第30話

 カスタール領と、その領主であるネルチーゾたちの処遇が貴族たちに発表される前日の夜。

 そこでセラフィーナはジルベルトに離縁のことについて話してきた。


「まず、ローゲン領内の問題を解決して頂きありがとうございます」


「感謝はコルヴォの時に受けている。だから気にしなくていいよ」


 開始早々セラフィーナは、ジルベルトに対して頭を下げる。

 ジルベルトはそれに手の平を見せるように出して止めるようなジェスチャーをし、遠慮するようにその行為をやめさせる。

 まだ中身がジルベルトだと分かっていない時、セラフィーナはコルヴォに頭を下げていた。

 平民かもしれないコルヴォに伯爵位のセラフィーナが頭を下げたのだから、それだけ深い感謝を表していた。

 その時の言葉と態度だけで充分のため、ジルベルトはそれ以上必要としないということだ。


「それに、ローゲン領の邸で初めて会った時、君は俺に好きにしろといっただろ? ある意味君の指示に従ったに過ぎない」


「っ……」


 ジルベルトの言葉に、セラフィーナはコルヴォの時も同じことを言っていたことを思いだす。

 たしかにあの時はそう言ったが、その時は無能という話を聞いていたため、何もしないでもらいたいという思いから言った言葉だった。

 ジルベルトもそのことは分かっているはずなのにそうやって言う所を見るに、ジルベルトなりのちょっとした嫌味だということに気付き、セラフィーナは若干ムッとした。

 しかし、きちんとジルベルトのことを調べずそう言ったのは自分のため、セラフィーナは怒るに怒れないといた感じで尻つぼみになった。


「コルヴォであっても、私はあなたによって命を救われたのは事実だわ……」


 執事であるスチュアートが淹れた紅茶で一呼吸おいて、セラフィーナはまた話し始める。

 裏ギルドの者たちの襲撃を受けた時、逃走経路を絶たれたセラフィーナは、命の危機を感じた。

 そこをコルヴォであるジルベルトには命を救われている。


「私は祖父や父から、受けた恩は返すように言われて育った。命を救ってくれた人間をこのまま放り出すのは恩を仇で返すことになる」


 ローゲン領の先代、先々代は、相手が市民であっても恩に厚いという噂の人物だった。

 それもあって、赤字によって荒れていっていたとはいえ、ローゲン領内からの市民の流失は比較的抑えられていたと言ってもいい。


「だから私はあなたを離縁することはしない」


「……それで本当に良いのかい?」


「えぇ」


 祖父や父の教えを守るために、セラフィーナはジルベルトとの離縁をしないことを決めたようだ。

 それを聞いて、ジルベルトは意外そうに問い返す。

 命を救ったのはたしかだが、その命を狙ってきたのは父のネルチーゾだ。

 別に離縁したからといって、恩知らずなどと言う人間はいないだろう。

 そのため、セラフィーナは離縁するという選択をすると思っていたからだ。

 確認の意味もあるジルベルトの問いに、セラフィーナはもう決めたことと言うかのように頷いた。


「そのうち気が変わって君の命を狙うかもよ?」


「……その時はその時だわ。一度終わったと思った命だもの……」


「そう……」


 セラフィーナがいなくなれば、ローゲン領はジルベルトのものになるのはこれからも変わらない。

 それと同時に、いつジルベルトがセラフィーナを狙うか分からないのも変わらないのと同義だ。

 それでも自分の考えを曲げない様子のため、ジルベルトは納得したように頷いた。


「じゃあ、これからは夫婦としてよろしく! セラ!」


「っ!?」


 離縁しようが離縁しなかろうが、今後もコルヴォとして動くためジルベルトにとってはたいして変わりはない。

 しかし、今後はジルベルトとして付き合っていくことになる。

 つまりは、夫婦として付き合っていくということだ。

 そのため、ジルベルトは今後夫婦として付き合ていくうえで握手を求めた。

 そして、セラフィーナがそれに応じるように手を握った所で、セラフィーナを愛称で呼んだ。

 夫婦になって初めてそう呼ばれたこともあり、セラフィーナは戸惑うようにジルベルトを見つめた。


「夫婦なんだから愛称で呼ぶのが当然だろ?」


「……え、えぇ……」


 ジルベルトが当たり前のように言い、セラフィーナはそれに頷く。


「よろしく。ジル……」


 言いなれていないからなのか、それとも照れてなのか、セラフィーナは顔を真っ赤にしつつ握手をしたまま返事をしたのだった。






「……相変わらずへそ曲がりですね」


「…………」


