第57話 台風の目(前編)

 続く4回戦。

 場所は、昨年と同じく、さいたま市にあるさいたま市営大宮球場。収容人数1万人程度の比較的大きな球場で行われることになった。


 試合前日。

 俺が翌日の先発ピッチャーとスタメンを発表すると。

「先生。私、もう投げれます!」

「なんであたしが先発じゃないんすか?」

「4番じゃねえってどういうことだよ?」


 それぞれ、潮崎、工藤、清原の弁だ。

 事情を彼女たちに説明する。


 潮崎はまだ怪我が完治していないと思われるため、工藤は表向きには連投を避けるため、そして清原はここのところ四球以外の当たりがほとんどなかったため。


 スタメンは以下のように決めた。


1番(一) 吉竹

2番(右) 笘篠

3番(二) 辻

4番(遊) 石毛

5番(投) 羽生田

6番(三) 清原

7番(捕) 伊東

8番(左) 平野

9番(中) 佐々木


 好調の3人のうち、辻を3番、石毛を4番、羽生田を5番に据える。センターには1年生ながら守備範囲が広い佐々木を持ってきた。

 石毛は初の4番になる。


 思いきって、打順の組み換えをやってみた。ある意味で、これは「賭け」でもあったのだが。


 そんな中、先発の羽生田が不思議なことを口走った。

「カントク。明日の試合、出来れば100球までは投げさせて欲しい」

 いつも明るい彼女にしては、珍しく真剣な表情で訴えるように言ってきたのが、気になった。


「何でだ?」

「実は明日、ウチの家族が見に来るらしいんだよね。せっかくだから活躍したいんだ」


 羽生田の口から家族のことが語られることなどなかったので、俺は面食らっていたが。


「わかった。ただ、約束は出来ないぞ。監督である以上、打たれたら替えざるを得ない」

「うん。それでいいよ。5回までに4点以上取られたら、替えていい」

 そんなことを真剣な瞳で呟く羽生田が、少し不思議というか、珍しかった。



 当日は、朝から曇り空の天候だったが、先攻の三塁側、志木宗岡にも、後攻の三塁側の我が校にも、応援に駆けつけた連中が、思いの他多かった。


 すでに、昨年の夏、秋の秩父第一高校の男子との対戦で、注目を集めていた我が校は、他校からも偵察される存在になっているようで、偵察組も来ていたし、マスコミ関係者、スカウト関係者らしき人影もあった。


 学校側からも、少ないながらも吹奏楽部や男子硬式野球部が駆けつけていた。渡辺先生の姿も見える。


 そして、試合前に円陣を組んだ後、挨拶に向かう途中。

「奈央!」

「お姉ちゃん! がんばって!」

「姉ちゃん!」


 三塁側スタンドの最前列のネットに張り付くようにして、声をかけてきた人間が三人いた。


 見ると、40代くらいの、羽生田によく似た女性、小学校高学年か中学生くらいの女の子、そして小学校低学年くらいの男の子がいた。


 恐らくあれが羽生田の家族、母親と妹、弟だろう。


 その羽生田は、家族の応援を背に受け、心なしかいつもより緊張しているように見えた。


(力まなきゃいいけどな)

 普段から明るくて、社交的で、悩みなど一切表に出さないような羽生田が、今日は珍しく緊張していて、表情が固いように見えて、俺は内心では心配だった。


 そして、試合が始まる。

 1回表。志木宗岡高校の攻撃。相手校は、赤いラインに白い上下が特徴的なユニフォームだった。


 初回から相手は「見る」野球をしてきた。羽生田の球は、相変わらずの「荒れ球」で、復帰したキャッチャーの伊東が構えたミットの位置にはほとんど来ない。


 内角かと思えば、外角に行くし、その逆もまた然り。

 相手チームの選手は、これに苦戦し、1番と2番は無難にゴロで打ち取っていた。


 だが、例の3番バッターが右打席に入る。

「南渕!」

 三塁側から声援が飛んでいる。


 南渕みなみぶち杏美あずみ。志木宗岡のショートを守る3年生で、小柄な体格のショートカットの女子だったが。


「ファール!」

 羽生田は、得意のスプリットで追い込んでいたが、そこから粘られた。


 キャッチャーの伊東は、相手バッターが打ちにくい、ストライクゾーンとボールゾーンのギリギリ境目を要求したり、相手のインコースを突いて、内側を意識させた後に、アウトコースに要求していたが、もちろん羽生田の球は潮崎ほど正確ではない。


 それが逆に相手にとっては、打ちづらい球になり、予測していたコースに来ないのだ。


 それでも南渕は、野球で言うところの「クサい球」をひたすらカットし、気がつけば10球以上も粘っていた。


 こういうバッターには、三振が一番有効な手段だが、羽生田の球は工藤ほどのキレがない。


 それでも11球目。インコース低めのツーシームでファーストゴロに打ち取り、何とか初回を終えた。


 1回裏。

 マウンドに上がった投手は、相手チームのエースで4番。3年生の加藤かとう椎菜しいなという3年生右腕だった。


 花崎実業の堀監督からもらったデータブックでは、カーブとスライダーを武器にする、オーソドックスなピッチャーとしか書いていなかった。

 もっとも、これは1年前の情報だから、もう古い。


 1番の吉竹は、その加藤の緩いカーブをいきなり初球から流し打ちにして、レフト前ヒットで出塁。


 早速、一塁塁上で、大きくリードを取り始めた。

 2番は笘篠だ。


 バントをさせても良い場面だったが。

 1球目のボールが外角に外れた後の2球目。投球モーションに入った瞬間に、吉竹は走っていたが、これは読まれていた。


 ピッチャーの加藤のモーションが、1球目よりさらに速く感じるような、クイックモーションだった。


 しかも、相手は完全に外角のウエストボールで外していた。

 結果、キャッチャーから二塁に送球されたモーションも速かった。


「アウト!」

 タイミング的にも、完全に負けていた。


 チャンスが潰れた後、さらにこの加藤の投球術が予想を上回ることになる。

「シュートか」

 ベンチで見ていた俺は思わず呟く。


 決め球は、シュートに見えた。

 追い込んでから、右打者の内角を抉るような球、左打者からは外に逃げるような球が次々に入ってくる。

 データブックにはなかった加藤の決め球のようだった。


 結果、2番の笘篠も3番の辻も三振し、チェンジとなる。


 無名校と思われていた、志木宗岡には「加藤がいる」。そう思わせるような、圧巻のピッチングだった。


 3回戦で相手の戸田北陽に4点も取られたとは思えないほどの投球内容だった。


 一方で、2回以降は羽生田も四球は出すものの、後続をきっちり抑えており、0行進が続く。


 我が校もこの加藤のシュートに苦戦し、同じく0行進。


 試合は4回表を迎える。

 先頭バッターの2番が倒れた後の3番。例の南渕だ。


 試合は意外な方向へと進む。

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