エピローグ
卒業式。
友の会のご令嬢や訓練場の候補生など、顔見知りが何人も卒業するので、今年も在校生として出席した。
ちなみにゲームでは、卒業生である殿下のルートと殿下と関わりの深いロベルトのルート以外では卒業式自体が大してフォーカスされない。
アイザックやクリストファーのルートでは共通イベントすらなく、彼らのルートであればすでにゲームが終了している時期だ。
私のルートも、おそらくあの誘拐騒ぎが最後のイベントだろう。
名実ともに、ゲームが終わった。
私とリリアは前世の話も出来る仲の良い友達だし、東の国関連のトラブルも解決、リリアは大聖女の力が使えるようになった。友情エンドとは思えない大団円と言えるだろう。
……問題は、まだ彼女が私を諦めてくれていないことくらいか。
今年はリリアも一緒に卒業式に来たのだが、昨年同様『思い出をくださいまし』とか言って取り囲んでくる友の会のご令嬢たちにボタンを毟られたりハグに応じたりしていたところ、すっかり機嫌を損ねてしまった。
今は木陰でしゃがんでこちらを睨んでいる。
桜に似た花が散る中で、こちらに近づいてくる人影に気づいた。周りを取り囲んでいたご令嬢たちが、さっと道を空ける。
銀糸の髪を風に揺らしながら、彼は私の前まで来て立ち止まった。制服の胸には、卒業生の証である花が飾られている。
桜に似た花弁が舞う中に立つ殿下は、普段よりも一層儚げで、「桜に攫われてしまいそうな美少年」というのはこういうことなのかと得心した。
彼を眺めていて、殿下のボタンがすべて無事なことに気が付く。さすがに王太子を取り囲んでボタンを毟る気概のあるご令嬢はいないらしい。
「殿下、卒業おめでとうございます」
「リジー……」
ふっと、殿下が両手を広げた。
その腕が私を拘束しようと迫ってくるのを見て、咄嗟にしゃがみ込んでそれを回避する。
そしてそのまま流れるように、足払いを放った。
いや待て。
王太子に足払いを放ってどうする。
つい、ヨウに絡まれていたときの癖で身体が動いてしまった。
コンマ1秒で自分の過ちに気付いた私は、足を取られて倒れる殿下を抱きとめた。
「危ないところでしたね」
私が。
「うん? ありがとう?」
怪訝そうな顔で私を見上げて、一応お礼を言う殿下。
助かった。何が起きたか分かっていないらしい。周囲のご令嬢から黄色い悲鳴が上がっていた。
殿下を立たせて、一歩離れる。彼はボタンがすべてなくなった私の制服をじっと見つめていた。
「きみ、卒業生に『思い出』をあげているらしいね」
「まぁ、そうみたいです」
「私にも『思い出』をくれないかな?」
「はぁ」
殿下が私を見上げる。紫紺の瞳が、いつもより潤んで、きらきらと光を取り込んでいるように感じた。心なしか、頬も赤い。
殿下にとっては3年通った学園との別れの日だ。多少の感傷があったとて不思議はないだろう。
「そんなことをしなくても、卒業してからも私のこと呼び出しますよね?」
「……呼び出すけれど」
呼び出すんじゃないか。
学園に入る前からこき使われているので、今さら卒業した程度で変わるはずもないと諦めてはいたが、やっぱりかと脳内でため息をこぼす。
「記念だし、いいだろう?」
彼が上目遣いで私を見つめる。
恐ろしいくらいに睫毛が長い。瞬きするたび星が散りそうだ。
「……この場で、私に出来る範囲であれば、まぁ」
やれやれ、何をねだる気だろうか。
だいたい普段だって、私は彼のお願いごとをそれなりに聞かされていると思うのだが。
呆れ半分で肩を竦めて、殿下に向き直る。
「それで? 何をご所望ですか? ハグ? 高い高い? 手合わせ? 男子に人気なのは一本背負いですけど……」
にこにこと王太子スマイルを浮かべた殿下が、無言で一歩私に近づいてきた。さらに、一歩。
そして私の両手をぎゅっと握る。
なんだ、握手か。
ほっとした刹那。
彼の踵が、地面から浮いた。
唇に、柔らかな何かがぶつかる。
その何かは私の呼吸を一瞬奪い、そして離れた。
目の前にあった長い睫毛の瞳が開く。
アメジストの輝きが、視界に広がった。
私から離れた
背後で、ご令嬢たちの悲鳴が聞こえた気がした。
「え、」
「ヴァ――――ッ!!!!」
どん、と、リリアが私に体当たりしてきた。
はっと我に返り、咄嗟に手の甲で唇を拭う。
マジか、この人。
ご令嬢たちも遠慮してお願いしなかったことを、やりやがった。
「エリ様!」
ぐいと腕を引かれる。
そのまま声の方を向くと、彼女の顔が目の前にあった。
あれ。なんだか、デジャヴのような。
そう思う間もなく、思いっきりキスされた。
殿下のスマートな
「!!!!????」
「上書き」
リリアはふらりと後ずさった私を見上げて、堂々と言った。にやりと唇を歪めて、笑っている。
まるでそう、悪役のような笑顔だった。
な、何だ。こいつら。他人様の唇をなんだと思っていやがる。
袖口でごしごしと唇を拭う。
いや、別にたいして思い入れとかはないのだが、ファーストキスだったんじゃないだろうか?
「上書きしても、最初が私だった事実は変わらないと思うけれど?」
「男の人ってそうですよね、『名前を付けて保存』ってやつですか? でも残念! 女の子は『上書き保存』なので!」
「ちょっとリジー。きみの『友達』が訳の分からないことを言っているんだけれど。通訳して」
「エリ様! ちょっと言ってやってください、女の恋は『上書き保存』だって」
いや、この状況で私に助けを求めて来るな。どういう神経をしているんだ。
訳が分からなすぎて気が遠くなる。すべて、どこか遠くの出来事なんじゃないかという気すらしてきた。
そしてふと、私の周りから音が消え――遠くのご令嬢たちのざわめきが、やけにクリアに耳に入ってくる。
「え?」
「そのお願い、ありなんですの?」
「マ?」
「卒業ですし?」
「思い出ですし??」
「殿下やダグラスさんが許されるなら、わたくしたちも……?」
…………まずい。
これは、まずい。
背中を冷や汗が伝う。
殿下の
許してない。まっっったく許してない。
こちらを見るご令嬢たちの瞳が狩人のものに思えてくる。
おかしい。男装して、自分を磨いて、主人公に攻略されて、無事友情エンドを迎えて……私は幸せになれる、はずだった、のだが。
これは、私の求めていた幸せな日常とは、だいぶ違う気がする。
一体何がどうしてこうなってしまったのだろう。どこでどう選択を間違えたのかも分からないし――モブ同然の悪役令嬢である私には、そもそもセーブもロードも存在しない。
頭を抱えたい気持ちになったが……今はそんなことより、目の前の問題だ。
私の人生は明日からも続くのだ。こんなところで、こんなことで人生終了するのはごめんである。
後悔して反省して、その場しのぎの行動を怠る私など、私ではない。
私は瞬間的に決意した。
逃げよう。
私はこの日、おそらく世界新を超えた。
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