第6話 母・彌栄の哀哭と家老・縫殿助の采配



 1月5日。

 はからずも喪主となった母・彌栄やえとひとり娘の小梢は、近い親戚で高遠領の家老を務める星野縫殿助好純ほしのぬいのすけよしずみらに助けられながら、客死した徹之助の野辺送りを行った。


 縫殿助は星野一族の出世頭である。

 江戸から送られて来た絵島の高遠到着から、わずか14日後に死去した内藤駿河守清枚の嫡男・伊賀守頼卿いがのかみよりのりのたっての希望によって、家老に抜擢されていた。


      *


 深い刀傷を負った兄の遺骸は、朋輩の「花畑衆」らによって丁寧に清拭され、可能な限り生前のすがたに復元されて、女ふたりの遺族が待ち詫びる星野家に運ばれた。


 溺愛する長男の遺骸に取りすがった彌栄は、他人目も憚らず身を揉んで号泣した。


「徹之助。お願いだから目を開けておくれ。愛しいその口で、わたくしの名を呼んでおくれ。病持ちの母に先立つなど、かような親不孝は絶対に許しませぬぞ。徹之助、頼みますから母のもとへ、もう一度、還っておくれ。ああ、徹之助、徹之助……」


 消え入りそうな痩身を絞るようにして、おんおんと泣きじゃくっている。

 小梢は自身のなみだを懸命に堪えて、母の惑乱を必死で押し留めていた。


「さように嘆かれてはお身体に障ります。あちらでお休みくださいませ。いまは何もお考えにならず、お役目にたおれた兄上のご冥福を祈って差し上げてくださいませ」


 やっとの思いで説得すると、「母上、さあ、これをお持ちになってくださいませ」細い手に先祖伝来の水晶の数珠を握らせ、同じく滂沱ぼうだのなみだに暮れている女中・梅の手を借りて病室に引き取らせると、気丈に胸を張ってとぎの席にもどっていった。


 怖いものでも見るような……。

 手伝いの女たちの視線が痛い。


      *


 葬儀全般を縫殿助が取り仕切り、彌栄に代わって喪主の挨拶まで述べてくれた。

 長い膝を折り、窮屈そうに棺に納められた徹之助の遺骸は、日蓮宗蓮華寺の墓地に埋葬された。


 ――カーン、カーン、カーン。


 固く凍みついた地面を鶴嘴つるはしで掘り起こす音が、参列者の哀れをいっそう誘った。


      *


 湿った直会なおらいの話題は、おのずから星野家の後継に集中していく。


「先代の葬儀から間なしに嫡男がかような死に方を……何とも難儀であるわい」

 深刻そうな声を隠そうともしないのは、本家筋に当たる叔父・安之進である。


「まことに。先祖のだれぞの悪行がいま頃になって巡って来たわけではあるまいな」底意地のわるい相槌は、小梢の父の又従兄弟に当たる惣三郎で、「何かえ、円頂黒衣が言うところの因果応報ってえやつかえ。泰平の世には考えられぬ残虐非道な時代を思えば、どこの家でも、ひとつふたつあり得ぬ話ではないわ。お、そういえば……」わざとらしく声を潜めたのは、亡兄の4倍も生きている遠縁の彦左衛門翁だった。


 梅を手伝って燗酒かんざけを運びながら、小梢は無責任な親戚連の会話に堪えていた。


 1年前、労咳ろうがいで父が逝ってから、同病の母は、すっかり気が弱くなっている。

 無遠慮な話し声が病床まで聞こえているのではないかと、小梢は気が気ではない。

 そのとき、さり気なく席を外した縫殿助の、母の部屋に入って行く背中が見えた。


 ――何を話されるおつもりであろう。


 心配になった小梢は、そっと母の病室に近寄り、障子の外で聞き耳を立てた。

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