第4話

 「ケンタさん、リョウさん、お早うございます。よくお眠りになりまして?」

 ノックの音とともに歌うように言いながら、アメリアが入ってきた。シャッとカーテンのあく音がして、眩しい日差しが差し込んでくる。竜はびっくりして飛び起きた。

「あ、あれ?」

 白と淡緑と空色を基調とした明るい大きな部屋。隣のベッドでまだ眠っている健太。二つ目の窓のカーテンを開けている白地に鮮やかなオレンジ色の花模様の服を着たアメリア。一瞬の混乱の後、昨日の記憶が色とりどりの波のように押し寄せて、竜の周りに渦を巻いた。

「リョウさん、お風邪をひきませんでした?私が眠る前に様子を見に来たときは、何もかけずにベッドの足元の方で眠っていらっしゃいましたのよ。すぐにベッドにお入れして布団をかけたのですけど、ここは夏でも夜は冷えることもありますから――特に明け方ですわね――、気をつけないとお風邪をひいてしまいますわ。ああ、ケンタさんもお目覚めですのね。おはようございます。朝食はもうすぐに用意できますわ。今日はケンタさんはレイ君とお出かけですのね。それからリョウさんはドクター・キーティングとソンダースへ行かれるのでしょ。レイ君は8時ごろ、ドクター・キーティングは8時20分ごろにお迎えに来るって言っていましたから、お二人とも食後にケーキを召し上がる時間はたっぷりありますわね。お二人のお洋服は夜のうちに洗って乾かしてアイロンをかけておきました。こちらがリョウさんの、こちらがケンタさんの。今日新しいお洋服を買ってきますわ。一組では不便ですもの。お二人とも、特にお好みの色や型はおありになります?おありにならない?では私が選ばせていただいてよろしいかしら。まあ楽しみですわ!あらっ薬缶が!」

 階下からピィーッと薬缶の笛が鳴っているのが聞こえてきた。

「それじゃ、支度がおできになり次第、降りてらしてくださいね」

 そう言ってアメリアは小走りで部屋を出て行った。二人は顔を見合わせてふふっと笑った。

「すごいね、あんなに休みなく喋れるなんて」

「うん。あそこまでいくと、才能って言えると思うよ」

「よく眠れた?」

「うん。竜君は?」

「僕もぐっすり」

 答えながら竜は、心の中で自分の頭をこつんとやった。意識のコントロールを完璧にしてから寝ようと思ったのに、どうも途中で眠ってしまったらしい。

 健太はベッドから両足を下ろしてゆっくり立ち上がると、満面の笑みを浮かべてため息をついた。

「ああ、夢じゃなかったんだ…!」

 竜も微笑んだ。

「うん。現実だよ」

 魔法のレッスン!本当に魔法を使えるようになれるんだ…!

 

