。

一人の人間に対し一回しか使用出来ないのだ。



私は大きく息を吸い、ふぅ〜と吐き出す。

必ず彼を取り戻す。

両の手のひらをぎゅっと握り、彼の記憶の中へと入り込んで行った。



始めはくねくねした一本道だった。私の記憶でいっぱいの空間が広がっていて、涙が止まらなかった。彼の記憶を私が埋め尽くしていた事が嬉しい。私はこんな風に彼に映っていたの?こんなにも優しく、可愛いらしく……。



段々と入り組んだ迷路みたいになる。

時々〝苦しい〟〝どうしたらいいか分からない〟など彼の苦しみが頭に響いてくる。裕翔くんは何を苦しんでいたのだろう。それを救わないときっと戻って来てはくれない。

時間がないのに……迷路にもっともっと迷い込んでいく。



「裕翔くんを助けたい……どうしたら抜け出せる?」





「……美乃梨?」




目の前には裕翔くんが立っていた。


思わず駆け寄って力いっぱい抱き締めた。 




「裕翔くん!裕翔くん!」




「美乃梨がどうしているの?ここは僕の……」


「裕翔くんが自殺して意識不明になったの。だからあなたを連れ戻す為に記憶の中に入ってきたんだよ!」


「僕が自殺?記憶の中に?」


「……何を苦しんでいたの?」




「ありがとう」

目の前のあの笑顔にぎゅっと胸が締め付けられる。手を捕まれ、彼がその先へと駆け出す。


「この先に行くのが怖い。でも君に言わなきゃいけない。ずっと悩んでいた事だ。一緒に行こう」





その迷路の先には開かれた空間があった。

地下鉄のホームだ。

老人がホームに倒れているのが見える。電車が停車していて、ホームには人集りができ騒然としている。



私は怖くて目を伏せた。心臓がドクドクと波打って体がぶるぶる震えてくる。

この景色……どうして裕翔くんの記憶の中にあるの?




「三年前君の彼が亡くなった時、僕もこのホームに居たんだ」



「……え?」



「老人がホームに落ちた時、彼よりも近くにいたのに怖くて助けらなかった。そしたら彼が駆け寄ってきて何の躊躇いもなくホームへと飛び降りたんだ。老人をホームへと上げたらすぐに電車が来てしまって……」




裕翔くんがあのホームに?



「美乃梨、ごめん!僕が助けていたら彼は死ななかったかもしれないんだ!僕は怖くて何も出来なかった臆病者。君を幸せにする資格なんてないんだ……」



彼は私の両手を強く握って、顔を伏せて謝り続けている。



「あの事故は誰のせいでもないよ!裕翔くんのせいじゃない。だからそんなに謝らないで」



「僕は本当にイヤな奴だ。君の部屋で彼の事を初めて聞いた時、写真を見てあの時の彼だって知ってびっくりした。でも言えなかった。君に臆病者だって知られなくなかったし、嫌われたくなかった。ずっと黙っててごめん!」



裕翔くんはずっとこの事で苦しんでいたの?私と会う度にあの事故を思い出して、自分を責め続けていたの?




「僕は彼には勝てない。君に相応しくない男だ。だからごめん。君の所には戻れないんだ。彼もきっと許してくれない」



離れて行く手に必死で手を伸ばす。




「裕翔くん、行かないで!もうあなたは彼を超えてるの!とっくに超えてる。あなたとしか私は幸せになれないんだから!」




振り向いた彼の目からは涙がたくさん溢れている。首を横に大きく振りながら彼は口を開く。



「僕が幸せになんて……出来ないよ。彼に比べたら僕なんて……彼がきっと怒ってる」 



「彼はいいよって言ってくれた。だって私たちを巡り合わせてくれたのは彼なんだから!」





「え?」





ピピピピピッ……




一時間のアラームが聞こえてくる。もう時間が来たんだ。

体が消え掛かっていく……

私は最後に彼に向けて叫んだ。




「待ってるから戻ってきて!裕翔くん愛してる」




まだあなたに伝えたい事がある。

必ず戻って来て欲しい。



私の体は眩い光りに包まれ、現実へと戻されていった。

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