ヤマの物語

口羽龍

第1話 幌冠

 五郎は目を覚ました。単行の気動車はどこまでも続くような原野を走っていた。北海道らしい風景が広がる。乗客は父と母以外いない。とても静かな車内だ。


 五郎は東京に住む小学2年生。野球が好きなごく普通の少年だ。友達はそこそこいて、明るく接している。クラスでは人気者だ。


 いつもだったら盆休みは長野の祖母の家で過ごす。しかし、今年は祖母が入院中なので行けない。なので今年は、北海道にある母の兄の実家で過ごすことになった。兄は国鉄の職員で、とあるローカル線の終点の駅長をしているという。


「まもなく、振別(ふらべつ)に着きます。幌冠(ほろかっぷ)線はお乗り換えです。ご乗車、ありがとうございました」


 2人は振別駅で降りた。ここから延びる幌冠線は全長20km弱のローカル線だ。駅数は5駅で、その他に2つの仮乗降場がある。列車は1日4往復。かつては10往復以上はあったが、過疎化等で減った。


「着いたな」

「何年ぶりだろう。久々にお兄さんに会いたいな」


 振別駅は2面3線の駅で、幌冠線は駅舎から一番遠い3番線から発着する。そのホームは島式で、屋根がない。ベンチはわずかにある。ホームの端は草が生い茂っている。もう何年も整備されていないようだ。


 気動車はまだ着いていない。振別駅の構内は夏草が生い茂っていた。最も栄えていた頃の構内の跡だ。全盛期にはここから延びる幌冠線のSLがたむろしていた。しかし、1970年代にSLはなくなり、この機関区も廃止になった。過疎化が進んで乗客が減少した幌冠線は年を追うごとに本数が減っていった。


 2人は3番線にやってきた。3番線にはカメラを持った人が何人かいる。彼らは大きなリュックを背負っていた。この中に着替え等が入っているのだろう。1980年から始まった『いい旅チャレンジ20000km』のキャンペーンで、国鉄の路線を全部乗りつぶそうとしている人だろうか。


 しばらくして、気動車がやってきた。タラコ色のキハ22だ。今度も単行だ。それとともに、カメラを持った人々は気動車を撮り始めた。


 気動車はゆっくりとホームに滑り込んだ。駅のアナウンスはない。気動車の扉が開いた。だが、降りる人はいない。


 五郎と両親は気動車の中に入った。床は木張りで、シートはボックスシートだ。気動車はアイドリング音を立てて折り返しを待っていた。


「幌冠って、どんなところなの?」

「お母さんが、中学校まで過ごした所なの。昔はとっても賑やかだったんだけどね」


 2人はボックスシートに座ったその時、ホームで電車を撮っていたカメラを持った人々が乗ってきた。その人々は車内も撮っていた。


「この路線、1日4往復なんだよな」


 男は時刻表を見ていた。旅の計画を立てているようだ。


「ここって、昔は終点の幌冠や途中の神威別(かむいべつ)、幌士別(ほろしべつ)にあった鉱山の石炭輸送で賑わったんだけど、15年ぐらい前に閉山になって、過疎化が進んで、赤字続きなんだって」

「北海道にはいろんなローカル線があって、どれも魅力的なんだよな。広大な平原の中を走る所が。大地の雄大さを感じるよ」

「これに乗ったら、最後の電車で折り返して、最果ての稚内駅で泊まろうぜ」

「そうしようそうしよう」

「お待たせしました。幌冠行き、まもなく発車です。扉が閉まります。ご注意ください」


 扉が閉まった。気動車は大きな汽笛を上げ、振別を出発した。幌冠線は左に大きくカーブして、本線と別れた。幌冠線のレールにはところどころに夏草が生い茂っている。


「よし、明日は天北線と興浜北線、美幸線に乗ってみようよ」

「うん」


 車内は賑やかだ。まるで活気がある頃の幌冠線のようだ。母は懐かしそうに見ていた。賑やかだった頃の車内はこんな車内だったな。


「お待たせいたしました。ご乗車、ありがとうございます。この電車は、幌冠行きです。終点の幌冠には15時23分に着きます。次は、西振別です。ただいまから車内に参ります。ご用の方はお知らせください。」