 おいしい朝食の後で、口の中で本当にとろけるガトーショコラを堪能していると、リンリーンと玄関の呼び鈴が鳴った。

「あらっ。きっとレイ君ですわよ」

 アメリアが立ち上がる。すぐにレイと一緒に戻ってきた。

「おはよう。ちょっと早く来たんだ。きっとケーキを食べてるに違いないと思って」

 いたずらっぽくレイが言うと、アメリアは笑って、

「お座んなさいな。さあ召し上がれ」

 ガトーショコラをクローバー模様の皿に取り分けてレイの前に置いた。

「ありがとう。いただきまーす」

 ガトーショコラを頬張りながら、レイは健太を医者が患者を見るような目で見つめた。

「身体の調子はどう?脚は?筋肉痛すごいんじゃない?」

「そういえば…」

 健太は驚いた顔をした。

「変だな。どこも痛くない」

「そりゃよかった」

 レイは笑顔になってガトーショコラをもう一口頬張った。

「なんで痛くないんだろう。あんなに、しかも初めて使ったのに、脚の筋肉…」

「魔法のかかった脚だからかな」

 考え込む健太と竜に構わず、レイはすごい速さでガトーショコラを平らげ、ミルクをたっぷり入れた紅茶を飲み干すと立ち上がった。

「さ、じゃあ行こうか。今日は午後に隣町のチームと練習試合があるんだ。午前中の練習の仕上がり次第では、健太にも出てもらうからね」

 健太の顔が輝いた。

「うん!」

 飛び上がるように立ち上がる。

「頑張って」

「ありがとう。竜君も魔法頑張って」

 ハイファイブをして二人は別れた。


 スティーブンのコマドリの卵色の車の窓から見るソンダースの街並みは、たまにテレビで見るヨーロッパの古い小さな町のようだった。石畳の道、茶色の屋根、煉瓦造りや石造りの家々、あちこちに蔦や鉢植えの植物の緑、花々の赤やピンクや黄色や白。少し大きな通りだと背の高い街路樹が風にさやさやと揺れている。走っている車の数は少なくはなかったが、排気音がないので、小鳥の声も聞こえる。

 ソンダース魔法大学は、町の中心部を通り抜けてしばらく走ったところにあった。門番のいる大きな門を通り、滑らかな緑の芝生の中の、背の高い白銀色の幹の木々に縁取られた広い道をいくと、行手に白く輝くお城が見えてきた。高い塔がいくつもあり、屋根は濃いブルーグレイだ。

「わあ…」

 竜が思わず感嘆のため息を漏らすと、スティーブンが笑った。

「がっかりしないんですか?ハリーポッターが好きな人たちは、この城を見ると大抵がっかりするんですよ。何とかいう、ハリーポッターに出てくるお城のようじゃないって」

 近づいていくと、城の前庭が見えてきた。広い緑の芝生の中にいくつもの面白い形に刈り込まれた木々があり、そこここにある石のベンチに思い思いの服装の学生らしき人たちが腰を下ろしている。スティーブンは前庭の手前の脇道を右に入り、しばらく行ったところにある駐車場に車を停めた。竜は少し緊張して車を降りた。

 清々しい空気。小鳥の声。かすかに聞こえる人々の話し声、笑い声。歩きながらスティーブンが言った。

「私は1時間目に講義があるので、竜君には私の研究室で待っていてもらおうと思っていたのですが、今日は天気もいいし、もし前庭やこの辺を散歩していたかったらそれでも構いませんよ」

「いえ。研究室の方がいいと思います。意識のコントロールの練習をしたいですし」

 決意を漲らせてキッパリと言った竜を見て、スティーブンは微笑んだ。

「わかりました。竜君、やる気満々ですね」

「もちろんです!」

 竜は胸の前で小さくガッツポーズを作って見せた。

 美しい緑の前庭を抜けていくと、学生たちが口々にスティーブンに挨拶をした。スティーブンもにこやかに手を振って応えている。中には竜に物珍しげな目を向ける学生もいたし、にっこりと手を振ってくれた女子学生もいた。

 城の中は白い大理石造りで、たくさんの窓から光がたっぷり降り注ぎ、気持ちの良い明るさだった。城の中というとなんとなく薄暗いところを想像していた竜は、少し意外に思った。

 入り口を入った正面には広い広い大階段がある。大きな踊り場にはやはり大きな窓があって、ソファや観葉植物やライティングデスクなどが置いてあり、何人かの学生たちがくつろいでいた。

 廊下を通る学生たちも誰も声高に話したりせず、低い声で喋っているのだが、天井が高いためか、大理石が張り巡らしてあるからなのか、ざわめきとそして靴音が大きく感じられた。竜は自分のスニーカーのキュッキュッという音が気になって仕方がなかった。他にスニーカーを履いている人はいないらしい。みんなコツコツ、カツカツ、という音を立てている。

 スティーブンの研究室は二階の、前庭ではなく裏の広い庭園を見晴らす側にあった。研究室という言葉から竜がなんとなく想像していたのとは全く異なり、明るくて大きな、貴族の居室のような豪華な部屋だった。

