第322話 夏・戦いのフェス篇⑦ 洲崎明日菜・夏の終焉
*
休憩スペースは、ガラス張りになった一際大きなプレハブ小屋の中にあった。
長机とパイプ椅子が並べられ、無料のお茶やコーヒーのサーバーが置いてある。
ザワっと、スペース内にいた芸能事務所の関係者たち、あるいは演者たちは今しがた入ってきた人物を目に留め、にわかに色めき立った。
「皆様ごきげんよう。少々お邪魔いたします」
よく通る美声が室内にこだまする。
カーミラはニコっと微笑みながら、サーバーへと向かい、紙コップを二つ取ると「お茶でいいかしら?」と明日菜を振り返った。
「い、いえ、私がやります!」
明日菜は慌てた。
室内にいる全員が「なんだあの見知らぬ女は。カーミラ会長にお茶汲みをさせるのか?」みたいな強い視線を明日菜に送ってきたからだ。
「何をおっしゃいますの。私の方が年下なのですからこれくらい当然ですわ」
「で、ですが……!」
「アイドルのプロデュースに関してはお互い数ヶ月の身の上ではありませんか。ならばあとは年功序列に従いましょう」
カーミラは気さくに明日菜の肩に手をおいた。
若干声量が上がったのは、周りを牽制する意図があるのだろう。
実際カーミラの発言で明日菜への視線はなくなった。
こういう気遣いもできるのか。すごい人だ。
「お隣、失礼しますわね」
「や、どうぞ、ごゆっくり……!」
空いている席に明日菜と二人、並んで腰を下ろせば、すぐ隣でタブレットを広げていたマネージャーと思わしき男性たち数人が慌てて席を立つ。
彼らは決してカーミラたちを煙たがっているわけではなく、全員が胸を抑えながら顔を赤らめている。どうやら隣にカーミラがいると緊張してしまうようだった。
カーミラ自身は、こういうことも慣れているのか、大して気にしてはいないようだった。紙コップに汲んだ冷たい緑茶を上品に飲んでいる。
細くて白い指先が、カップを掴む。
よく手入れされた綺麗な指先でそっと持ち上げると、クククっとカップを傾ける。
明日菜の視線がカップに触れた唇に吸い寄せられる。
反らされた白い喉、そこがコクリと動いた。ハッとした。何をやっているのだ私は。
「お飲みになって。この時期はこまめに水分補給しませんと」
「そ、そうですね、いただきます」
明日菜はグビッと、カーミラとは天と地ほどもある、優雅さからは程遠い所作でお茶を飲んだ。だが効果はあった。少しだけ落ち着いた。リラックスできた。お水美味しい。
キっと、相手を睨まない程度に眉間に力を入れて、明日菜はカーミラを見つめた。
改めて見ても美しいヒトだ。これがあの夷隅川食堂に居た従弟のタケオくんだとは未だに信じられない。
そう、明日菜は既にカーミラ=タケオの構図に確信を持っていた。
なんのことはない、明日菜は既に答えを「見ていた」から気づくことができた。
四代目カーミラ誕生から数ヶ月。その間に彼女は様々なメディアに露出した。新聞、テレビ、ネットニュース、動画サイト。
検索エンジンで『カーミラ』と調べれば、彼女に関する様々な事柄がヒットする。その中で特に明日菜が重要視したのは、彼女がインタビューを受けている動画だった。
おそらく、カーミラに関する全ての動画を明日菜は網羅した。就任演説から各種メディアの質疑応答、株主総会に出席する姿や、チャリティー事業のセレモニー登場したものから全てである。
その中でこのような質問があった。『あなたにとってベゴニア社長とはどのような人物ですか?』というものだ。
そこで彼女が語ったのはベゴニア社長が育ての親である事実。苦労を決して見せない母への尊敬と憧憬。そして母を助けるために何か自分にできることはないかと思い立ち、四代目カーミラになることを決心したと。
まさにその答えは、先日の打ち上げの際に、明日菜がタケオにした質問の答えそのものだった。もちろん質問内容が違うため、まったく同じではない。だが答えるときのカーミラの所作、声のトーン、さらにその佇まいから雰囲気に至るまで、全てがあのときのタケオの姿に重なるのだ。
確信を得た瞬間、明日菜は両手で顔を覆って天井を仰いだ。
なんという……。自分はなんという事実を知ってしまったのだと、改めて戦慄したのだ。
世界的大企業カーネーションの運命は今や明日菜の胸三寸と言っても過言ではない。もしくは明日菜はこの事実を胸に秘めたまま口封じをされてしまうのではないだろうか。