 気動車はのどかな田園地帯の中を走っていた。田園地帯は全国各地の田舎でよくみられる。だが、北海道の田園風景は違う。広くて、どこまでも続いているようだ。ここが北海道らしい。乗り込んでいた鉄オタ達は田園風景を撮っていた。北海道らしい風景に感動している。


「これが北海道らしい光景だよね」

「天北線の猿払原野の風景もいいよねー」


 気動車は西振別駅に着いた。西振別は棒線駅だ。だが、駅の手前で少し線路が右に曲がっている。元々行き違いのできる駅で、ここに分岐器があったのだろう。


 周囲には人家が1戸しかない。だが、廃屋の跡が至る所にある。全盛期には、どれぐらいの人が住んでいたんだろう。


 気動車はその後も田園風景の中を走っていた。車窓から見える人家はわずかだ。本当にここに多くの人が住んでいたんだろうかと疑ってしまう。


 まとまった市街地と呼べる所は神威別駅周辺だ。だが、人通りは少なく、乗り降りする人は誰もいなかった。この神威別も炭鉱で栄えた町で、専用鉄道が延びていたという。


 神威別を過ぎると、再び気動車は田園地帯を走り始めた。この辺りも人家が少ない。そして、行けば行くほど山間が深くなってきた。




 気動車は山間に囲まれた廃墟だらけの市街地にやってきた。ここが幌冠だ。多くの民家などの建物が立っているが、そのほとんどが廃墟だ。


「まもなく、幌冠、幌冠、終点です。お忘れ物のないようにご注意ください」


 気動車は終点の幌冠駅の構内に入った。構内はとても広く、炭鉱で賑わっていた頃は多くの側線があったみたいだ。その側線は夏草に覆われて、レールを見ることが難しい。ホームはかつては1面2線だったが、現在は駅舎から離れた2番線だけを使っている。1番線にもレールが残っているものの、ポイントの切り替え装置は撤去され、レールは赤さびている。


「幌冠、幌冠、終点の幌冠」


 気動車は終点の幌冠に着いた。乗っていた人々はみんな降りた。乗り込んでいた鉄オタはここでも写真を撮っていた。


「着いたぞ!」

「ここが幌冠?」

「うん」


 突然、母は声を上げた。この駅の駅長を務めている兄、悟(さとる)だ。悟は気動車の運転手から渡されたタブレットを肩にかけていた。


「あっ、お兄ちゃーん!」


 母は手を振った。悟はそれに反応し、手を振った。


「華子!」

「久しぶりだな」


 2人は握手し、久々の再会を喜んだ。2人とも、久々に会えたことが嬉しかった。


「あれからどう?」

「変わらないよ、町の風景以外はね」


 悟はこの町の変わりように驚いていた。昔はあれだけの人々が集まっていたのに、今では閑散としている。駅前には多くの店が立ち並んでいたのに、今では居酒屋とスーパーしかない。


「そう。大変ね」

「廃屋ばかりだね」


 華子は辺りを見渡していた。中学校まで過ごした頃はもっと賑わいがあって、多くの人が行き交っていたのに。これが時代の流れだろうか。エネルギー革命が町をこんなにも変えてしまうとは。やがてこの町は人がいなくなり、消えてしまうんだろうか?


 華子は不安になっていた。いつまでも故郷が残っていてほしい。だが、この世界は盛者必衰。いつかはこの町もなくなってしまうんだろう。そう思うと、華子は悲しくなった。


「昔はもっと多くの人がいたのよ。今は100人にも満たないけど」


 五郎は驚いていた。こんな山奥に昔はこんなに多くの人がいたなんて。とても信じられなかった。


「家でくつろいでらっしゃい。お母さん、ちょっと話があるから」

「わかった!」


 五郎は改札を出て、家に向かった。悟の家はここから歩いて数分の所にある。木造の1階建てで、築50年以上だ。




 その夜、五郎は持ち込んでいたファミコンのソフトで遊んでいた。父にねだって先日買ってもらったばかりで、大切にしていた。


 そこに、近所のおじさんが入ってきた。かつてこの町の鉱山の労働者だった人で、閉山で退職してもここに残り農業を営んでいた。


「おっ、ファミコンか?」


 おじさんは興味津々にファミコンを見ていた。札幌に住む孫が買ったと聞いて、どんなものだろうと思っていた。


「うん」

「先日発売されたばかりなんだよなー」


 おじさんはファミコンが発売された時のニュースを思い出していた。多くの人々が電気店に並び、騒然となっていた。おじさんはテレビからそれを興味津々に見ていた。ファミコンがこんなに面白いのか? 自分は興味がないが。