「すごいですね。これが研究室だなんて」

 スティーブンは窓を開けながら笑って、

「まあお城ですからね。部屋はみんなこんなふうです。教室にだってシャンデリアが下がっていますよ。ええと、クッキーがそこの隅の戸棚にありますから、どうぞ自由に食べてください。ミルクはその下の扉を開ければ冷蔵庫になっていますからそこに。講義は90分ですから、10時半に終わります。教室は一階の西の端から二番目、前庭側です。何かあれば、僕はそこにいますから」

「わかりました」

 にっこり笑って手をあげると、スティーブンは急ぎ足で研究室を出て行った。

 竜は大きく息をついて、辺りを見回した。庭園を見晴らすバルコニーへと続くフランス窓の前に大きな黒いソファが置いてある。そこに座ることにした。気持ちのいいそよ風が小鳥のさえずりや葉擦れの音を運んでくる。

「よし」

 竜は自分に掛け声をかけると、一呼吸して、意識を集中した。すぐにあの薄青い空間が広がった。その中に浮かぶ自分の体から発する色とりどりの光線たち。昨日掴みかけたコツを思い出しながら、光線を動かしていく。すると拍子抜けするほどすぐに、薄青い空間に浮かびながらスティーブンの研究室が見え、小鳥のさえずりが聞こえ、座っているソファの感触を感じられるようになった。手元には様々な色に煌く光の球。

「…できた!」

 昨日よりもずっと簡単にできたし、ずっと自然な感じがして疲れない。

「このまま、動けるかな」

 そろりとソファから立ち上がる。薄青い空間の中の自分も光のボールも、その動きに影響を受けない。じっと座っている時よりは少し難しいが、意識のコントロールを保つことはできる。

「…よし。この練習を続けてみよう」

 口の中で呟いて、竜は意識のコントロールを保ちつつ、部屋の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてみた。慣れてくると、今度は窓の開け閉めをしてみたり、スニーカーの紐を結び直してみたり、本棚のところへ行って背表紙を眺めたりしてみた(タイトルの文字は読むことができなかった)。最初は動きが少しギクシャクしたが、すぐに普通に動けるようになった。

「そうだ」

 思いついて、さっきスティーブンが示したクッキーの戸棚の方へ行きかけた時、部屋のドアを叩く音がした。竜はびくりとしたが、これはいい練習になると思って、薄青い空間の中で光のボールを手にしたまま、急いでドアに近づき、開けた。

 ドアの外に立っていたのは、20代か30代くらいの背の高い男の人だった。少し長めの茶色の髪を後ろで縛っている。絵に描いたようなイケメンだ。ドアを開けた竜を見て、驚いて榛色の目を丸くしている。

「…君は誰だい?」

「早川竜といいます。スティーブン、いえ、ドクター・キーティングに魔法を教わっている者です。ドクター・キーティングは今講義中で、10時半に講義が終わったらここに戻られることになっています」

 男の人は竜をまじまじと見ていたが、やがてはっと自分の無作法に気づいたように微笑んで、手を差し出した。

「失礼。初めまして、早川竜君。僕はエミル・ブリュートナー。フリア魔法大学で魔法発明学の研究をしてる。スティーブンとは昔からの知り合いでね。久しぶりにこの辺りまで来たのでちょっと寄ってみたんだ」

「初めまして」

 微笑み合って握手をする。

「どうぞ」

「ありがとう」

 部屋に招き入れると、エミルはにこりとして竜を見た。

「隣からのお客様だね。いつこっちに?」

「昨日の午後です」

「意識のコントロールの練習中?」

 竜はびっくりした。

「わかるんですか?」

「そりゃあね。でも、ちょっと待って。君、昨日の午後こっちに着いたんだろう?」

「はい」

 エミルは感心したというように微笑んだ。

「これは恐れ入った。1日もしないうちにこのレベルとはね。ほぼ完璧だ」

「そんなことまでわかるんですか!」

「その君が持っている光の球。それをね、手でそうやって抱えるのをやめてごらん。手を離すんだ。それができれば完璧」

「…はい」

 どうして光のボールのことまでわかるんだろう?この薄青い空間がこの人にも見えるんだろうか?竜は訊きたい気持ちを抑えて、言われた通りにボールから手を離そうとした。意外と難しい。