とにもかくにも、カーミラが男性だという確信は得られた。あとは確証を得るだけなのだが――
「明日菜社長、大丈夫ですか。ボーッとしているようですが」
「ハッ――いえ、問題ありません」
気がつけば、カーミラがこちらを心配そうに覗き込んでいた。そのあまりの美貌に怖気が走る。ざんばら黒髪と伊達メガネで隠しておかなければ、彼は日常生活にすら支障をきたすだろう……。
「本当に? かなりお疲れなのではなくて?」
「つ、疲れているかもしれませんが、そうも言っていられません。本当に大変なのはステージに立つあの子たちなのですから」
「そうですわねえ。あの子たちが疲れただのシンドいだのと文句を垂れるのはいいのですが、裏方である私達は口が裂けても言えませんわよねえ」
「まったくもってその通りですねえ」
ステージパフォーマンスとは素人が考えるよりも遥かに大変なものだ。
特にダンスを織り交ぜた歌唱ともなれば体力の消耗はかなり激しいものになる。
さらに、聴衆を前にしたときのプレッシャーは半端なものではない。
故にマクマティカーズもフィックス・スターズも、出番が終わると滂沱の汗をかきながら、崩れるようにうずくまるのだ。
「あ、でもそんなこと言って、この前の夏祭り連続ステージはどうかと思いますよ!?」
「う。あれに関しましては本当に申し訳なく……というか私だってあんなの二度とごめんですわ!」
糾弾する明日菜にカーミラは心外とばかりに両手を振った。自分だってあんなのやりたくなかったし、やらせたくなかったのだと。ならどうしてあんなことを強行したのか、と問う明日菜に、カーミラは「オフレコですわよ」と言って内情を教えた。
「元々は商店街の小さな夏祭りのゲスト出演でした。十王寺商店街さんにはいつもお世話になっていますし、最初のデビューコンサートも、彼らの協力がなければ不可能でしたので」
明日菜は思い出す。マクマティカーズ鮮烈のデビューコンサート。それは異世界事業反対派をも巻き込んだゲリラ・ライブだった。
歌い終えたマクマティカーズに食って掛かる反対派のリーダーと、それを真っ向から迎え撃つカーミラ会長。その動画は伝説の「ザマア動画」として今でもネット界隈では有名である。
「マクマティカーズが参加するという情報は、商店会幹部だけの秘密だったのですが、家族の口に戸は立てられませんでした」
つまり幹部婦人が食事の席でポロッと口にしたマクマティカーズ参加の事実。それを聞いた中学生の娘さんが、これまたうっかりSNSに書き込んでしまった。そこからはあっという間に尾ひれがついて、マクマティカーズが夏祭りに参加→ライブをする→セカンド曲の発表だ! と確定情報のように流布されていったのだ。
「今はまだ、異世界反対派たちに弱みを見せるわけにはいきません。彼らは常に私達の粗を探しています。期待を裏切られたときのファンの落胆もきっと彼らに利用されてしまうでしょう。ですからもう二度と異世界事業を停滞させないためにも、私達は夏祭りを利用したセカンドライブを絶対に成功させなければなりませんでした」
明日菜は内心で衝撃を受けていた。
カーミラの背負っているものがとても大きく、そして多岐にわたることを今知ったからだ。
社員のこと。マクマティカーズのこと。そして地球と異世界の発展。彼女が背負っているものはあまりにも膨大だった。
何故……何故彼女は――彼はこれほどまでに……。その目的は一体なんだ。富と名声か。地球での富だけでは飽き足らず、異世界にもそれを求めているのか――
「カーミラ会長は、異世界にカーネーションを出店させるご予定だとか。それはどうしてですか。単純なお金儲けのためですか?」
明日菜は敢えて無礼で、最もストレートな聞き方をした。
カーミラは一瞬虚を突かれた顔になったが、余裕の表情を取り戻すと、ゆっくりとお茶をすすった。
「お金儲けが目的ではないと言えば嘘になりますが、それだけではありません」
「では、一体何があなたをそうさせるのですか。今や、異世界事業はあなたを中心に動いていると言っても過言ではない」
異世界の情報といえばマクマティカーズ。
話題の中心には常にカーミラの影がある。
かつてそこには明日菜の先輩である伊織が居た。
だが今や主役は交代し、異なる規模と
もしも本当に、カーミラ――タケオが、タケトの言うとおりの人物なら。