「そうだよ!」


 五郎は笑顔を見せた。ファミコンができることがとても嬉しかった。勉強を頑張ったからこそ、買ってもらえた。もっと多くのソフトを買って、いろんなゲームを楽しみたい。


「この町では誰も持ってないんだよなー。近くに電気屋さんがないからね」


 この小さな町には電気屋さんがない。旭川市まで行って買わなければならない。


「そうなんだ」

「こんな田舎だもん」


 おじさんは残念がった。だが、こんな小さな町では開いても採算性はないだろう。ファミコンなどのゲームがなくても、この日々が楽しいから気にならない。


 その頃、華子は悟と居酒屋で話していた。華子は深刻そうな表情だ。悩み事があるようだ。今日の昼下がりに駅に着いた頃とは明らかに表情が違っていた。


「お兄ちゃん、国鉄再建法って本当? この路線が廃線の候補になってるって」


 華子は1980年の暮れに制定された法律の話をしていた。これによって、国鉄の採算の取れない路線を廃止されようとしている。その中には、悟が駅長を務めている幌冠駅が終点の幌冠線も廃止されようとしている。


「うん。今の所、白糠線が決定に近いと思われてるんだ。全線が白糠町だから、その同意が得られれば決まるんだ」


 白糠線は北海道の根室本線の白糠駅から北進駅までを結ぶローカル線だ。1日3往復で、国鉄トップクラスの赤字路線だ。開通は昭和39年と遅く、足寄を経由する根室本線のバイパスとして建設された。だが、沿線の上茶路炭鉱が閉山になり、乗客は激減した。その2年後、日本鉄道建設公団によって上茶路駅から北進駅まで延びた。北進は「北へ進む」ように名付けられたという。だが、その先に鉄道が延びることはなく、廃止になろうとしている。北進駅は周りに建物がない『何もない終着駅』だ。どうしてここまで伸ばしたんだろう。疑問に思われている。


「そうなんだ」


 華子は冷酒を口に含んだ。母は賑やかだった頃の幌冠を思い出していた。


「僕はずっとこの町で生まれ育ってこの路線の運転手やこの駅の駅長をやってきたけど、昔とは比べ物にならないほど寂しくなったな」


 悟は賑やかだった頃の幌冠を思い出していた。多くの炭鉱労働者が行き交う。幌冠駅には側線が何本もあり、ナローゲージの専用鉄道を介して石炭が運ばれてくる。運ばれてきた石炭はここでセキに積み替えられる。何両も連なった石炭列車がひっきりなしに走る。駅の手前にもレールがあって、その頃は1面2線だった。あの頃はよかったな。悟は賑やかだった頃を思い出していた。


「そうね。仕方ないことね。ところで、どこに転勤になるか決まってる?」

「ああ。札幌だよ」


 悟は来年3月末に予定されている廃線後は札幌駅に転勤になることが決まっている。この辺りとは別に、札幌は発展が続いている。多くはないが、地下鉄も走り、都会のような所だ。


「いい所じゃないの。東京みたいで、賑やかで」


 東京に住んでいる華子は東京のような都会はいい所だと思っていた。夢があるし、生活が豊かだし、いろんなのが手軽に手に入る。こんないい所はないと思っていた。


「いいとこなんだけど、住み慣れた町を離れるのは寂しいな」


 悟は住み慣れた幌冠を去るのが辛かった。今までここで過ごしてきて、幌冠駅の駅長にまで昇進することができた。なのに、町は寂れ、廃線になり、札幌に転勤になろうとしている。


「その気持ち、わかるわ」


 華子は悟の気持ちがよくわかった。夢のためとはいえ、自分も町を離れる時、とてもつらい思いをした。そして今度は悟もこの町を離れようとしている。今度は悟がそんなことになるとは。

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