「リラックスして。そいつを自由に浮かばせてやるんだ。がっちり掴んでなくても大丈夫。落ちないし、どっかに飛んで行ったりもしない。力を抜いて…、そう、そのまま手を離して」

 エミルの言うとおりにしてみると、手をすっとボールから離すことができた。ボールはそのまま、わずかに揺れながら、そこに浮いている。

「できたね」

 エミルがにっこりした。

「これで意識のコントロールは完璧。次は魔法だ。まず何がしたい?」

 竜はびっくりした。そんなことを訊かれるとは思ってもいなかった。

「何って、ええと…何ならできるんでしょう」

「なんでも」

 エミルがこともなげに言った。

「物を浮かばせるとか、移動させるとか、自分を浮かばせるとか、その辺のことなら難しさに大差はないからね」

 竜は息をのんだ。

「自分を浮かばせる?飛べるってことですか?」

「そうだね。まあ最初はあんまり高く飛ばないほうがいいけど。やってみる?」

「はい!」

「じゃあ、そうだな、もうちょっとこっちへ来たほうがいいか」

 エミルは頭上のシャンデリアを見上げて、竜をフランス窓の方へいざなった。

「なんだってこんな邪魔な物を天井から下げとくんだろうな。取っちまえばいいのに。気取った連中はこれだから」

 ちらりと竜を見ると、にやりと笑って、

「魔法大学がみんなここみたいだなんて思わないでくれよ。ソンダースは特別。こんな気取った城なんかをを大学にしてるのはここくらいなもんだ。さて、と。君の意識のコントロールは完璧だから、それについては自信を持っていい。できるかな、なんて余計なことを考えないこと。そして、その光の球に『飛ぼう』と思わせるんだ」

 竜は戸惑った。光の球に「飛ぼう」と思わせる?

 エミルは、わかるよ、というように戸惑い顔の竜に頷いてみせた。

「ちょっと妙に聞こえるだろうけどね。でもこれが一番手っ取り早い考え方だ。いいかい、君が飛ぼうと思うんじゃない。その光の球に飛べと命じるのでもない。君が、その光の球に、『飛ぼう』と、思わせるんだ」

 竜の目をじっと見つめながら、エミルは最後の部分をゆっくりと言った。

 竜は、エミルの言葉を繰り返した。

「僕が、『飛ぼう』と思うんじゃない。この光のボールに『飛べ』と命じるのでもない。僕が、この光のボールに、『飛ぼう!』と思わせる…」

 エミルは黙って頷き、腕組みをして竜を見つめている。竜は一心に考えた。

 このボールに、「飛ぼう!」と思わせる…。

 薄青い空間の中、目の前で微かに揺れながら様々な色に煌いている光のボールを、竜はじっと見つめた。このボールに、「飛ぼう!」と思わせる…。「飛ぼう!」と…。

 ふっと頭の中が混乱したような、目眩のような感じがして、竜は思わず目を閉じた。自分とボールが一瞬入れ替わったような変な感じがして、ボールになった自分が「飛ぼう!飛ぼう!」とはしゃいで空中で弾んでいる。次いで、すうっと身体が上に向かって動く感じがして、エミルの「よし!」という声が聞こえた。目を開けると、視界が下に向かってゆっくりと流れていく。竜は息を呑んだ。

「やった!」

「気をつけろ!天井にぶつかるぞ」

 エミルが笑いながら言った。竜は慌てて手を頭の上に伸ばした。身体はそのままゆっくりと上に上がっていって、やがて伸ばした手の先がそっと天井に触れた。

「あとは動きのコントロールだ。一度浮かんじまえばば何も難しいことはない。できるだろ」

 エミルの言うとおりだった。もう「このボールに……と思わせる」などと考える必要はなかった。水の中を泳ぐように、自由に空中を泳ぐことができた。竜はうっとりとしてスティーブンの研究室の中を人魚のように泳ぎ回った。飛んでいる!僕は本当に飛んでいるんだ…!本当に本当なんだ…!