マクマティカーズの少女たちの弱みを握り、無理やり従わせているゲスであり、利己的な目的で異世界事業を発展させ、地球と異世界の双方から莫大な利益を得ようとしているのならば――
そんな人物に日本と異世界の未来は任せておけない。
今日この場で、明日菜が引導を渡さなければなるまい。
「第一にはもちろん利益です。こちらは営利企業なのですから、投資に見合うリターンは当然得なければ、私を信じて会社のお金を使うことを許してくれた社員たちを裏切ることになります」
「な、なるほど……」
規模が違うし、事業内容も異なるが、明日菜も同じ代表取締役。カーミラの言っていることは理解できる。日本ではとかく必要以上のお金儲けが悪いことのように言われがちだが、明日菜はそうは思わない。稼げるチャンスは逃していけない。リターンが見込める投資は絶対に資金を回収しなくてはならないのだ。
「第二は地球に住む異世界人たちが肩身の狭い思いをしないようにしたいから、ですわね」
「肩身の狭い……? それは、やっぱり異世界反対の……?」
異世界反対派による種族差別……に近い糾弾。
それはたびたびネットでも問題視されてきた。
「ええ、以前はローラが少々危険な目に。十王寺町に住む獣人種の子たちも、毎日下を向き、怯えながら学校に通っていたこともあったとか。ですが、そんなことはもう二度とさせません。そのためにもより強固な繋がりを構築し、地球と異世界に経済圏を確立する必要があります。カーネーションの異世界出店はその先触れ。私が敷いた道のあとに続いて、より多くの日本企業が出店し、やがては世界中の企業が……。その対価として異世界の有益な資源を私達が地球へと持ち帰る。不可逆の相互扶助関係を作り上げるのです」
「…………」
まるで子供のように目を輝かせながら地球と異世界の未来を語るカーミラに、明日菜は愕然としていた。
何を馬鹿なことを……などと一笑に付することなどできない。カーミラが音頭を取れば、そんな未来はそう遠くないうちに訪れるのではないか――と本気で思えて来てしまう。
「そのためのイメージ戦略。そのためのマクマティカーズ。未だ中学生のあの子たちに無理を強いていることは重々承知しています。ですがあの子たち自身も一人の異世界人として、地球と異世界双方の橋渡し役を自ら買ってくれているのです。ありがたいことです。彼女たちの恩義に報いるためにも、私は不断の努力を続けて行く所存です」
明日菜はカーミラの演説じみた言葉を聞いて、ようやく全てを理解していた。
何故タケオがカーミラになったのかを。何故マクマティカーズたちはカーミラを……タケオを慕うのかを。何故彼女を中心に今、異世界事業が急速に動きつつあるのかを。
(愚者はヒトを
どちらの言葉を信じればいいのか。
どちらがより真実に近いのか。
どちらが大義をもっているのか。
タケトとタケオ。名前は似ているのにあまりにも異なる。
タケトにはタケトなりの思惑があったのだろう。それは多分、慕う姉たちを奪われた嫉妬なのかもしれない。でも――
(奪われて当然だわ。だって彼はこんなにも……)
それ以上はいけない。思っても口にしてもいけない。
ただの憧憬だと胸にしまい込んで封印してしまわなければ――
「とても素晴らしいお考えですね、カーミラ会長」
「あ、いえ。私の方こそつい夢中になってしまいました。お恥ずかしいかぎりです」
カーミラは照れくさそうにはにかんだ。その表情は心の額縁に入れて永遠に独り占めしたくなる顔だった。
「いいえ、恥ずかしいなんてとんでもない。あなたならばきっとその理想を実現できるものと、私も信じております」
明日菜はスッと立ち上がると、空になったカーミラのカップを、同じく空になった自分のカップと重ねる。
「それでは、本日はとても有意義なお話が聞くことができました。ありがとうございます。カーミラ会長のますますのご発展を心よりお祈り申し上げております」
「こちらこそ、お話に付き合ってくださってありがとう。またお話いたしましょう」
「ええ、機会があればぜひ」
二人分のカップをゴミ箱に捨て、入り口の扉に手をかけたところで明日菜はもう一度振り返る。変わらずカーミラは自分を見つめてくれていて、目が合うなりニコっと微笑んでくれた。
ニコっと、明日菜もまた心からの笑みを浮かべて会釈をする。
そして灼熱の中へと身を投じた。
*
『……もしもし』
「こちらタケトさんのお電話でよろしいでしょうか。私――」
『前置きはいいからさっさと話してよ洲崎社長』
