マーチ・フール

模-i

拝啓

 どうか私を助けてください。

 

 3月31日の夜中、カレンダーを見て、明日は同僚にどんな嘘をつこうかなと考えを巡らせながら眠りにつきました。


 はい、それはそれはぐっすり。夢を何時間でも見られるくらいに。——いや、未だに夢を見ているのです。そうでなければいよいよ私はおしまいです。


 目覚ましの音がしました。


 いつものように顔を洗い、スーツを着て、昨日の余り物を食べながらテレビでニュースを見ました。


 今日は春雨が降るそうです。スープを入れたお椀を持って通勤、通学しましょう。


 テレビ局も粋なことを考えるなあと思いながら、春雨が食べたいなあとも思いました。

 そうそう、ネタもこの時決めました。みんなが嘘をついても、被らないであろうものです。即ち、今日は3月32日、嘘をつけないという嘘です。他の候補としては、私がバナナの皮で滑ったとか、私が予言者になるとか、一年前の日付で手紙を送れるようになったとか、色々ありましたが、実際口に出してみるとどれもしっくりこなかったので、やめにしました。


 家を出ました。それから駅の構内で、知人に会いました。


「久しぶり」

「今日は春雨が降るみたいで」

「そうなのか、俺は明日世界滅亡って聞いたぜ」

「世界滅亡まであと1日……それはそれは物騒で」


 嘘にも良し悪しがあります。他人が不幸になる嘘は、避けるべきではないでしょうか。それに、嘘はさりげなくつかないと美しくない。


 そんなこんなで、会社に着きました。


 エレベーターの階数表示が上がっていくと共に、一晩考えたジョークを披露することへの喜びも高まっていきました。


 後ろの鏡を見て、表情を確認。笑いながら言うのもいかがなものかと思ったので、真顔を貫くことに決めました。

 そんなこんなで、扉が開きました。


 油断しているとニヤけてしまいそうです。危ない危ない。


 扉を開けて、自分のデスクへ。大声で今日の日付を言いたくなりますが、ここはその話題になるまで我慢。

 その機会は、お昼休みでした。

 タナカ課長と、同期のスズキ君と、3人でご飯を食べている時でした。

「スズキくん、昨日は何かあったか?」

「はい、面白いことがありましたよ」

 さあ、スズキ君はどんなことを言うのでしょうか。

「昨日の帰り、駅のトイレに入ったんです」

「ふむ」

「何せ腹痛がひどかったもので、急いでトイレに入りました。」

「ほうほう」

「そして、用を足した後です。扉を開けると、そこにおばさんが立っていたんですよ。僕が入ったのは女子トイレだったのです」

 実際やってはいけないことも、やってしまったことに出来るのも、この日だけです。

「それは災難だったな、ところで、今日は何日だったっけ?」


 今です!

「今日は3月32日ですよ」

完璧なタイミングです!


「……」

「……」

なぜでしょう?沈黙が流れているような……

「えっと……何かおかしいことでも?」

「いや、そんな得意げに言わなくても……」

「あたりまえのことですし……」


 !?


「そうそう、それで〜」

 私は理解しました。そうかそうか、ボケに対しての返しはツッコミとは限らない。ボケにボケで返す変化球もアリなのです。

「おお、課長はどんな冗談を?」

「おい君、人の言うことを聞く前に冗談だなんて失礼じゃないか」

「はっ、すみません、てっきりエイプリルフールを言うのかと……」


 すると、二人は口を揃えて言ったのです。

「エイプリルフール?何だそれは?」


 !?


 私、ほっぺたを何回もつねりました。本当です。つねりましたとも。痛かったです。

 正直、そこから先の会話は覚えていません。それどころじゃありませんでした。


 そんな具合でしたから、仕事も手につきませんでした。残業です。集中できていなかったのです、しょうがありません。


 6時ごろ、仕事が全て終わりました。やはり色々疲れているのでしょう、うーんと伸びをした時、一番星がダブって見えました。


 エレベーターに乗り、自分のやつれた表情を見ながら、やはり精神的にストレスのかかる日だったのだなあと思いました。


 そして、肉体的にもストレスは来ていたのです。

 エレベーターから降りて、しばらく歩いたところで、私は転んでしまいました。足元に落ちていたバナナの皮の上に、ポケットにしまっておいたスマホが落下しました。

 スマホを取り、画面が割れたりしていないかを確認しました。問題なさそうなので、時刻を確認するために電源を入れました。


 日付 3/32


 ああ。


 空を見上げて大きなため息をつきました。

雲間からきらりと光る一番星は相変わらず二つです。


 電車に乗りながら、こんな日こそ雨にうたれて帰りたい、と思いました。だって今日はもうめちゃくちゃです。雨に濡れて、頭を冷やしたいのです。


 しかし駅から出ると、柔らかく半透明な糸状のものが、空からちゅるちゅると降っていました。祈るような気持ちで、口にそれを入れると、絶望という名の美味しさが中に広がりました。そう、春雨だったのです。


 私は、春雨に打たれながらとぼとぼと歩いて帰りました。今日起きた出来事を思い返しながら。そして、気がついたのです。


 今日は3月32日。 

 春雨が降る。

 バナナで滑る。


 全て、私が、4月1日に、口にしたことだったのです。


 では、まだ起こっていない嘘は?


 世界滅亡まであと1日


 私はそれから、声が枯れる限り嘘を叫びました。ええ、叫びましたとも。世界滅亡を回避するために、思いつく限りのことを叫びました。

 しかし、どうにもならない。少し考えて、どうしてか分かりました。だって今日は3月32日。エイプリルフールは無効なのです。私は昼の自分を呪いました。


 もう一度言います。どうか私を助けてください。このままでは、明日世界が滅びます。

 この手紙がもし届いているとしたら、世界滅亡を回避する方法は一つだけ残っています。あなたが、いいえ、一年前の私がこれを覚えておくことです。そして、二度と4月1日に嘘をつかないことです。私の協力が必要なのです。


 何卒お願いします。世界存続のために。


敬具 





 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る