マユキソナタ

富士蜜柑

舞雪奏鳴曲

プロローグ

どこかから、ピアノの音がする。

 何の曲を弾いているのかはわからないけれど、流れるようなクラシックの曲を演奏しているのだということだけは、はっきりとわかる。

 弓波弦真ゆみなみげんまは、商店街の中を、音のする方へと吸い寄せられるように歩いていった。

 程なくして、ピアノの音が段々と大きくなってくる。

 ピアノを弾いている誰かのもとに近づいているのだろう、そう思いながら歩いていく。

 先程とは曲調が打って変わり、音のアップダウンが激しい曲に変わる。

 弦真は音のする方へ歩き続けた。


 しばらく歩いていくと、視界にピアノが飛び込んできた。

 ピアノの周りには聴衆が群がっている。

 そんな中、目を凝らしてピアノを演奏している主をみてみると、ピアノを弾いているのは、耳元までかかっているボブカットが特徴的な一人の少女だった。

 少女と言っても、弦真と同じくらいの年齢に見えるので、十五、六歳だろう。

 間近で聞いた彼女の演奏は、遠くで聞いていたよりもはるかに素晴らしいものだった。

 彼女の奏でる音からは、彼女のピアノに対する愛情以外にも、彼女の努力や才能の片鱗が垣間見えるように感じられたのだ。

 商店街に置かれているアップライトピアノを演奏しているのだが、道行く人が、皆足を止めて彼女の演奏に耳を傾けている。

 弦真も聴衆の一人として彼女の演奏に酔いしれていた。

 曲は次第に山場へと入り、曲調が更に激しくなる。

 山場を過ぎると、さざ波のような音色が流れ、終わった。

 彼女は、大切なものをそっと置くように、優しく鍵盤から手を離した。

 一瞬辺りは静寂に包まれる。

 聞こえてくるのは、聴衆が息を飲む音と、彼女の息遣いだけ。


 彼女がピアノを演奏し終えると、自然と周りから割れんばかりの拍手が起こった。

 弦真も、彼女に拍手を送る。

 彼女は演奏を終えた後、しばし天井を見上げていたが、周りに集まっていた聴衆に気がつくと、照れたように笑みを浮かべた。

 彼女は椅子から降りて、はにかみながら一礼すると拍手の雨を背に走り去っていった。


「あっ、ちょっと…!」

 弦真が彼女に声をかけようとするも、聴衆が壁となり、前にうまく進むことができない。

 それでも弦真は、人をかき分けて必死で前へ進んでいった。

 人をかき分け、ピアノの前にやっとのことでたどり着いたものの、彼女の姿は既にそこにはなかった。

 弦真は小さくため息をつくと、先ほどまで彼女が演奏していたピアノを見つめた。


「俺もあんな風に弾きたいな…」

 弦真は誰にいうでもなく一人呟くと、この場を去った。

 弾き手を失ったピアノの鍵盤の上には、どこかから飛んできた桜の花びらが一枚乗っていた。

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