電話向こうのスーパーアイドルは、少々苛立っている様子だった。声には余裕がなく、耳をすませばキシキシキシっと貧乏ゆすりの音が聞こえてくる。
『このプライベートアドレスを知ってるのは本当に限られているんだ。いちいち名乗らなくていいからさあ』
「そうですか。失礼しました」
タケトがどんなに横柄であっても、明日菜は落ち着き払っていた。
というかそもそもこちらが慌てる必要などない。
相手が大物芸能人だからと卑屈になることなどなかったのだ。
『それで、電話をしてきたってことは、ようやく成果を聞けるのかな。こっちは今か今かとSNSが炎上するのを待ってるんだけど?』
「…………はあ」
明日菜は電話越しにも聞き取れる盛大なため息をついた。
なんともネガティブなことだ。自分では直接手を下さず、他人を利用して、そして安全な場所で高みの見物。
そもそもが人間としての器が違いすぎる。
これは身内の姉たちであっても靡くはずがない。
「その件ですが、私、この間のお話は聞かなかったことにいたします」
『は? …………何を言ってるのさ!?』
二言目にはタケトが切れていた。
沸点の低いことだ。切れやすい十代か。
「申し訳ありませんが、あなたのご期待には添いかねる、と言いました」
もう一度、今度はハッキリと、噛んで含めるように言う。
通話向こうでは『ガダン』『バタバタ』『ドドド』と、何やら大きな物音がしていた。
『ほ、本気で言ってるのかな。そんなことしてどうなるかわかならないの? キミたちが今立ってるステージは、所詮僕の代役だって理解してる?』
「理解もなにも、仰っている意味がわかりませんね。私達が今立ってるのは、ステージでもなんでもなく、帰りの新幹線を待つホームですけど?」
『え?』
「これからお土産を買って東京に帰るところです。時間がありませんので失礼しますね。あ、もう二度と電話かけてこないでください」
『ちょ――』
ブツ、と通話を終える。
明日菜はペペペっと流れるようにフリック操作し、タケトを着拒した。
これでまたかけてることがあったら、今度はアドレスを変えよう。仕事にシリアスプロブレムがあるが仕方ない。
「というわけなの、ごめんなさいあなた達!」
後ろを振り返った明日菜は、フィックス・スターズの三人に対して両手を合わせて頭を下げる。
ここは那須塩原駅のホーム。
明日菜は早々にフェスを辞退して帰り路についていた。
期待をかけてくれた
きっとあとで違約金も発生するし、フェスのプログラムにも穴をあけてしまう。
そしてなによりも、大舞台で歌える機会をみすみすフイにしてしまった。
だが――
「顔を上げてください社長」
「そうっすよ、俺らは全然平気っす!」
「むしろよくやった。誰かのお下がりでもらったステージなどで歌いたくないと思っていたところだったんだ」
青山、紅乃、金月。
三人の顔には憂いなどない、さっぱりとした笑みが浮かんでいた。
「ありがとう三人とも。……でもね、本当にお金は厳しいの。だからこれからは仕事を選ばないから! 手始めに地方のスーパーやパチンコ店で営業するから!」
「はい、全然大丈夫です! 一から頑張りましょう!」
「お子様連れの奥様たちと、アイドルなんて知らないおっさんたちを俺らのトリコにしてやりますよ!」
「その意気だ。歌えるステージがあれば俺たちはどんな場所であっても輝けるはずだ」
逃した魚は大きすぎた。しかし心は晴れ晴れとしていた。
悪魔に魂を売ってでものし上がっていくのが芸能界。
しかし、魂を売ったことで本来の輝きを失ってしまっては元も子もない。
きっと私達は苦労をするだろう。
来月には事務所マンションすら追い出されるかもしれない。
でも後悔だけはしない。
最後の瞬間まで足掻いてやる。
私とこの三人で――
「社長、お土産買わないと! そして各方面にお配りしないと!」
「社長〜、こっちのジャージャーミルク&ラズベリーってお菓子買ってもいいですかー!?」
「駅弁を買おう社長。和風と洋風二つ食いたい。お茶は玉露がいい」
「あーもうやかましいアンタたち! 帰ったら覚えてなさいよっ!」
こうして洲崎明日菜の夏は終わった。
しかし、彼女はこのときこの決断をしたことで、大きな災難を逃れることになるとは、夢にも思わないのだった。
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