 しばらくしてエミルの笑いを含んだ声が聞こえた。

「もうそのくらいにして、降りてこいよ」

「はいっ」

 ふわりと上手に着地した竜をつくづくと眺めて、エミルは目を細めた。なんだか嬉しそうだった。

「こっちに来てまだ1日もたってないのにな…。さすがだ」

 感に堪えたように呟くと、ちょっと笑って、

「いや、さすがスティーブンの弟子。さて、お次は?」

 こんなふうにして、竜はソファの上のクッションを浮かばせることができるようになり、それを自在に動かすことができるようになり、窓の開け閉めが(もちろん手を使わずに)できるようになり、数メートル離れた本棚から本を自分の手元に呼び寄せることができるようになった。そこでエミルの提案で少し休憩しようということになり、クッキーの入っている戸棚を魔法で開け、赤と緑と金色のチェック模様のクッキー缶を、ソファの前にある低いガラスのテーブルに呼び寄せたところで、ドアが開き、スティーブンが入ってきた。

「やあ、スティーブン!」

「エミル!久しぶりだね!いつこっちへ?」

「今朝だよ。まず君に会わなきゃと思って、駅からここに直行したんだ」

 二人が握手をして肩を叩き合っている間に、竜は魔法で冷蔵庫になっているキャビネットの扉を開け、ミルクの瓶をテーブルに呼び寄せた。空中を移動していくミルクの瓶を見て、スティーブンの目が丸くなった。

「…まさか」

「ああ」

 振り向いて竜が何をしているのかを見たエミルが、楽しそうに笑って言った。「すごい弟子じゃないか、スティーブン」

「いや、弟子だなんて。僕はほとんど何も教えていないんだ。…信じられない」

「天才だね。竜、ミルクがいい?それともお茶を飲むかい?」

「ミルクがいいです」

「じゃ、グラスは冷蔵庫の左上の棚だ。お茶は僕がやろう。スティーブン、君も飲むだろう?」

「…あ、ああ」

 エミルは魔法で小さな赤いヤカンに水を入れ、コンロに火をつけ、ヤカンをかけ、戸棚からティーポットとお茶の缶とマグカップを二つ出し、引き出しから出したスプーンでティーポットにお茶の葉を入れた。素早い、滑らかな、淀みない動きだった。

