4.パロ男爵令嬢

 にしても。どうしてわたくしは今ここでお茶などしているのだろう。お妃教育の今日のカリキュラムを終え、さっさと帰ろうとしていたところだったのに。

 約束はしていないはずなのに、回廊を通りすがりに出会ったアンリに当然のようにここまで連れてこられてしまった。王妃様ご自慢の庭園は芝生や生垣が美しくてわたくしも好きだし、王室御用達の焼き菓子はとっても美味だから、別にいいのだけど。


 黙りこくった王子を相手にわたくしから話すこともなくまたぼんやりしていると、へそを曲げていたアンリがようやくこちらに向き直った。


「まだ再来月の話だが、西の離宮で王家主催の夜会が開かれる」

「さようでございますか」

「俺と出席してもらいたい」

「謹んでお受けいたします」

「……」

「……」

 話が終わったのなら帰りたいのだけど。





 床から天井まで壁面いっぱいの書棚の木目のせいか、独特なセピア色の空気に包まれている図書館のかたすみで。パロ男爵令嬢は一心に書物の細かな文字を指で追いかけていた。


 閲覧机の脇へと近づき扇子でトンと机を叩く。ぱっと顔を上げた令嬢は黒目がちな瞳を大きく見開いた。

「少しお話したいの。よろしい?」

 小声で話しかけるとパロ男爵令嬢はこくんと頷き、書物を棚に戻してわたくしの後についてきた。


「ヴェロニク・パロでございます。お初にお目にかかります、ニーム公爵令嬢。また、この度はご婚約おめでとうございます」

 西日が差し込む廊下の突き当たりで、右足を引いてお辞儀をする姿は優雅で堂に入っていた。あら、なかなかじゃない。

「同じ年ごろなのだし、そんなにかしこまらないで」

「いえ。爵位も最下位で貧しい我が家から見れば名門公爵家の方々は王家と同じに雲の上の方のように思えますもの」


 パロ男爵家は何代か前に領地を没収されて以来、社交界から遠ざかり人の口にものぼらなくなり、それでも息も絶え絶えに存続していたようだ。ヴェロニクの父の代になってから、先代であるヴェロニクの祖父が貨物仲介の事業に成功し、その財を頼りに再興を果たした。


 このヴェロニクの祖父が只者ではないようで。そもそも、この国の貴族は商売をすることを禁じられている。しかし後継者に爵位を譲り引退した後ならば問題ない。そんな法の抜け穴をつくため、早々にヴェロニクの父に代替わりしたと考えられる。


 最近では、修道院の隣の土地を買い取り、屋根付きの市場をつくって小売店に場所を貸し出すという商いを始めて、またまた財を成しているようだ。

 ヴィルヌーブ子爵のお目当てはヴェロニクではなくこの祖父の商才の方ではないかと、勘ぐってはみたのだが。

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