第4話 今日もおつかれさまっ!

 プールの中にしばらく浸かっていると、脇腹の痛みが引いてきた。


 視界の端でアリシャがてきぱき動いている。彼女は大きなツボを台車でごろごろ運んでくると、プールの中にドバドバ注いだ。温度計らしきもので、水温を確認する。ぼくの浸かっている感覚からすると三十七度くらいだろうか。プールからは常に湯気が沸き立っている。ちょっとした温泉気分だ。


 ときおり、ぼくの身体の各所はぴくぴくと動いた。ぼくの意思ではなく、身体の反射らしい。一度、曲げた指がアリシャの頭部をかすめそうになり、ぼくは肝を冷やした。装甲に包まれた指が命中すれば怪我では済まないだろう。


 よくよく見れば、アリシャの顔や腕には傷痕らしきものがある。ぼく、いや、ぼくが宿る前のこの体が傷つけたのだろうか。


 脇の痛みが完全に引いたころ、アリシャがぼくから見えない位置でなにかすると、僕の体が下から押し上げられた。身体が湯からあがる。


 アリシャは天井からぶら下がるレールクレーンを用いて、新しい手甲パーツや脇腹にあてるためであろうプレートを運んできた。


 工具を手にぼくの身体に取り付いて、傷ついたパーツを外し、新しいものをボルトでとめていく。


 そらから、また台車でドラム缶のようなものを運んできた。


 ぼくのコクピットの下あたりをごそごそする。何か蓋のようなものを開く感覚があった。臍の穴が開閉式ならこんな感じだろうか。


 そこにドラム缶から伸びたホースを接続する。


 しばらくすると身体の各所に力感がみなぎってきた。

 エネルギー、いや、カロリーを補給したというところか。


 アリシャは最後にぼくの胸によじのぼり、コクピットハッチを開いた。身体のなかに入り込む。


 コクピット内にある通信用の低画質カメラはスイッチが入りっぱなしになっており、ぼくはそれを通して彼女の様子を眺めた。


 不思議な感覚だ。両目の視界に加えて、もうひとつまったく別の視界を認識している。何の意味があるのか。戦闘中に映像通信を行う際、ぼくを経由してパイロットの意識に割り込ませるためなのだろうか。


 アリシャは座席に腰を下ろし、ほぼ仰向けになりながら二本の操縦桿を握った。


 目を瞑り「動け!」と小さく叫ぶ。


 ぼくは動かなかったし動けなかった。


 ドストエフのときと違って、彼女の意思を感じない。


 アリシャはため息をついた。


「適性かぁ」


 彼女はコクピットのなかを布で拭き、ドストエフが捨てていったと思しきパンのようなもののかけらを拾うと、自分のポケットに入れた。


 彼女がコクピット内のモニターをなでた。


「ヴァミシュラー、今日もお疲れ様!」


 そういうと、コクピットから抜け出し、ぼくをもう一度、湯のなかに沈めた。


 いつのまにか、ハンガーからは人気が消えていた。


 彼女は「おやすみ!」というと、壁際にあるレバーを下ろした。


 天井の照明が落とされ、ハンガーは闇に包まれた。


 ぼくは真っ暗な天井を見つめるほかなにもできない。


 どこかの窓がガタガタ揺れる音だけが聞こえている。


 いったいこれは何なんだろうか。ぼくは思った。なんでこんなことになったのか。


 たしかに日本に生きていたはずなのに、なぜ生体兵器のなかに宿ってしまったんだ。


 それともこれは全部夢か。


 こちらの世界で眠りにつけば、元の世界で目覚めるのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、ぼくは眠り込んでいた。


 どれくらい経ったのか、警報音がぼくを現実に引きずり戻した。甲高く耳障りな音が鳴り響いている。


 ハンガーの天井が視界に戻ってくる。


 ああ、あの悪夢のままだ。


 ドストエフがぼくのハッチを開き、乱暴に乗り込んできた。


「出撃だ!」と叫ぶ。


 ぼくはぶるりと震えた。


 この日、帰還した時、ぼくは右腕を根本から失っていた。

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