「…すごい」

 竜は感心してため息をついた。竜の魔法はまだまだゆっくりでぎこちない。エミルが笑った。

「こんなのすぐにできるようになるよ。ま、普段は僕はこういうことは手でやるけどね」

「そうなんですか?どうして?」

「その方が好きなんだ。手でやる方が楽しいだろ?」

 竜は答えに詰まった。魔法でやる方が楽しいに決まってる。その顔を見てスティーブンがおかしそうに笑った。

「それは、竜君は今はなんでも魔法でやりたいでしょうからね。どんどんやるといいですよ。それにしても驚いたな」

「もう飛べるんだよ」

 缶からクッキーを取りながらエミルが言うと、スティーブンは目をむいた。

「なんと!」

「そう。それが一番最初の魔法。初めてだっていうのに実に綺麗に自然に飛ぶ」

 竜は褒められて嬉しかった。

「泳ぐのと感じがとても似てるから。僕、小さい時から水泳やってるんです」

 エミルは微笑んだ。

「そうだろうと思った」

 そうしてチョコレートクッキーを一口かじると、

「そういえば、スティーブン、コールはソンダースに決めたのかい?」

「ああ」

「残念だな!フリアに来るかと思ったのに。レイもジーナも元気かい?」

「元気だよ。レイは相変わらずバスケットボールに夢中でね。ジーナの方も相変わらずフルートに夢中だよ。練習熱心で、勘弁してほしいくらいだ」

 エミルはおかしそうに笑って、竜の方を見た。

「竜は、兄弟いる?」

「はい。姉がいます」

「そう。お姉さんは何歳?」

「12歳です」

「そうか…」

 エミルはため息をついた。

「なんだい、エミル」

 スティーブンが不思議そうに訊く。

「いや、僕も姉か妹が欲しかったなあと思ってさ。うちは男ばっかりだから」

「エミルのところはね、四人兄弟なんだよ」

 スティーブンが竜に教えてくれる。

「うちも、名前だけ聞くと男二人みたいなんです。姉は真っていうんですけど、これって男にも多い名前だから」

「ほう」

「で、女の子だと、マコとかマコちゃんとか呼ばれることが多いんですけど、姉はそれが大嫌いで、みんなにマコトって呼ばせるんですよ。姉を怒らせようと思ったら、マコとかマコちゃんとか呼べば、効果覿面なんです。小さい頃からそうでした」

 スティーブンが笑ってうなずいた。

「うちのジーナもそうですよ。ヴァージニアって呼ばれるのが大嫌いでね。ジニーもダメ。ジーナと呼ばないと返事をしないんです」

「何だ、やっぱり女の子は面倒なんだなあ」

 エミルが笑った。

 しばらくお茶とミルクとクッキーを楽しみながらおしゃべりをした。竜はできるだけいろいろなことを魔法でやってみたが、ミルクを飲むのが一番難しかった。グラスの微妙な傾き加減を調節するのが難しいのだ。こぼしてしまったミルクは、エミルがさっと魔法で綺麗にしてくれた。竜はため息をついた。

「すごい…」

「こんなのすぐにできるようになるさ」

 竜はまたため息をついた。

「でもたった9日間しかないなんて…。一度向こうに帰ってしまったら、本当にもうここには二度と戻って来れないんですか?絶対に?」

 エミルがちょっと笑う。

「まあ、場合によるかな」

 スティーブンが眉をひそめる。

「エミル」

「そうそう。壁に耳ありか」

 竜は二人を交互に見比べた。

「…も、もしかして」

 エミルが唇に人差し指を当てて片目をつぶった。


 町に用事があるというエミルと、スティーブンの四コマ目の授業が始まる2時50分頃にまたここで会う約束をして、竜は今度はスティーブンについて魔法の練習をした。

「やれやれ、驚いたな」

 竜が難なく魔法でマッチを擦り蝋燭に火を灯したのを見たスティーブンは、笑って首を振った。

「基本的な動きはもう完璧ですよ。いやはや」

「でもまだ速くは動かせません」

「それは慣れです。すぐにできるようになりますよ。となると、もう次の段階に行けると思うのですが…」

「はいっ」

 身を乗り出した竜を見てスティーブンは微笑んだ。

「疲れませんか。少し休憩しましょうか」

「いえっ。時間がもったいないです。9日間しかないですから」

 スティーブンは微笑んだままため息をついた。

「本当に…自由に行き来ができるようになればいいのですけどね。皆がとは言いません。そうすれば何か必ず問題が起こる。でもせめて竜君のように魔法に長けた人だけでも、それができるようになれば。こんなに才能があるのに、9日間しか魔法を学ぶ時間がないなんて…残念なことです」

 竜は声をひそめて言った。

「さっき、エミルが言っていたことは、どういうことなんですか」

 スティーブンは唇に人差し指を当てて首を振った。

「ここでは」

「エミルは、魔法発明学の研究をしてるって言ってましたけど…」

 スティーブンはにっこりして頷いた。

「魔法発明学の世界では間違いなく五本の指に入る、非常に優秀な研究者ですよ」

「…そうなんですか」

 あんなに若いのに、と竜は驚いたけれど、同時に心から納得した。 

「さあ、では次の段階へいきましょう。今までとは少し異なる魔法です」

 スティーブンはそう言って、竜が灯した蝋燭の火を魔法で消すと、竜を振り返った。

「この蝋燭にもう一度火を灯してください。マッチを使わずに、魔法だけで」


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