 ジルベルトとセラフィーナのやり取りを見ていたスチュアートは、セラフィーナのことを見ながら小さく呟いた。

 それは側にいたピエーロにも聞こえていた。

 まるでこうなるのが分かっていたかのようなスチュアートの態度に、ピエーロは黙って見つめる。

 すると、ピエーロの頭の中には、色々と疑問に思わせるスチュアートの行動が浮かんできた。


「……スチュアート殿はジルベルト様との離縁を申し出たとお聞きしました」


「えぇ。お嬢様にはジルベルト様と離縁するように進言しました」


 王都にあるこの別邸も、赤字のため使用人の人数が少ない。

 邸内を手入れするために、ジルベルト専属の従者であるピエーロも動き回っている。

 そのため、使用人たちが話し合う声は、調査しようとしなくても聞こえてくるものだ。

 使用人たちの話によると、セラフィーナの執事であるスチュアートは、ジルベルトとの離縁を勧めていたという話だった。

 命を救ったと言ってもネルチーゾの息子であるジルベルトは、いつセラフィーナの命を狙ってくるか分からない。

 そうならないように離縁しておくべきだと言ったそうだ。

 それを聞いて、ピエーロはスチュアートがジルベルトを認めていないのだと思っていた。

 主人に仕える姿としては認めていたが、人を見る目が無いのではと、ピエーロは密かにスチュアートのことを見損なっていた。


「しかし、そうすることでセラフィーナ様が離縁しないと思ったのではありませんか?」


 先程の言葉と態度と共に、今のスチュアートは満足げな笑みを浮かべている。

 生まれてから知るセラフィーナなら、離縁を進言することでこういう選択をすると踏んでいたということになる。

 離縁を進言しておいて、反対の選択をしたというのに満足そうなのはそう言うことなんだろう。

 そう思ったピエーロは、スチュアートへ自分の予想を問いかける


「フフ……、さぁ? どうでしょう?」


「…………」


 ピエーロの問いに、スチュアートは僅かに驚いた表情をして小さく笑い声を漏らす。

 そして、否定も肯定をする訳でもない言葉をピエーロへと返した。

 その返答は、否定も肯定もしていないとは言っても、態度や表情でどっちだか分かる。

 明らかに肯定していると言ったものだ。

 主人たちのこの結末を密かに導いたスチュアートに、ピエーロは使用人としての差を感じたのだった。


「スチュアート殿。ジルベルト様共々、今後ともよろしく願います」


「こちらもですよ」


 主人であるジルベルトが残る以上、従者である自分も残るつもりだ。

 そのため、これからもスチュアートとのかかわりは続く。

 自分との差を認めたピエーロは、従者としての行動をスチュアートから学ぶべく頭を下げた。

 それに対し、スチュアートもピエーロへと頭を下げたのだった。


「……ところで、ピエーロ殿は結婚しないのですかな?」


「えっ? いや、私は孤児の生まれ。そのような者に結婚相手などもったいない」


 これからは従者同士協力していくことを確認した2人だったが、スチュアートはすぐに話を変えてきた。

 ジルベルトのために生きると決めていたため、ピエーロは結婚などということは考えたことが無かった。

 スチュアートのいきなりの問いに、ピエーロは戸惑うように返答した。


「そんなことありませんよ。あなたを評価している人間はいます。ジルベルト様もそうですし……私も評価しています」


「……あ、ありがとうございます」


「あなたを見て、私は主人のためにその調査能力は重要だと知りました。そこで……」


 急に結婚などと言われたため慌てていると、スチュアートは今度は自分を褒めてきた。

 自分より上の立場と認めた相手からの言葉に、ピエーロは照れたように感謝の言葉を返した。

 コルヴォがジルベルトで、ピエーロは従者でありながら調査員でもあるとスチュアートは知った。

 ピエーロがスチュアートの凄さを知ったのと同時に、スチュアートはこのことでピエーロのことを高く評価したのだ。


「私の娘のブルーナはいかがです?」


「えっ?」


 ローゲン領の領都ヴィロッカの邸にはメイドが数人いる。

 その中でも若い女性は1人しかおらず、それがスチュアートの娘のブルーナだ。

 地味な目鼻立ちで美人という訳ではないが、とても働き者でピエーロとしても好印象の女性だった。

 スチュアートの口から続いた言葉に、ピエーロは固まることしかできなかった。


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